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旅路

人生とは旅である。
果たして本当にそうなのか。
旅とは、住む土地を離れて他の場所にいることであることから、日常と対比させる形での非日常である。個人的には、元々の住む土地や故郷がないと、旅は成り立たない気がしている。
だから、僕の中では、旅は旅なのである。

一口に旅といっても色々なものがある。大人数でワイワイと行くものもあるし、一人で遠くまで行くときもある。観光的に予定をきちんと立てて動くときもあるし、何も決めずにその時の思い付きを大切にすることもある。
旅に行って後悔をすることは少ないけれど、やはり旅にも良し悪しはある。良い旅は体力的にもある程度余裕があったり、性格や考え方、その旅に求めるものが合っていたりすることから、目の前で起きたことを好意的なハプニングと捉えることができる。より一体感も生まれるし、そのメンバや場所に愛着を持つことになる。逆に、良くない旅では、笑えないようなことに巻き込まれたり、体力的スケジュール的に厳しかったり間延びしすぎたりして、目の前で起きてしまったことを苛立ちの材料にしてしまう。

今まで、たくさんの旅をしてきて、ある程度上手くなってきている気はする。真夜中に出発したり、渋滞の予測をしたり、食事のタイミングや買い込む酒の量を調節したり。また、3泊くらいまでだったら行先もそんなに多くないし、終わるまで一気に駆け抜けていくことができる。逆に期間が長くても1人だったら、揉めることもないし妥協のラインを自分で引くことができる。
しかし、難しいのが1週間を超えたり、自分以外の人がいたり、慣れない場所へ行ったりするケースだと思う。それを上手くやると、普通の旅の比にならないくらいいい経験になるのだけれど。

僕は妻と9月後半に2週間弱、ギリシャに行った。今回の新婚旅行は、それで言うととても難しいケースだと思う。フライトも長いので、体力もそれなりに削られるし、お金も湯水のように使えるわけではない。ただ、新婚旅行ということである程度の理想は付いて回る。

結婚とは、生活である。旅とは全く反対の、日常。結婚式でさえ、当日は非日常であるものの、そのための準備は長期間にわたって積み重ねていくものなので、生活の中のイベントという意味合いが強い。イメージとしては、結婚式が準備してきたものを発表する場所であるテストや文化祭的なものである一方で、新婚旅行は修学旅行や体育祭のような、基本的には短期間の一発勝負的なものだと思う。

そのため、結婚生活をきちんとこなすことと、新婚旅行が楽しいことはあまり関連性がないと思う。文化祭で全員が協力できるクラスが、全員リレーで勝てるわけではない。
新婚旅行、特にガイドもいないヨーロッパ旅行では、その場のアイデアや機転をどうきかすのかという刹那的な対応力が求められる。

今回は、自分ができることをきちんとやりつつ、ご機嫌に旅路を楽しむことが出来たのではないかと思う。

これから一つの世帯としてなにかに取り組んでいく上で、非日常の瞬発的な力と日常の継続的な力はどちらも大切になる。そして、愛することはもちろんだが、相手を理解してー自分がどのように相手を理解しているのか伝えてー行動していくことも大切になる。自分の行動を変えたり、妥協することを選択しなければならないけれど、それでも相手がいる前提で動く必要がある。

もちろん、機動力は落ちるけれど、自分だけではできないことができる瞬間がある。さらに、ここで背中を預けたり同じ景色を見て同じご飯を食べて、目を見て話をした経験が、その後に活きてくる。

旅を終えると、空港から妻と同じ家に帰った。
これからも日常は続く。
とても楽しかった。それ以上にいい経験となった。

サポートしてもらたら、あとで恩返しに行きます。