邂逅

「きみにこれを贈ろう。」出し抜けにその男は言った。
 突然目の前に出現したその男の唐突な、それでもどこか胸を穿つような声色に、僕は刹那、周章狼狽した。後、そんな己の態度を自嘲した。こんな男、こんな精神の脈動、そんなものは僕にとってもはやどうでもいいことだ。僕は今、悲しみの底にいる…。
 「あなたは何ですか、一体?」ぞんざいな口調で僕は問い返す。
 「これは私の書いた『カラマーゾフの兄弟』の続編だよ。ここにはアレクセイの現在が綴られている。」男はあくまで平静に、柔和な表情を保ったまま僕の問いかけなど無視するかの如く、馬耳東風の様で続ける。素性の知れぬ男の発言は、悲痛のうちに凍りつき、静止し、死の淵で無言の苦痛を甘受していた僕の心をさざめき立たせた。理性と絶え間なき肉感との不条理な律動が僕に、今、ここに立っている男の存在をわからなくさせていた。
 「あ、あなたが?カラマーゾフ?な、何を…、一体…。」僕はその人物が何を発しているのか、その意味を皆目掴みかねていた。だが、認識の不如意は一瞬間の停止であり、僕はすぐさま現況自分が陥っている不可解な現実との折り合いをつけ分別をもって二の句を継いだ。だがその内容といえば、自分でも凡そ失笑を禁じ得ない程奇妙奇天烈なものだっただろう。こうして追懐する段になって僕はそう思っている。それでも、その時の僕はかかる心理に何故か些かの奇怪さすら覚えなかった。
「ドストエフスキー!?貴方はドストエフスキー、フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー本人なのですか?そうなのですか!?」僕は急き立てられる興奮を抑えきれずにそう叫んだ。
 「ああ、そうだよ。キリストさまがね、あのおかたが私をきみのもとへ遣わしてくださったのだよ。あのおかたはきみが絶望していることにとても心痛めておられたのだ。」
 その男、偉大なるロシアの文豪はゆっくりとした口調で僕に優しく語りかけ続ける。莞爾として微笑む彼の姿は、まるで彼の口にするイエス・キリストその人のようであった。
 「ああ!貴方は本当にドストエフスキーなのですね!!おおっ…おおっ!僕は、僕はどんなに貴方に会いたかったことか!どれほど渇望し、どれほどこんな出会いを夢みていたことか!これは奇跡なのですね!!あの、永遠なる神のお導きなのですねっ!!」
 「あのおかたは全てをみていらっしゃるのだよ。」彼は笑みを絶やさずに言う。ああ、なんて綺麗な、澄んだ眼をしているのだろうか!
 「アレクセイの編纂した司祭スヒマ僧ゾシマ長老の生涯はもう読んでもらえただろうか?あそこには長老の生涯を貫く彼の全思想、その精神の全てが描かれておる。そして、その崇高なる修道僧の教えは十三年後のアレクセイ、つまりこの『カラマーゾフの兄弟二部』の中で生きる現在の彼に確かに受け継がれているのだよ。偉大なる長老の魂はしっかりとアレクセイの内奥に刻みこまれているのだ。
 きみは長老の法話を覚えているかな?長老は俗世を大変に気にしておられた。教養ある知識人達が教会をかろんじ、修道僧の住まう僧院を疎む現状に大いに心を痛めていた。ロシアの修道僧達が皆怠け者で、社会の何の役にもたたない無益な存在なのだと彼らは罵るのだ。あの転換期にあった十九世紀中葉のロシアにあって、他人の労働で生きているようにみえる修道僧連中に我慢がならなかったのだ。長老は伝えたかったのだよ。修道僧達には孤独を愛し、それを自ら望み、静寂な闇の中で熱烈な祈りを捧げることを渇望する謙虚で柔和な者が非常に多いのだという事実を。そして、これらの人々からロシアの大地の救いが出現するのだということを。修道僧達は『その日その時のために』こそ修行を積んでいるのだよ。そしてその修行こそは、古来継承されてきた神父、使徒、殉教者達の似姿、キリストをそのまま保とうとする誠実なる努力の結晶なのだよ。」
 「それで、長老の法話とは何なのでしょうか?ゾシマ長老の憂いは、知識人達が修道僧の人を理解出来ていないということなのでしょうか?そして、それが彼の説教ということなのでしょうか?」
 僕はドストエフスキーの幾分速くなったその口調についていけなそうになったため、彼の弁舌の
間隙を縫って思わず口をはさんだ。<きっと、彼が妻アンナに聞かせた口述筆記はこんな感じだったのだろう。>
 「ああ。長老の憂いはそんな教養ある人々が修道僧達のような神へと至る道を捨てさり、科学を信奉し過ぎるところにあったのだ。長老は科学によって精神の世界が斥けられ、追い払われるこの近代の世界が、誤った自由を標榜しそれを高らかに宣言していることを嘆くのだ。」
 「誤った自由、ですか?」
 「そうだ。そしてその誤った自由の先にあるものとは、富める者にあっては孤独と精神的な自殺、貧しき者には妬みと殺人に他ならないのだ。その世界では人々はもっぱらお互い同士の羨望、色欲、尊大さのためだけに生きることになるのだ。」
