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理解したいと思える他人と一緒にいること。
誰かといっしょに暮らすというのは、驚きと疑問の連続だ。
家にいる時の格好や、歯磨きの時間、掃除の頻度や物をどこかに置きっぱなしなのか、その都度元に戻すのか。
私とパートナーは元からわりと気が合う方ではあったが、それでも意見が食い違うことはしょっちゅうである。
料理に対しては細かく、身の回りの掃除にはあまり神経質でないパートナー。
料理は大雑把だが、整理整頓はきちっとしておきたい私。
私にとってはどうして使った物を元の場所に戻せないのか疑問だが、彼にしたら大きさの違う玉ねぎのみじん切りを気にも留めないことの方が気になるのだろう。
でも意外と私たちは喧嘩もなく日常生活を送れていて、それは気になる方がやる、を徹底しているからだと思う。
お互いに得意なことと不得意なことがあるように、
気になる部分と気にならない部分はある。
私は食器洗いが苦手で、必ず洗い残しがあるので、全て彼にやってもらうことになった。
正直、自分が食べる分の多少の洗いのこしは気にならない。
しかし彼は気になるようなので、じゃあ洗ってくださいということで、私は一切手出しも口出しもしないことになった。
誰にでも、譲れない部分というのがあるのだと思う。
それを一方が押し付けたり、我慢するのではなく、
ここが気になるからどうして欲しいのか、話し合うことでしか他人との生活はうまく回っていかない。
大切にしている相手であれば、相手も居心地よく過ごせるように配慮するのは当たり前のことだ。
相手の主張に耳を傾けて理解しようと努めること。
自分の気持ちも伝えること。
他人との暮らしには、そう言った話し合いは必要不可欠であり、それがなくなった途端、そこはどちらにとっても居心地の良い場所ではなくなってしまうのだと思う。
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