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光(五)

   三 僕らのユリイカ

 学校からの帰り道、イヤホンから流れてくる音楽に歩調を合わせる。すっかり暑い日が続くようになっていて、夜でも蒸している。早く帰って、冷水に癒されたい。
 聴いているのはNMB48の『僕らのユリイカ』。先輩方に憧れてアイドルの世界へと踏み出したのだけど、今ではもう虜だ。


  僕らのユリイカ 発見したんだ

  ずっと近くにいたのに 初めての感情

  夏の太陽に目を細めた時 君のことをキレイだと思った

 右も左も分からないまま参加したオリエンテーションで、わたしは心を掴まれた。何がどうよかったのか上手く説明できないけど、ただひたすらに、あの三人の姿に見惚れた。わたしもあんな風になれたらいい――と。
 あの瞬間にわたしの高校生活は決まった。運命的な発見だった。わたしががんばれる場所を見出した。
 親友の美帆を誘ってアイドル部に入部し、一学期が終わった。これから夏休み。

 授業期間中ほどではないにしても、わたしたちは休みの間も活動をすることにした。全員の予定を確認して、みんなが集まれる日を活動日に設定した。
 ある日、美波さんがこんな話を持ってきた。
「夏祭りのステージでパフォーマンスさせてもらわない?」
 生徒会に所属していた彼女はその伝手で話をもらってきたという。「毎年、吹奏楽部と軽音楽部が参加させてもらっていて。ただ、今年は吹奏楽部の方がコンクールと日程が被ってしまって、枠が一つ余ったそうなの。それで、わたしたちに代役を託せないか、って」
 夏祭りは街の外からも来場客があるくらい大きなものだ。そこのステージでやれるなら、そんなに喜ばしいことはない。
「いいんじゃない! 参加しようよ」
 紅亜さんが真っ先に賛成する。わたしも同意見だった。
「確かに、いい機会ですね。そういうチャンスがないと、わたしたちの出番は限られますから」
 美桜さんも賛成のようだ。ほかのみんなも頷いている。これで決まりだ。
「じゃあ、夏休みはそこに向けて練習だね」

 と、さくらさんが楽しげに口にする。
 どんな曲にしようか、衣装などはどうしようか、と次を見据えた意見が出る中、わたしは今日話そうと思っていたことを思い出した。勢いよく手を上げる。
「そうだ! あの、せっかくだから合宿をしませんか?」
 一気にわたしに注目が集まり、それぞれ、合宿、と小さく呟いた。
「泊まり込みでレッスンするってこと?」
 問いかけてくる美帆に、首肯する。
「そう! みんなで予定を確認してるときに思ったんですけど、連続して全員が空いてるところは、泊りがけでどこかに行けるんじゃないかなー、と思って。活動に専念できて、メンバーの絆も深まる。なおかつ、楽しいですよ! 絶対!」
「いいねー! それ、いいよ」
 紅亜さんが目を輝かせて、わたしの手を握る。嬉しくて、二人で手を取り合って飛び跳ねた。
「なるほど、それはいいアイデアかもね」
 と、美波さん。
「合宿なんてワクワクするね」
 と、美帆。
「でも、学生だけで宿泊なんて――」
 美桜さんが少し心配そうな表情を見せたけど、「そんなに遠出しなければ大丈夫じゃない? 家族にもあらかじめ行き先を伝えて」さくらさんがフォローを入れる。
「わたしもいいと思う」
 ただし、と舞子さんは厳しい顔をする。なんだろう。
「ただし、その合宿では体力アップを主に図るべきだと思う」
 そう言って、周囲を見回す。「どうして?」と紅亜さんが尋ね返した。
「やっぱり、ライブを後から振り返ってみて感じるのは、曲を全力で踊りきる体力がないな、ってこと。ペース配分を考えているから持っているけれど、それじゃあ魅力は半減だよ。やっぱり、最後まできっちり踊って、笑顔でいられるようじゃなきゃ」
 アイドルの研究に余念がない舞子さんの言葉だから、わたしたちはただ黙っているしかなかった。
「それから、歌唱力。上手い下手はもちろんだけど、グループとしてバラつきがあるのは困る。それに、声量。どこのステージでやるにしても、声量がないと届かない。だから、腹筋も鍛えないといけないし、肺活量もアップさせないといけない。――という理由」
 しばらく圧倒されて、誰も何も言えなかった。ようやく、美桜さんがポツリと漏らした。
「では、合宿はハードな練習メニューになる、ということですね」
 でも、それは臨むところだろう。わたしたちがもっと成長するためには、きっと必要な過程だ。