 「長老の危惧は世相の荒廃にあったのですね。ああ、僕思い出しました。長老は確かにそんな事をおっしゃってました。長老は今の科学一辺倒の世の中に憤っていたのですね。」
 「いや、違うよ。長老は決して憤ってなどない。長老は全てのもの、全ての生命を愛しておられるお方なのだよ。彼はただそんな世界が悲しかったのだ。ただただ悲しんでおられたのだ。そして長老は修道僧の道を再び人々が知り、彼ら僧達を祈ってくれることを望んでいたんだ。それは、僧達が熱心に行う贖罪のための勤労、精進、祈祷などが真に人々を自由へと至らせてくれる道であって、人類の全世界的な兄弟愛の精神は、これら偉大な修行の中にしかありえないからなんだ。長老は神の造りしあらゆる創造物を愛せよと言う。それは文字通り、梢の先の葉っぱ一枚、路傍の石ころから神の忠実なる僕である私達人間まで、世界に遍く存在する全てのもののことを意味している。この長老の言葉には、あらゆるものを愛想という心のなかにこそ神様の御心を知ることが出来るのだという思いの表れがあるのだ。またこの心は科学に追従し、霊的な生き方を見失ってしまってはとても育む事は出来ないのだよ。そしてこれこそゾシマ長老の説法の本質なのだよ。誰もが全てのものに罪があり、だからこそ誰もがあらゆるものを愛そうとするのだし、許そうとするのだ。」
 僕はいつのまにか彼の言葉を涙を流しながら聞いていた。おお、この落涙よ!この感動のなんという法悦よ!
 「マルケルも、マルケル兄さんもそうでしたね!」
 「そうだね。マルケルもそうだった。後、彼は愛に包まれながら主の下へ還っていったんだ。そしてこれらマルケルやゾシマ長老の生き様や思いはこの本の中で生きているアレクセイにしっかりと受け継がれているんだ。十三年前の彼は心優しき善良な信心深い青年だったね。でもここで描かれる彼は世界を救うキリストになっているのだよ。アレクセイは絶望し、不幸のどん底にいる人達一人一人の涙を拭い、しっかりと抱きしめていったのだ。」ここでドストエフスキーは言葉を止め、今一度その優しげな瞳で僕を睥睨した。
 「……だからね、そんなアレクセイがこの書に刻まれているからこそ私はきみにこの『カラマーゾフの兄弟二部』を渡したかったのだよ。私はきみが小生の書いた作品を愛してくれていると知っていたから。そう思っていたとき、そしたらば、あのおかたが私をきみの前に遣わしてくれたのだ。『汝、それほどに求めるならばいくがよい。私は今一度汝に肉体を与えよう。さあ、いくがよい。今一度現世に行き、一人の青年を救ってくるがよい。』と告げられたのだ。……ようやく私はこの書を授けることができる。世にでることのなかったこのアレクセイの書を。きみの絶望は、その深い悲しみはアレクセイの魂と感応することだろう。やがてその苦悩は浄化され、苦しむ他の人達を今度はきみが癒すだろう。」
 涙はもはや止め処なく流れては眼窩に充溢した。歓喜が僕を支配し、滞っていた身体の全細胞は再び躍動しだした。僕は声を詰まらせながら言った。
 「じゃ、じゃあ、ア、アレクセ、アリョーシャは、皇帝を、ツァーリを殺さないんですね!その、コ、コーリャに命じて、その……」
 「アレクセイは誰も殺しなんかしないし、勿論誰にもそんな事指示しないよ。」
 嬉しかった……アリョーシャは社会主義者の革命家になってテロルを起こすなんてしなかったんだ。
 「…さて、私はそろそろ神の地へと戻らねばならない。もう時間がなくなってしまった。きみが私の『カラマーゾフの兄弟二部』を読んで少しでも苦しみが軽くなってくれるなら嬉しいよ。」
 この胸に寂しさはなかった。だってドストエフスキーは僕に会いに来てくれるより以前から僕を見続けてくれていたのだから。そしてこれより未来も彼は確かに僕を見守ってくれるのだと思っていたから……。僕の心にはドストエフスキーの精神が存在している。それはゾシマ長老の精神が永遠にアリョーシャのなかで息衝いていくように、僕の方寸で久遠に脈動していくはずだ……。
 僕は叫んだ。
 「最後に言わせてください!フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー!貴方は立派でした!貴方は実際に多くの人々を救ったのです!そして今、貴方の理念は時を越え、国を越え、世界中の人々に受け継がれています!貴方は偉大だったのです!!真に偉大だったのですよっ!!」
 ドストエフスキーは瞑目していた。そして手を組み、それを眉間にくっつけた。それはまるで祈っているかのようであった。
 「ありがとう。小説を、書いたかいがあったよ。」そう言って彼は消えていった。

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