見出し画像

気分の向く先

なんのドラマで、いつ読んだ漫画で見かけたのだろうか。
行きつけの店があり、店主と他愛のない会話をしながら一人で一人でもない時間を過ごすという一場面。

本当はそんな大人な時間の使い方に憧れていた。
自分で自分の時間の使い方ー行く店、寄り道、オーダー、話し出し-を決めるということに、憧れていた。
学生時代も、ハモニカ横丁に入り浸り、よく行く店はあった。しかしその想いは一方的なものであり、あくまで顔の見えないお客さんである。

ある日、門前仲町にも慣れてきた日、少し勇気を出して気になっていたお店に入ってみる。特に何もなく、ただビールを飲むだけ。
ただ、この日だったかは覚えていないものの、隣のお客さんに絡まれた時に、申し訳なさそうな店主と話した。しかし、僕にとっては願ってもないチャンス。話は弾んだ。
その場をしのいだ若者だと思われたくなくて、そこから行ける日は何度か足を運ぶと、次第に会話が広がる。

人生の先輩である店主の方たちと最近あった話をしたり、若いカップルと相席をしたり、単身赴任中の神戸出身の方と話したり。
それは、深夜食堂のようだった。
人生と人生の交差点。この場面を小説にするとしたらどの視点から描くだろうか。僕が群像劇が好きなのは、ついこのような思考回路を辿ってしまうからだろう。

店に入った時に名前を呼ばれる、それが当たり前になってからはこの街の一員になれた気がした。
何時間もかけて上京したわけではないけれど、僕は街との相性が多分にあると考えているので、やっとここで安心した気になった。

それからは早かった。ほかの店に入り浸ったり、そこで会った人に教えてもらった店に行ったり、友達を連れて行ったり。
見慣れた風景はとても安心するものであり、同時にいる人によって新しい会話が生まれ、ワクワクするものでもあった。

また、自戒を込めて書くのであれば、その負の側面に出逢うこともあった。
酒場でバックグラウンドを知らないもの同士が出会い、慣れあいのもといつも同じような会話をしている結果、店を私物化してしまうような場面もある。
酒場の出会いは面白い、昨日あんな人と飲んだというような話も聞くが、半信半疑で聞くようにしている。もちろん、その時は面白いものもあったり、その言葉の中には今後の人生の参考にしようと思うこともある。
しかし、僕は新しい登場人物にたくさん会うことより、ある特定の登場人物について理解したり、その人たちとたくさんの話をすることの方が面白みを感じると気付いた。

あくまでも、一人で飲む時には一人の時間を他の人と共有することに重きを置くべきだし、店主は友人ではないが、大事な登場人物である。
そしてそんな店があれば、大事な友人との時間がもっと素敵なものとなる。
僕が憧れを通り越して大人になる過程には、こんなことを考える必要があった気がした。

門前仲町:
karasu、魚三、ますらお、845、saotome、YOASOBI、折原商店

清澄白河:
karasu no su、ガゼボ、Folkways、ドラゴンフライ、いまでや

木場:
木場場外市場、木場くぼ、バーキン

サポートしてもらたら、あとで恩返しに行きます。