 うっかり寝坊してしまって、その日の練習には遅れそうだった。駆け足で学校まで向かう。
 屋上への入口に辿り着くと、ドアからみんなの練習を覗いている女子生徒がいた。時折、顔を引っ込めて、隠れるようにしていた。
 わたしはひらめくものがあった。背後から近付いて、そっと肩に手を置いた。
「あの、入部希望者ですか?」
 振り向いた彼女は分厚い眼鏡をかけていて、その奥の目が大きく見開かれた。
「もしそうだったら、遠慮しないでどうぞ入ってください」
「あの、わたし……」消え入りそうなか細い声だった。「入部希望者じゃないんです……」
「そうなんですか。じゃあ、見学ですか? もっと近くで見てもいいんですよ」
「いえ、わたしはぜんぜん……」
 話し声を聞きつけたのか、美波さんがひょいっと顔を見せた。
「誰かいるの? って、千歳じゃない。遅刻よ」続けて、その隣にも視線を向けた。「え、緋菜! どうしてこんなところに」
 すると彼女は勢いよく立ち上がって、走り去ってしまった。動きに合わせてスカートが揺れる。
「部活の様子を覗いてたんで、入部希望者か見学かなー、と思ったんですけど、違ったみたいです。美波さん、知り合いですか?」
「ええ、同じクラスよ」
 ということは、三年生か。「だけど、大人しい彼女がどうしてこんなところに――。それも、わざわざ学校が休みの日に」

「美波、知らなかった?」
 今度はさくらさんが姿を見せた。
「知らなかったって、何を?」
「緋菜は大のアイドルファンなんだよ。みんなには内緒にしているけれど」
「内緒にしているのに、なんであなたは知ってるの?」
「そこはほら、感じ取るものがあったから」
 よく分からない部分もあったけど、一つだけ言えるのは、さっきの先輩はアイドルが好きってことだ。それなら、うちの部に入ってくれればいいのに。
「さくらの言う通りなら、わたしたちの活動に興味があるのかもね。誘ってみたら入ってくれるかしら」
「それは誘い方次第で、いかようにも転ぶと思うよ」
 とにかく、と美波さんは話を止めて、わたしをまっすぐに捉えた。
「とにかく、練習に戻りましょう。千歳、遅刻はダメよ」
 はーい、と返事をしてから、屋上に出た。陽の光の下で踊るみんなの姿が現れた。

 部活からの帰りしな、美帆と二人でファーストフード店に寄った。学校があるときよりも早めに終わるため、自由に使える時間ができる。暑いから、揃って冷たい飲み物とアイスを頼んだ。
「活動を覗いていた人がいたんだ」
 席に着くなり、美帆は例の彼女――緋菜さんについて言及した。
「そう。結局、すぐ帰っちゃったんだけど。さくらさんによるとアイドルが好きみたいだから、ぜひ部活にも入ってほしいなー」
 大人しい性格みたいだったけれど、透き通るような白い肌をしていた。眼鏡を外してかわいい衣装に身を包んだら、よく映えそうだ。
「部活に入ってほしいと言えば、新垣さんはどうなんだろうね」
 新垣さんは、わたしたちと同じ一年生の新垣彩葉だ。入学時からそのかわいさで注目の的となり、アイドル部は密かに狙いをつけていた。今のところどの部にも所属していないらしいけど、わたしたちに興味がある様子はまったく見受けられない。
 新垣さん、とさん付けで呼んでいるくらいだから、親しくない。何より、ちょっと近寄りがたい雰囲気がある。彼女の横顔には既にいろんなものを経験してきたような、あるいは、何かを抱えているような、そんな兆しが見られ、いつも話しかけるのに躊躇してしまう。
「かわいいよね、やっぱり。誘ったら、いい返事してくれるかなー」
「あんまり期待できないような気がする。でも、試しに訊いてみるのはありかもね」
「美帆も、ああいう雰囲気の子をイメージした衣装、作ってみたいって思うんじゃないの?」
 美帆は考えるように少し俯いた。
「それは、まあ。でも、その人に合ったそれぞれの衣装があるから、いかにその人に似合うものが作れるか、むしろそれが大事かも」
「ふーん」
 美帆はデザイナーの親を持っており、家でもたくさんそういうものに触れてきたそうだ。我が部でも衣装担当を務め、次のライブに向けた新衣装を考案している。現在練習している曲はかわいらしい振り付けだから、どんなものを合わせてくるのか、とても楽しみ。
「美帆、あのさ」
 わたしがちょっと言いよどむと、美帆は怪訝な顔をした。
「どうしたの?」
「いや、美帆は――アイドル部に入ってよかった?」
 意を決し尋ねると、美帆は、どうして? と訊き返してきた。
「だって、わたしが誘ったから入ったでしょう。ほかにやりたいこともあったんじゃないかなー、って気になってて」
「千歳がそんなこと言うなんて珍しいね」
 美帆はくすぐったそうに笑った。「わたしは、入ってよかったって思ってるよ」
「ほんとに?」
 思わず身を乗り出す。
「うん。だって、毎日、こんなに楽しいし。いい先輩たちに出会えたし」
 誘ってくれてありがとう、そう言ってくれたことで、わたしは心から安堵した。

