見出し画像

大阪北部地震から5年

 2018年6月18日,当時高校1年生だった私は大阪府茨木市にいた.その日は月曜日で,いつものように阪急茨木市駅にいた.高校へ通うため,路線バスから阪急電車に乗り換え,各駅停車の列車に乗り込んだ.そして,教科書を開き,英語の授業で取り上げられる文章を黙読していた.

 7時57分,電車は茨木市駅を発車した.ゆっくりと速度が上がり,車掌から「次は総持寺」のアナウンスが入る.ちょうど安威川にかかる橋梁にさしかかったあたりで,なにかぐらっとした感じがした.一瞬脱線事故が起きたのかと思ったが,予想よりひどいことになっていたのに気づくのはすぐの話だった.突如としてそこらじゅうの携帯電話から緊急地震速報が鳴り響いた.

 その橋の上で,思い切り列車は停まった.車掌からは「緊急地震速報を感知したためしばらく停止する」という旨の放送が入り,しばらく待機となった.ちょうどそのころから,携帯電話の通信状況が悪くなり,電話やSNSが使えなくなった.とりあえず,持ってきていた本を読んで待つことにした.

 9時を回る前には,クラスLINEに接続できた.高槻駅では照明が落下,漏水.登校できた者も校庭に集合,といった写真が掲載された.線路の分岐点に差し掛かっていた人は「一瞬吹っ飛ばされたような感覚」だったとのことであった.そして,自らも安否を報告した.

 9時を過ぎたころ,復旧の見込みが立たないため,線路上を歩いて駅まで戻るようアナウンスがあった.その通りに従い線路に降り立つと,バラストの感触が足元より伝わってきた.

 茨木市駅からは高槻方面に向かって歩き出した.橋はわずかばかり傾き,総持寺駅付近の踏切は閉まったまま.各駅に「運転再開の見通しが立たない」旨の刑事がなされていた.国道171号線は車道一面を車が覆いつくしもはや交通マヒが発生していた.

 なんとか家に戻ると,1台のテレビが落下し,液晶が破壊されていた.もう1台のほうでニュースを見てみると,やはり自身のニュースばかりになっていた.死者まで出たほどであるなんて,と思わずにはいられなかった.

 その次の日は終日休講となり,宿題をまとめて仕上げたり読書をするなどして過ごした.水曜日にはふたたび登校することとなったが,しばらくは雨漏りやつかなくなった照明を見ては地震のことが思い出され,学業に身が入らなかった.全国から警察や消防の方がいらっしゃっていたのが印象的であった.

当時の車窓 茨木市~総持寺間 民家の屋根瓦が落ちている
 この後も半年はブルーシートの屋根がみられた
当該車両から下車する
1列に並び茨木市駅に戻る
茨木市駅.梅田(当時)方面の駅名看板が落下していた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?