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冬に咲く花 ep.5

 その日も無味乾燥の一日を終え、裕里と学校からの帰り道を歩いた。最近、一緒に帰ることにしている。圭佑には悪いが(もしかしたら、二本君にも悪いが)、優先順位が裕里の方が圧倒的に上だ。今は、彼女の観察を怠ると、心配でたまらない。鏡に映る自分を叩き割るように、自分で自分を壊しかねない。
 私は、あくせくしている。
 そのくせ、何の成果もあがらない。
 いつも通り、表面上は何もないように話して、分かれ道で別れた。
「また明日」
 裕里は微笑んでいた。嘘偽りのないそれは、私を困惑させた。
「またね」
 彼女につられるように、私も微笑んだ。
 お互いに背中を向け合い、何歩か歩いた所で、私は振り返ってみた。裕里の背中は、遠くなっていた。小さくなっていた。でも、そこから哀愁だとか、疲労の色だとかは窺えなかった。表情はどんなに作れても、背中は隠せない、という話を聞いたことがあるが、裕里の背中からそれらは感じ取れなかった。
 と言うよりも、何も浮かんでいなかった。
 やっぱり、空っぽなのだ。彼女は中身のない毎日を送っている。何かのため、誰かのために生きているのではなく、生きるために生きている。
 私は泣きそうになった。私でも泣くことがあるのか、と自分で自分に驚いた。
 一人で足元の舗装されたコンクリートの道を見ながら、歩いた。止まれ、スクールゾーン、白線。それらに目を落としながら、俯き加減に歩いた。
 冷たい風が、びゅっ、と吹いた。私はマフラーに口までうずめて、寒い、と思わず呟いた。


 歩きながら、二つのことを頭で考えた。色々と考えることは、時が時だけにたくさんあるけど、ひとまず最重要課題として二つを頭に持ってきた。
 一つは、雪絵を殺した犯人のこと。私は、犯人は通り魔なんかじゃないと踏んでいる。そして、雪絵が殺されたことは、裕里がいじめられていたことに関係している。
 推理を後押しする根拠も証拠もないけど、私はこの考えに自信を持っている。
 現に、雪絵が死んでからいじめははたと止んでいる。
 それに、タイミングができ過ぎている。あんな相談をした後に、通り魔に襲われるなんて、たとえ雪絵が襲われる運命だったとしても、他にいくらでも適当なタイミング――適切でない形容表現は、大目に見てもらいたい――があったはずだ。
 もう一つ、さっきから、私は誰かに後をつけられている。今も電信柱にその身を隠して、私をじっと窺っている。ばれてないと思っているのだろうが、私には簡単に分かる。
 そして、そのつけている人は、あの話し合いをしたメンバーの一人と一致するし、雪絵を殺した犯人と一致する。
「ねえ、そこにいるんでしょう」
 私は立ち止まって、話しかけた。影がゆらりと動いて、あっさりと出てきた。
「やっぱり、あなただったのね。――圭佑」
 その影の主は、圭佑だった。