 蝉の鳴き声がよく聞こえる。短い命を力強く訴えてくる声。夏になったのだと実感する。気分が解放されるからこの季節は好き。

 先日部活に遅刻してしまったから、今日は少し早めに家を出た。歩いているだけで気持ちのいい汗をかく。しかし、これだけ暑いと屋上でのレッスンは生死に関わるかもしれない。今日は確保している教室の一つに移ることになりそうだ。
 学校に着いた。集合場所の教室は真っ暗。足を踏み入れると、中にはやはり誰もいない。ここでのんびり待っていてもよかったけれど、踵を返してまた階段を上がった。屋上がどれくらい暑いのか確かめてみようと思った。
 歩きながら、練習中の曲の振り付けをやってみる。個別で確認しながらだと、すぐに出てこないことがある。止めることなく、最初から最後まで流れるように踊ると、自然と体が動く。ダンスを始めて、振り付けをたくさん覚えるようになって気づいた。アイドルがあんなに多くの歌の振り付けを覚えていられてすごいな、と感じていたけど、一度把握したら、歌とともに迷いなく繰り出されるのだ。もちろん、そんな手応えがある気がするだけで、まだまだ難しい振りはできない。それでも、躊躇したり、委縮したりした瞬間にダンスは止まる。思い切り手足を動かすことが大事ってこと。
 屋上へ通じる扉の前に、この前の彼女が立っていた。三年生の緋菜さん。驚かせないように、少し離れたところから声をかけた。
「あの、こんにちは」
 彼女はゆっくりと振り返る。今日も眼鏡をかけていて、瞳が瞬いている。やはり、彼女は整った顔立ちをしている。
「今日はたぶん、屋上で活動しませんよ。とっても暑いので」
 彼女は小さく頷いて、それから初めて、笑みを浮かべた。もっと笑わせたいという思いを抱かせるそれだった。
「そうなんですか。それじゃあ、こっそり覗けませんね」
 今日は帰ります、立ち去ろうとする緋菜さんの腕をわたしは掴んだ。
「アイドル、好きなんですよね?」
 彼女の目が見開かれる。なんで知っているの、どうしてそんなことを訊くの、その瞳が物語っている。
「さくらさんに聞いたんです。わたし、アイドルにそんなに詳しくなかったんですけど、先輩方のライブを見て、ほんとにいいなって感じたんです。わたしもやってみたいなって思ったんです」
 もし、と緋菜さんをまっすぐに見つめて、言葉を続ける。

「もし、アイドルが好きなら、わたしたちと一緒に活動しませんか? 絶対に、憧れがあると思うんです。好きだったら、自分でもやってみたくなるはずです」
 誘いの手を心の中で伸ばす。お願い、この手を握って。
 どうしてこんなに、特別親しい間柄でない相手を勧誘しているのか。きっとそれは、知ってしまったから。ステージ上で練習の成果を発揮できる快感を。自分の笑顔が誰かをも笑顔にする喜びを。だから、目の前の彼女にも知ってほしかったのだろう。
「どう、緋菜。こんな純粋な目をした一年生の誘いを断れる?」
 突然、横に美波さんが現れた。傍らにはさくらさんの姿も。
「最高に楽しいよー。高校生活の残された時間、有意義に過ごせるチャンスじゃない?」
「うん――」緋菜さんは恥ずかしそうに俯いた。「やってみたい。ずっと考えてた。だから、部活の様子をそっと見させてもらったし」
 だけど、と彼女は表情を暗くする。
「だけど、わたし、歌もダンスも下手だし、きっと足を引っ張ってしまうと思うけど――それでもいいの?」
 これにはわたしが答えた。
「わたしも初心者だったけど、でも、みんなで練習しているうちに、すぐに上達していきましたよ。好きなら、きっと大丈夫です。だって、ずっとアイドルを追いかけてきたんでしょう?」
 時間をかけて、緋菜さんが首を縦に振ってくれた。
「ありがとう。……こんなわたしだけれど、よろしくお願いします」
 背後から物音がした。びっくりして振り向くと、紅亜さん、美桜さん、舞子さん、美帆が一斉に物陰から出てきた。口々に喜びの言葉を投げかけている。
 二人きりだと思っていたのに、みんな隠れていたのだ。それでも、こうしてまた一人、仲間が加わった。

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