見出し画像

丸4年が経ちました

正月を迎えると、毎年、さあ!と気持ちが新たになるものだけれど、ここ数年は「あの日からもう⚪︎年かー」と思う日々も続く。

年明け早々父が亡くなってから、丸4年が経った。

4年とはどういう時間だろう。
まだ4年。もう4年。

あの日のことは時間を追って鮮明に覚えている。
母が亡くなった7年前の日のことも同じように覚えているけれど、より鮮明なのは年数の違いだけではないような気がする。

父の時は、翌日オットが、二日後に姉が来るまで一人で対応していたことも関係しているかもしれない。父との対面も、その後の葬儀社への連絡も一人でやった分、記憶の中でギュッと凝縮されている。

母の時は父がいて、いろいろなことをしっかりと主導してくれていた。私はそれをまぢかで見ていたので、父が亡くなった時に一人でもスムーズに対応できたと思っている。

先日、両親の墓参りに行ってきた。
お墓は実家の最寄駅と同じ駅から徒歩15分くらいのところにある。

実家はもう無いので、お墓がなければあの駅に立ち寄ることも、あの電車に乗ることもないと思うと、あそこにお墓を建ててくれたことに今さらながら、感謝したい。

そこに住んでいたのは15年にも満たないし、それほど思い入れがあるということでもない。でもやはり、二度と行かなくなることを考えると、年に数回とはいえ、そこは少し安心する場所だと感じる。

母が亡くなってから月に一度、父の元へ行っていた時は、必ず駅まで迎えにきてくれた。いつも「荷物が多いわけでもないから、別にきてくれなくても大丈夫なのになー」と思っていたけれど、今は改札を出る時、正面にある、大きな木の下に立って、私を見つけると軽く右手を挙げる父の姿を必ず思い出す。「暑い日も寒い日も必ず先に来て立っていたなー」と。

お墓は、駅を出て、実家とは反対方向なので、実は住んでいる頃はほとんど足を踏み入れたことのない一帯だった。母が亡くなってからも父とお墓参りに行く時は家からタクシーに乗ってしまっていたので、歩いて行くようになったのは父が亡くなってから。

昔ながらの商店街を通り抜ける。
自転車が無秩序に停められていて、歩道が狭くて、正直、歩きづらい。シャッターが閉まっているお店も多い。パチンコ店の賑やかな音もする。
それでも、とても感じのいい店員さんがいるお花屋さんがあったり(いつもお花はそこで買っている)、老舗のお団子屋さんがあったり(お供えもそこで買うことが多い)、外までいい香りが漂うパン屋さんがあったり、新しい発見ばかりだった。

両親が生きているころは馴染みがなく、歩いてみようとも思わなかったエリアに、二人が亡くなったあとに出会うことになった。そこを歩くことは思いがけず、毎回、嬉しいような、ホッとするような時間である。

さて、年末に書いた眼の不調。

点眼薬が効いているのか眼の奥が痛むことはなくなった。
今はパソコンに向かったり、本を読んだりしているときはタイマーを40分にセットして、目に効くツボを押しながら2分くらい眼を閉じ、眼の筋肉をほぐすであろうと言われていることなどをやっている。これまでやっていた足腰のストレッチも忘れずに。乾燥している外を歩く時はサングラスをしているし、なんだか体調維持のために毎日やることがどんどん増えていく気がする。

歳を重ねるとは、こういうことでもあるのか! 
しかしこれくらいのことで済んでいるのだから、年末の記事にも書いたけれど、本当によかったことであるよ!

それにしても、何かに集中していると40分はあっという間にやってくる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?