 私と圭佑の距離は、かなり離れていた。お互いに近付こうとせず、その距離のまま話し始めた。人通りは少なく、騒音もないので、聞き取るのに苦労はしなかった。
「何でおれだって分かった?」
 圭佑は落ち着き払っていた。いつもと変わらぬ、私の彼氏としての圭佑だった。
「あなたが殺したんでしょう、雪絵のこと」
 私は単刀直入に尋ねた。逃がしてはいけない。問い詰めねば。
「はは」
 圭佑は短く笑うだけだった。肯定も、否定もしない。
「裕里をいじめていたのは、雪絵だったんでしょう」
 圭佑の笑いが止まった。
「どうしてそれを」
 言外に、自分が犯人だと認めていた。――ここでも、残酷な現実を呈するか。
「実は、薄々、感づいてた。長期間に渡って、本人に見付からずに続けるには、裕里のことをよく知っている人じゃないと無理なんじゃないか、って」
 本当に思っていた。断定したくなかったが、雪絵がいじめの犯人というのは、私の中では自然な考えだった。
 ただ、動機は全く分からなかった。
「それは、おれも思ってた」
「あともう一つ」
 私は話せるだけ話そうと、彼に反論の隙を与えなかった。
「あなたと裕里の間に特別な関係があることも気付いてた」
 圭佑は、目を見張って私を捉えた。何でそんなことが分かるんだ、と言いたげだった。
「侮らないで。これでも、あなたの彼女よ。誰よりも、あなたを観察してきたわ」
 ただ、といったん言葉を切った。
「その関係が、恋愛感情が少しもないことも分かった。もっと深いような、それでいて浅いような……」
「あいつは、おれの家族だから」
 今度は私が驚かされる番だった。彼の発言に衝撃を受けた。
 家族?
 彼は、私に何を隠していたというのか。
「深いようで浅い、というのは言い得て妙だな。お互いを知り過ぎているが故に、改めて関係を一瞥する作業を必要としない」
「家族って、どういうこと?」
 私は説明を求めた。
「――腹違いの兄弟、ってやつかな。同い年だけど」
「腹違い?」
 思わず、裕里の顔を浮かべて、眼前の圭佑の顔と見比べた。あんまり似ていない。考えてみれば、似ていると思ったことはない。
「父親は同じなんだ。――石川は、親父の浮気相手の子どもだ」
 彼は淡々と話すが、その複雑な事情を受け入れるのには時間がかかったはずだ、と想像した。
「――浮気相手?」
「母親が浮気したんなら、それもごまかせたかもしんねえけど、お腹はごまかせねえからな。――おれの母親は、石川の母親を憎んだ。その憎悪を全力でぶつけた」
 圭佑の表情には、うっすらと青い筋が浮かんでいた。彼が怒りを覚えているとしたら、母親だろうか、父親だろうか、それとも雪絵だろうか。
「初めは、親父が生活費を援助しようとしたらしいが、母親が許さなかった。親父は罪の意識があるわけだし、母親に従うしかなかった。後ろめたくはあったけど、援助は全くしなかった。――おかげで、石川ん家は苦しくなった。石川は、ずっとぎりぎりの毎日を送っていた。……まあ、知ったのは数年前なんだけどな」
 彼はどうやって知ったのかな。父親を問い詰める彼の姿が浮かばれる。父親は、どんなに後ろ暗いことだったろうか。
 裕里の純粋さは、平穏な日々から培われたものだとばかり思っていた。けれども、その純粋さはすでに経験した絶望が後押ししたものだったのか。彼女は、上手に生きる術は、それしかないと感覚的に身につけたのだろう。
「同じ高校になったときは、驚いた。全くの偶然だったんだからな。家はそんなに遠くないと知っていたが」
「裕里とは、そのことについて話したの?」
 私がようやく口を挟んだ。
「いや、ちゃんと話したことはない。――おれはてっきり、恨まれるかと思ってた。おれを認めたあいつは、おれを睨んで、一言も交わしてくれないかと思ってた」
「でも、違ったんだ」
 裕里なら、間違いなくそうだろう。
「おれを認めたあいつは、小さく微笑んだんだ。飾り気のない、無垢な笑顔で」
「裕里はそういう人だよ」
 そろそろ、話を戻したくなった。雪絵を殺したのが圭佑なら、その動機を明らかにしなければならない。
「圭佑、雪絵を殺したのは、裕里のため?」
 圭佑は黙りこくった。視線をどこかにやって、口を真一文字に結んでいた。
「答えないの? じゃあ、私が言ってあげようか」
 私は自分の推論に確信はなかったが、強気に出た。
 すると、圭佑が口を開いた。
「石川のためだ。あいつは、石川をいじめて、嘲笑っていたんだ。楽しんでいたんだ。許せないと思った。――初めは、殺すつもりはなかった」
「包丁を持ち出しといて、それはないんじゃない?」
「だから、脅して終わらせようと思ってた。――でも、まあ、思い返してみると、冷静さを欠いていたかもな。内側から湧き上がる衝動に駆られてた」
 圭佑は、初めて後悔をその表情に浮かべた。
「……はは、やっぱ後をつけてよかった。気がつくとしたら、亜実ぐらいだろうな、って踏んでたから」
「私も殺すの?」
「ああ」
 圭佑は、鞄の中から包丁を出した。血がついている。あれで雪絵を殺したのだろう。警察が血眼になって捜している、あの凶器で。
「私のこと、そこまで好きじゃなかった?」
「いや、愛してたよ。でも、事情が事情だし――それに、自分の愛する人間を自分の手で葬れるなんて、素敵なことじゃないか」
 危険な思想を抱いている。本気で言っているのだろうか。
「あなたのしたことは、間違ってる」
 私は心底、恐怖で足が震えそうだったが、怯えを見せなかった。強気の姿勢を貫いた。
「ああ、自覚してるよ」
 彼が一歩ずつ、一歩ずつ近寄ってきた。ゆっくりと、私に死の恐怖を味あわせるように。
 私は彼を睨み続けた。逃げても、どうせ追いつかれる。叫んでも、死ぬのが早くなるだけだ。動じず、彼の改心を祈り続ける。この状況で改心を待つなんて、私はどうかしている。
「さよなら、亜実」
 ついに一歩前に立って、包丁を振りかざした。
「ありがとう」
 彼の声が震えていた。顔には涙は見えないが、心の内側が泣いている気がした。
「死んでくれ」
 私はようやく、死を覚悟した。


