それが愛でしょう

『フルメタル・パニック』の『それが、愛でしょう』という歌をずっと聴いていた。心地よく奏でられるメロディーが僕を包む。僕は世界の美しさのようなものに触れているような気がしてくる。そうして、永遠の時間が僕を愛撫してくれるような気がしてきた。
時を遡行できたらいいのにね。
この甘美な夜が永劫続けば。
皓々とした月光がいつまでもいつまでも僕等の頭上でその輝きを失わずに、見守り、包み、寵愛し続けてくれたら。
この悠久の営みの中で誰もが願っていた。
「ああ、この愛すべき瞬間がずっとそのままで在ってくれたらいいのに」と。
 神はいう。「変わらないでいいのだよ」と。その託宣は慈悲深く、莞爾として微笑んでくれる神に人々は祈っていた。
幾星霜、僕も切望しただろうか。どれ程に希求しただろうか。「時間よ、この世を統べる神よ、僕をこのままでいさせてくれ」と。
時が堆積していくなかで新たに生まれゆくものはなんだろう。不可逆な摂理の随伴者とならざるを得ない僕等にあって、その過程で何かが胎生していくならば、それは僕等のこれからの人生における意義になるはず。


楽しさを共有し合える人達がいてくれました。
それは、苦が同居するこの世界のなかで、目を瞑れば視えてくる素敵な光景。これがロマンティシズムの夢想だとしても、ナウシカが語る友愛の精神をもって、僕はその夢想を優しく、大切に、抱きしめていたい。『僕の地球を守って』のあのありすのように。

言葉は、書いた者の想いを刻みいつまでも残り続けます。僕は書き続けます。刻まれた僕の想いが繋がっていってほしいなって願うから。
それ自体はただの概念、コードに過ぎないかもしれません。言霊というのは本当で、言葉はそれを発する人間によって大きく意味を変えるのです。

明日、僕はまた僕自身の問題に頭を悩ませているでしょう。この身体は、この精神はこれからも自分自身の目覚めを欲し、糧を欲し、快楽を欲し、平安を欲するでしょう。そんな自己保存の欲求を僕は僕自身から剥奪させることは出来ません。人の為にと謳いながら、一方でやはり己の為に生かんとします。
それでも、世界に僕と同じ様に苦悩するものがいることをいつだって忘れたくはないです。そして、ずっと、僕の傍にいて僕を生かしてくれていた人達をも。何度となく絶望が己を囲繞しそうになりながらも愛するまどかを救うためだけに希望を失うことなく、闘い続けた暁美ほむらのように。
彼女は、弱い自分を捨て葬りさる儀式として眼鏡を外した。その表情に現れた眼差しの揺るぎなき決意は、彼女の確固とした意志の強靭さを示していた。暁美ほむらは過去に戻ることを繰り返しながら、過去の自分に葬式をあげた。そして、在るべき未来のために今を生きることを決断した。暁に照らされる美しい、ほむらのような曙光を信じて。信じて。信じて。
かのベートーヴェンは知人に宛てた手紙のなかで表白しています。
 
 「人間はまだ何か善行をすることができる限りは自ら進んで人生から去ってはならぬ、という言葉をどこかで読んでいなかったら、ぼくはもうとっくにこの世にはいなかったであろう-もちろん自分自身の手によって」
 
 そして、自らのノートには次のように書き記しています。

 「服従すること、おまえの運命にどこまでも服従すること。おまえはもはや自分のために存在するということはできないのだ。単に他人のためにしか存在できないのだ。おまえにとっては、おまえの芸術の中にしかもはや幸福はないのだ。おお、神さま、自分に打ち勝つ力を私にお与え下さい!」

 なんという悲壮な決意でしょうか!須く偉大な芸術家にはこのような気質と覚悟が備わっていなければなりません。そしてそれは実際に生きた彼等の歩みの中で裏付けられています。ロマン・ロランは語ります。

 「思想あるいは力によって勝った人々を、私は英雄とは呼ばない。心によって偉大であった人々だけを、私は英雄と呼ぶのである」と。

 
 この手を伸ばしたい。そっと触れるように優しく。そして、それが私の生きる意味とならんことを祈ります。


書くという行為に喜びを覚えます。それは今も何ら変わりません。倫理学の、哲学の、文学の、教育の、漫画の、アニメの、精神医学の、英語の、古文の、漢文の、日々の何気ない雑感の…etc、そうした凡ゆるジャンルの事を自由闊達な心持ちで書き連ねていきたいと切願するこの心は過去と現在とを繋ぐ僕のイノセントなセンチメンタリズムです。
また、皆様が綴られたものを拝見しては刺激を受ける事も喜ばしきものでした。人は他存在と、それは社会や環境との紐帯によって主体的に生き、また生かされているのだと実感致しました。
DMで質問等をくださる沢山の沢山の全国からの人達。慶應義塾の理念たる「半学半教」を、皆様から僕は確かに自らの血肉としてこの方寸に刻むことができました。皆様から届けられる多くの言葉は言霊のように、確かな力を有しながら僕を感化させてくれました。ありがとうございます。

私の家の周りの景色は10年前とだいぶ変化しました。更地やアパート等になっていないでそのままに残っているものの方が少ないくらいです。
「人も町も、全てが変わらざるを得ない。」それはかのCLANNADのテーマですが、この厳然たる事実は僕をして哀切の残滓となって留まり続けては胸を痛ませます。しかし、この悠久の営み、大きな時間の流れにその身を委ねながら、僕等はこの世界を生き続けていくのです。

ドストエフスキーの臨終の顔が浮かんできます。偉大なる苦悩者の相貌は優しく穏やか。
ドストエフスキーは僕を魅了し、救った。僕も、救いたい。僭越な願望であろうが、それでも誰かを救える自分になりたい。


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