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きっと人の本質は変わらない。と思ったこと


はじめに

約3年前、1人目の育休取得後に復帰した広告/営業職。期待に胸を膨らませて復帰したものの、初めての育児と仕事の両立に苦戦して、仕事と育児の狭間で自分を見失った。子育てと両立している先輩ロールモデルの存在もなく、復帰してすぐコロナ禍でカオスと思われるような仕事がスタートした。コロナは結果的に、働くママにとっては在宅勤務やリモート会議など、働きやすさの改善には大幅に貢献したと思う。ただ、サロンにとっては、どう売り上げを回復させるか・・・コロナ禍で多くの店舗が苦戦していた時期で、営業に対しての風当たりも強かった。
私は復帰後、このままではメンタル崩壊して子育てに影響する(すでに子供に対してイライラや感情的になるなど、、このままでは家庭が崩壊する状況となり)半年で退職することを選び、そこから私の自己分析は始まった。

前職について

私の担当顧客はいわゆる美容・リラクゼーション・フィットネスサロンだった。様々なサロンのオーナーと会い、経営やサロン集客についてお話をするお仕事だった。私は、たいてい自分もそのお店の一員になったつもりで、我が物事でお仕事をすることが多かった。営業としては、共感性が高すぎたのかもしれない。同時に、ただの営業として扱われると、自分を理解してもらえてないと、どこか悲しい気持ちになっていた。

社交性の面で営業職は合っていたと思う反面、数字のためにクライアントにプランアップを提案したり、テレアポや飛び込み営業は、相手の営業妨害を想像すると、どんどん心が苦しくなっていた。

前職までの悩み

なんでもっとオープンに相手と繋がれないんだろう?社名や営業、事務員という肩書きではなく、私という人間として、人と繋がりたいのに。。と、、仕事をしていての不甲斐なさのようなものも感じていた。(もちろんすべての職場でオープンに繋がれなかったわけでなく、商社時代は同僚や先輩に恵まれ、とても楽しい時間だった。)

営業だから相手に警戒されたり、数字を取ってくるのがお仕事という事はわかっていたが、自分の存在が誰の役に立っているのだろう?と、表面的に数字が取れて、広告掲載に至った店舗の売り上げ貢献につながったとしても、どこかで自分じゃなくてもいいんじゃないか?私だからこそ、できることをしたい。と思っていた。

3年前のノートに書いてあった理想の生活

3年前に自己分析を始めたときに書いていたノートを見返していて、
こんなことが印されていた。

・子育てをしながら時間や場所に縛られずに自由に働く
・個人として働く(会社名などの肩書ではなく自分の名前で)
・健康・美を大切にする
・旅行をする
・子供に英語教育をする
・感性を活かす
<作りたい未来>
・働くママたちの喜びを生み出す。人生をワクワク生きるママを増やす。
・情報が溢れていてモヤモヤする人の道しるべになる
・子供の個性が尊重される社会。子供の個性をのびのびと伸ばせる社会。

3年前に思っていたことが、今も変わっていなかった。

おわりに

日々、色々な情報や人に会って、色々な価値観に触れる中でも、きっと人の本質って深い部分では変わらないんじゃないかな?と思うんです。
自分が何に喜びを感じて、何に悲しみを感じるか?
様々な経験を繰り返す中で、自分というものが見えてくる。日々起こることとか、出来事に対しての感情に良し悪しはなく、全て含めて自分なんだ。と改めて感じている。






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