「そこまでだよ」
 圭佑の後ろから、彼の手首を押さえた人がいた。いつの間に来ていたのだろう。
「雄哉」
 圭佑が目を見開いて、後ろを振り返っていた。現れたのは、二本君だった。
「二本君――」
「危なかったな、橋葉」
 圭佑は二本君から離れようとしたが、二本君は強く手首を握って、それを防いだ。
「あっ」
 さらに、痛みのためか包丁を掌から落とした。二本君は素早くそれを拾い上げて、私の前に立ち、圭佑から守るように片腕を出した。
「話は全部、聞いてた。だから、事情は飲み込めてる」
 二本君は血のついた包丁で、圭佑を牽制しながら、私に話しかけた。
「だったら、早く出てきなさいよ。死ぬかと思ったじゃない」
 圭佑は呆然と立ち尽くしていた。狂乱しそうな気もするが、気勢を削がれたようでもある。
「いや、話をできるだけ聞いてから、と思って。――それに」
「それに?」
 二本君は、圭佑を直視した。「圭佑が橋葉をすぐに殺すわけない、って思ってたから。むしろ、殺すわけないとも」
 圭佑はうなだれた。そして、両手を広げて、短く笑い声を上げた。
「参ったな。雄哉がここで出てくるなんて。――負けを認めるよ」
 負け――。これは、彼にとってゲームだったのだろうか。雪絵を殺せたのは「勝ち」で、私を殺せなかったのは「負け」なのか。私は少し怒りを覚えたが、ひとまず彼の言うのにまかせた。
「もう、終わりにしようぜ」
 彼は、笑っていた。達成感か、徒労感か、本当の感情は見えない。
 冬の冷たい風が、三人の間を縫って、駆け抜けた。


「どこから話、聞いてたの?」
 私が二本君に尋ねた。
「だから、全部だって。橋葉の後つけてる圭佑を見つけて、その後を追ったんだ」
「気付かなかった」と言ったのは私。 
「分からなかった」と言ったのは圭佑。
「でも、吹石が石川をいじめてたなんて、予想外だったなあ。――そればっかりは、圭佑と共感できる。許せねえもん」
 二本君は、何でもないことのように言った。でもそれは、自分が圭佑と立場が逆だった可能性を暗に示している。
「でも、殺すのはもっと許せない。そこは、共感も理解もできない。悪いのは、お前の方だ」
 圭佑は俯いたまま、黙っていた。静かに、罪の重さを噛み締めているようだ。
「……圭佑」
 そんな彼に、私は優しく語りかけた。そうだ、もう終わりにしよう。そんなことを思った。
「私、季節の中で冬が一番好きなんだ。それと、冬に咲く花も好き。何でだと思う?」
 圭佑が、少し顔を上げた。口が半ば開いて、何の話をしたいんだ、と言いたげだった。構わず、続けた。
「冬の花ってさ、寒さに耐えて生きなきゃいけないんだよ。だから、とても強い。でも、見た目は鮮やかな彩りを見せている」
 だから、と言葉を切った。
「だから、冬に咲く花は、強さを内側に秘めてるの。私の言ってること、分かる?」
 圭佑はゆっくりと頷いた。
「あなたの裕里を思う気持ちが強いのは、理解できる。だからって、簡単に外側で爆発させちゃ、それでおしまいだよ」
「そうそう」
 二本君が継いだ。
「解決方法は、他にもあった。それが根本的な解決にならなくても、殺すよりは絶対にマシだった」
 圭佑は、目に涙を浮かべていた。「分かる」と一言呟いて、その場にしゃがみこんだ。
 裕里のしゃがみこむ姿と重なった。改めて、二人が兄弟だということを考えてみた。やはり、似ているらしい。


