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恋をしている(中編)

 ――貨客船マンギョンボン号って、ちゃんと言えるか?
 一度だけ、カウントするのもためらわれるけど、一度だけ先輩が私を「かわいい」と言ってくれたことを覚えている。
 ――言えないだろ? 途中で絶対に噛まない?
 飲み会の最中で、先輩はかなり酔っていた。お酒にそんなに強くないのに、顔を上気させながら何杯も飲んでいた。上機嫌で、くだらないことで笑っている。私はそんな先輩を見るのも、悪くないと思っていた。
 ――なあ、相川は言える? 言えそうだな。滑舌いいし。
 体ごとにじり寄ってきて、すぐ傍まで近づいてくる。勢い余って、先輩の肩が私の肩にピッタリとくっつく。無理に引いたりしないで、そのままの距離感を保つ。
 ――おい杉内、後輩に変な絡みすんなよ。
 他の先輩に笑われても、先輩はまるで聞こえていないようだった。じっと私の顔を覗いてくる。こんなに近くに感じられるのは初めてだった。
 ――だって、かわいいじゃん、相川。絡みたくなるんだよ。
 肩先が熱くなる。今、確かに私をかわいいと言った。かわいいと言った。かわいいと。
 普段から思っていた本音なのかな、と甘い幻想を抱いてしまった。酔ったノリで言ってしまっただけだろうと、それを戒めた。
 本気で言ってくれたのか分からないけど、嬉しかった。胸がいっぱいになる。意味もなく、グラスの中で氷を回したりした。カラン、という音が思うよりも耳に大きく響く。
 グラスを持つ手が汗ばんでいた。ここで手を握られてしまったら、ガッカリされてしまうかもしれない。あるいは、想いを見抜かれてしまうかもしれない。
 嬉しかった。嬉しかったのに、でもとか、だけどとか、逆説がその後に続いてしまう。自信のなさがその理由。
 でも――ふと心の置き場所を引いてみると、あっという間に寂しくなる。
 先輩は、私をかわいいと言ったことを憶えていなかった。

 先輩の彼女は、先輩と高校からの同級生で、学部は違うが、同じ大学内にいた。私がその容姿を見る機会はなく、想像するしかなかった。だけど、先輩の彼女なんだから、きっとかわいいのだろう。私なんかよりも何倍も。
 夜は寝つかれなくなった。今まで、こんなことはなかった。夜な夜な、考えることは同じで、飽きもせず泣いた。彼女よりも先に先輩と出会っていたら、なんて、小学生でも思いつくようなことを真剣に考えた。そうしたら、先輩の彼女は私だったろうか。いや、それでも私は選ばれなかったかもしれない。いやいや、そんなことはない。頭の中で忙しく、肯定と否定を繰り返した。
 生まれ変わっても傍にいて、とかいう意味の分からない独り言も呟いた。今でさえ傍にいないのに、何が言いたいのか自分でも理解に苦しむ。ようは、ひたすら傍にいてほしいのだと、後づけの解釈で納得しようとしたりした。
 彼女がいると知っても、私は先輩との日々を夢想した。ひたすら、戒める必要があると自制を働かせても、想いを巡らさずにはいられなかった。
 だけど結局、私の恋人としての先輩を思い浮かべるとき、先輩との愛し、愛される日々に思いを巡らしてみるとき、私の胸は寂しさでいっぱいになる。――手に入れることのできない虚しさが、実体の伴わないやるせなさが去来するから。
 たまらなくなると、机の上にある縁結びのお守りに手を伸ばす。親戚からたまたまもらったものだったが、もらってからは靴を左から履くのと同じ理由で、手放せなくなってしまった。出かけるときも、鞄に忍ばせている。
 お守りの感触を確かめて、少し心が落ち着いてくると、やっと安らかに眠ることができた。

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