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からだを強く

「何か運動やっているの?」と聞かれて、相手との関係性もあるけれど、なかなか「ピラティス」と答えられないのが正直なところ。

ピラティスといえば、「おしゃれ」とか、半端ない「体幹」や「柔軟性」というイメージが世間一般にはありそうで、何より自分もそういうイメージを持っていた(いる)からこそ、「ピラティス」というワードと自分がやっている「ピラティス」が全く結びつかず、そのギャップのあまり自分の口から「ピラティスやってます」とは言いづらいのである。だって、自分がピラティスをやっている姿はどう贔屓目に見てもオシャレとはかけ離れているし、カッコ良くもないし、むしろ「ぶざま」を絵に描いたような感じで、体幹や柔軟性に至っては「は?」というレベルだから。

ピラティスを始めたきっかけは、もう10年近く前、一念発起してジムに通い始め、そこで知り合ったパーソナルトレーナーのMさんがピークピラティスのトレーナーだったこと。ピラティスを始めてみたいと自分から動いたわけではない。Mさんのトレーニングの一つとして、ジムの片隅に置かれていたリフォーマーという器具を使ってやってみたのが最初だった。その後、パーソナルを受けるたびに最初の20分くらいをリフォーマーでのエクササイズにあてるようになった。そして、数年前にMさんが、身体のメンテナンスを含めた専門性の高いリハビリ&ケアスペースを開業し、その一環でピラティスも行っているため、今ではそちらにかよっている。徒歩圏内にあるのも続けられる要因の一つだ。

ピラティスといえばマットピラティスが一般的だが、私はリフォーマー、タワーなどの器具を使うのが中心。スプリングの強度を変えることで私のように全体的に身体能力が「弱い」人もスプリングに助けられながら何種類もあるエクササイズを行うことができる。そのスタジオには現役アスリートもくるらしく、彼らは逆にスプリングの強度を高めてトレーニングとして行っているらしい。

そもそもピラティスは、ドイツ人ジョセフ・ピラティスが第一次世界大戦中の1914年頃、自らも勾留されたイギリス・マン島のドイツ人強制収容所でリハビリテーション指導を行なったことが始まりと言われている。そのリハビリで、ベッドのスプリングや酒樽の留め金を「抵抗」として利用したことが、今日のピラティスマシンの原点だそう。

私が行ける平日昼間のMさんのセッションは水曜日だけということもあり、ひと月に2回行ければいいほうで、先月は仕事が立て込んだこともあり、今月のセッションは何と2ヶ月ぶりだった。習い事は行かなくなると行けなくなる、ともよくいうし、私にもその経験はあるけれど、ピラティスにかぎっては今のところそうなってはいない。

セッションでは、とにかく集中する。パーソナルなので周りの人が気になるということはないし、それぞれのエクササイズには(私にとっては)いくつものチャレンジが含まれているので、そうしないとケガをする危険もある。でも、その集中が、気持ちよくもある。カッコよくいえば「自分の身体と向き合う」ということかも知れないが、私の場合はどうだろう、、「ここに効かせなきゃいけないんだよな」「内腿を寄せて、お尻を引き締めて、背中の力は抜いて、、ん、、むずかしい」「肘の高さは床と並行で、、」とかそんな感じなので。本当は頭で考えるよりも先に身体が動くようにならないといけないのかも知れないが。。でも、終わってみると、余計なことを考えずにセッションに集中した1時間は、とてつもなく心地よいのである。

最初は得体のしれない(!)リフォーマーに手も足も出なくて自分が何をどうやっているのかよくわからなかったし、Mさんに「ここはお腹でキャリッジを動かして」って言われるけど「お腹で動かすとは?」とさっぱり意味がわからなかった。けれど、10年前より、5年前より、1年前より、3ヶ月前より、自分の身体が柔軟性や強さの点では少しずつでも着実に前に進んでいるのは実感できる。人との比較ではなく、あくまでも過去の自分との比較でね。

在宅ワーカーにとって仕事を続けられる身体をいかに維持するかは重要で、下の記事のようにこの一ヶ月半の忙しかった日々では、翻訳が体力勝負であることも痛感した。自分の身体がこの忙しさを凌げたのは、40分ごとにタイマーをかけて椅子から離れ、これまでにMさんに教わった足腰のストレッチをし、たまにストレッチポールやヤムナボールに乗って調整できたおかげだと思っている。ピラティスを通じてお尻に筋肉が付いたので長時間座っていることが苦痛でなくなってもきている。こんなことを実感できるからこそ、たとえば効果をグラフに書いてみると、目を凝らして見なければわからない角度でしか伸びていなくても、ピラティスを続けたいと思えるのかも知れない。

が、まだまだ、強くなれると思う。何もバキバキな体にしたいわけではない。仕事も遊びも日常生活も、ある程度の強さや柔軟性を備えることで見える景色は違ってくるはず。40代の10年間、足のリハビリ生活が続いたことでなおさらそう思うのかも知れない。しかし、あの頃の私が今の自分を想像できただろうか? もう運動はできないと思っていたし、したいと思うこともないだろうと思っていた。ましてやピラティスなど想像したことさえなかった。1ミリもだ。そう考えると、人生の時を重ねるのは悪くない、というか、とてもすばらしいことだとさえ思う。何より、何も気にせず動けるようになるまで根気強くリハビリをしてくれた理学療法士さんに感謝です。

でも、仕事や遊びや日常生活を難なく行うのに必要なのは身体を強くすることだけではないはず。三食しっかり食べて、1日の終わりにお風呂に浸かって、ぐっすりと眠る。最後はやっぱりその繰り返しではないかなぁ、とも思います。




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