「近くに警察署あったよな」
 泣き終えた圭佑が立ち上がって、そう言った。「連れて行ってくれないか。自首するから」
「そっか」
 私は素直に受け取った。罪を償うのは、当然のことだ。
 しかし、二本君が待ったをかけた。
「待って。ちょっと考えてからにしよう」
 私は耳を疑った。
「何を考えるの? もしかして、圭佑を匿おう、とか言うつもり?」
「まあ、結果的にそうなるかもしんないけど――石川のことだよ」
「裕里?」
 ここで裕里が出てくるとは。
「いじめてた張本人とはいえ、それを知らない石川にとって親友の
吹石を失って、その上、異母兄弟の圭佑を失ったら、あいつの落ち
込みようが増すじゃん……」
 二本君の言いたいことは分かった。裕里を思って、せめて圭佑だ
けでも事件と無関係で終わらせようと言うのだ。
 頷ける話だった。警察の調査でいつか発覚するかもしれないが、
裕里のためには一人でも欠けない方がいい。今ですら、彼女は空っぽな毎日を過ごしているのだ。
「それは、そうだけど」
「だろ? だから――」
「だからって、人を殺しておいて知らん顔するなんて……私には、できない」
 これから、何食わぬ顔をして学校で共に生きるなんて、想像しただけでつらい。重い。いくら愛する圭佑でも、いや、愛する圭佑だからこそ、ちゃんと罪を償って欲しい。
「いいって、雄哉。おれは自首するよ」
「圭佑――でも、」
「言ったろ、終わりにしようって。終わらせるには、けじめをつけないと」
 彼の表情には、本来の清々しさが戻っていた。
「それに、石川はお前が支えてやれ」
「えっ」
 二本君は間抜けな声を上げた。「おれが?」
「おまえが。もちろん、亜実も。――こんなことしといて、偉そうなこと言う権利ないけど――雄哉がおれの代わりに、石川の傍にいて、見守ってやれ」
 付き合えとは言わないから、と最後に付け加えた。
「偉そうなこと言いやがって」
 二本君は照れ臭そうに笑って、「分かった、おれに任せとけ」と言い切った。
 ありふれた日常に戻ったのかと錯覚した。圭佑が殺人犯なのも、私が看破したのも、二本君が第二の殺人事件を防いだのも、そういう設定で、私たちはそれを演じて楽しんでいるだけではないかと思った。
 現実から目を逸らすな。
 そんな声が聞こえる。誰の声でもなく、私の声で。圭佑が人を殺したのは紛れもない事実だ。そして、私の前からいなくなるのも然り。
「圭佑」
 私は首輪を外された犬のように、勢いよく圭佑に抱きついた。
「亜実……」
 圭佑は悲しそうな表情で受け止めた。
「本当に、ばかなことして。裕里のためにあんなことするんなら、私のために思いとどまってよね」
「――ごめん」
「待ってるから」
「えっ」
 圭佑が戸惑った顔をした。
「ちゃんと罪を償って、帰ってくるのを待ってるから」
 圭佑は言葉を失った。隣の二本君も戸惑いを覚えたようだ。抱きついているのを見ないように、明後日の方向を向いていたのに、私の言葉に反応して、こちらを凝視した。
「こんなおれを……待っていてくれるのか?」
「待ってるよ。ずっと、待ってるから」
 そうだ、彼を待つことを生きる目的にしよう。生きがいにしてもいい。そんなことを考えた。
「……ありがとう」
 圭佑は涙声で、それだけ漏らした。また、泣くのか。彼の涙をこんなに見るのは、今までなかった。これからもないのではないか。
 圭佑は、警察署に出頭した。私たちも事情聴取された後、解放された。
 もう日が暮れていた。太陽はおいとましてしまった。また明日、お目にかかれるだろう。
 でも、圭佑にはしばらく会えない。

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