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ローカル線紀行 #01 芸備線1 新見~備後落合
はじめに
日本には数々のローカル線がある。北は稚内へ向かう宗谷本線、南は枕崎に行く指宿枕崎線。JR6社、私鉄、第3セクターと運営会社もさまざま。建設された時代だってバラバラ。大海原を望む路線もあれば、山と渓谷を楽しむ路線もある。SLや客車列車など、観光列車が走る線もある。
しかし、近年のローカル線をめぐる事情は厳しいものがある。JR各社は、ローカル線ごとに、赤字額のほか、営業係数(100円稼ぐために必要なコスト)や輸送密度(1日1kmあたりの乗客数)を公開し、その窮状を示している。
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そういうローカル線のうちのひとつに芸備線がある。芸備線は、新見駅から広島駅までを、中国山地の山あいを走っていく路線である。途中、岡山県新見市、広島県庄原市、三次市、安芸高田市を通りつつ広島市へ向かっていく。この路線の場合、沿線の人口減少やマイカーの普及のほか、広島〜三次・庄原の輸送について、並行して走る高速バスにシェアを奪われたことも衰退の要因である。それ以外の区間でも、三次〜庄原、庄原〜西城・東城の輸送も高速バスが担っており、芸備線の東半分の役割はもはや沿線の高校生の通学輸送くらいになってしまったのである。
乗車録
新見駅
旅の始まりは新見駅である。新見は岡山県北西部に所在する交通の要衝で、芸備線のほかにも姫新線(姫路~津山~新見)や伯備線(倉敷~備中高梁~新見~米子)が乗り入れる。伯備線は岡山と米子・松江・出雲を結ぶ特急「やくも」や東京~出雲を結ぶ寝台特急「サンライズ出雲」が乗り入れる中国地方の一大幹線として機能しているが、普通列車は岡山方面は1時間に1本、米子方面は2~3時間に1本と本数が多くない。姫新線も1日10本もないようなローカル線だが、芸備線はそれをもしのぐほど本数が少ない。途中の東城までは1日6本だが、その先備後落合まで行けるものは1日3本、しかも早朝、昼過ぎ、夜間しか選択肢がない。
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新見の町
新見の駅舎を一歩出ると、古からの街に行ける。「新見八景」の石碑が示すように、街には四季折々のさまざまな景観がみられる。
そのなかでも、高梁川がなした甌穴は見ごたえがある。山峡を急峻に流れ、岩石を削ることによって形成される。岩石が削れていく過程で、独特の様相を架線に示し、雄大さと迫力が伝わってくる。
また、江戸時代は鉄や米の集散地や牛市としての機能があったことも、陣屋町の景観からは見えてくる。
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出発
1両編成の汽車で新見を出る。もちろんワンマン運転であり、機械が案内を行う。しばらくは伯備線と一緒に渓谷の中を進む。乗っているのは鉄道ファンばかりで、地元の方はほとんどいないのである。どこまでも山峡が続き、駅に止まるたびにカメラのシャッター音が響く。
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次の布原駅は、伯備線の列車は特急はもちろん、普通列車も通過するほどの秘境駅。駅前には何もないこの駅の非常に狭いホームに止まるが、だれも乗ってこない。駅から汽車が発車するとすぐに静寂に包まれた。
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備中神代からは芸備線となる。列車の架線もなくなり、頭上にも青空が見える。川と、山と、時折集落が見える。並行して中国自動車道の高架がのぞかせており、あちらのほうばかりにトラックや自動車が行き来している。坂根、市岡、矢神、野馳と駅に止まっていき、わずかばかりの住民が列車から降りていき、運転士がきっぷを受け取る。
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東城駅
東城に着き、地元の住民の方はもう車内にいなくなった。かつては中国山地の中央部にある立地を生かし、山陰・山陽からの物流の集散地として東城街道が集まり賑わっていた。しかし、いまや山の向こうの庄原市の一部として、遠回りで本数の少なく遅い芸備線は使わず、公共交通では広島や庄原の市街に向けて高速バス、福山へは路線バスで行き来するのが普通になった。また、備中と備後が県境により分断されたことで、新見とのつながりも薄れた。
こういった事情から、ここから備後落合までは1日3往復しか走らない超閑散線区で、100円の収益に25000円の経費が掛かる恐ろしい区間が誕生した。沿線地域ではもはや高速バス・コミュニティバスのほうが公共交通の主力となるありさまだ。
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東城を出ると、いよいよ山峡ばかりが続く区間になる。山、山、そして集落といった様相を示す。ここでは、JR西日本が線路の保守費用を節約するために、列車の速度を時速25kmほどと極端に落とす「必殺徐行」が行われており、いかに乗客がいないかうかがわせる。唯一の景観は小鳥原(ひととばら)橋梁で、高さ30mの高さを誇る。中国地方一の高さの橋梁から、のどかな景色を拝もう。
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備後落合駅
備後落合駅に列車は滑り込む。向こうには三次へ山を下りる列車が止まる。1日に1回だけ、島根県宍道へ向かうものも止まる。
駅名は、広島、新見、宍道へ向かう列車が落ち合うことから来ている。地名ではない。それほど山深い場所である。それでもかつてはたくさんの列車が昼夜問わず往来し、駅前には乗り換え待ちの旅客のための商店もあった。「落合銀座」とまで呼ばれていたが、今や「ドライブインおちあい」だけがその名残を伝える。おでんうどんが夏以外は食べられ、かつての栄光を思い起こさせる。
栄華がわかるのは、この駅の駅舎に入った時からだ。駅舎の中には、かつて走ったSLや急行列車の写真が展示され、ちょっとした鉄道博物館になっている。そして、ときおり元国鉄マンの男性がこの駅のことをガイドしてくださるので、傾聴することもできる。
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