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日記

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日々の所感を述べます。
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2020年3月の記事一覧

ここが居心地がいいや。『黒い雨』の矢須子の最後の執念には凜子たる強さがありましたよね。私も、最後まで不満足なソクラテスでありたい。人間の強さを抱懐していたい。この、この忌むべき不安と生活にとらわれたくない。諦めたくない。何故なら、私は眉目秀麗で、優等で、そして死ねないからだ。

はる
4年前
3

恒産無くして恒心無し。生きる為、時間はその為に今は優先的に使うよう努めねばならないが、大学入試問題を解いている時は本当に楽しい。この「楽しい」という無邪気さは生徒や学生であれば歓迎されるものであるが、社会に生きる者にあって、斯く作業は「今まで何してたの?」となりかねない。

はる
4年前
1

感傷でもなければ、ここを聖域化しているわけでもない。それでも、「受験」という俗的なもの、換言すれば社会的結合が強いものはこれまで書かなかった。私は教育に携わっている。Twitterをやめ、今後どうなるか不明だが、生き延びられたらこちらで受験、学習についても書いていきたくは思う。

はる
4年前
2

朝から晩まで死ぬ気で勉強し、死ぬ気で就活をしている。その悲壮の刺々しさが故か、Twitterという場所に言葉を吐露できなくなった。「死ぬ気」とは月並みたが、私はお金も行く場所も公的支援も冗談で無く受けられず、それが冗談で無い限りにおいて、死ぬ気で活動するのは必然的ですらある。

はる
4年前
1

不安に押しつぶされそうだ。けれど、やらなければならない。悲観的想像だけれども、たとえコロナ問題が拡大の一途を辿ってしまっても、それでもやらなければならないんだ。何故なら、お腹が空いてしまうから。激甚な苦痛を恐怖するから。

はる
4年前

春は自死が最も多い。光(歓喜)が強ければ影も強くなるからだ。影は光の存在によって否応無く自身の姿を強調させられる。それは影にとって堪らなく、塗炭の苦しみである
現実はいつでも仮借無く屹立する。
光がある限りにおいて影は自分が自覚される。ここに影の取る道が胚珠する。

はる
4年前
1

Twitterの嫌なところは沢山あるが、「いいね」を付けたツイートが、見たくもないのに、流れてくるところが一つ。これを制限する方法もあるようだが、煩瑣そうでそこまでしたくない。ここから導出されることとして、畢竟、Twitterは玉石混淆に過ぎ、それは今の私には醜悪至極である。

「普通に暮らせている、ということに、もはや感嘆してしまう。」早稲田国教出典のパロディだが、本気でそう思う日々。Twitterでの私を知っている方に説明は不要だろう。ここ3日で早稲田全て、関関同立全てこなした。マシーンの様に。私立進学校で教鞭を。だが、今の私に社会は酷薄だ。

はる
4年前

やっと模擬授業の古文範囲が終わった。次は現代文範囲だけれど、プリント作成をする気力がないから、今日にまわす。これからは少し休憩して、エントリーシートを書いて書いて、それはドストエフスキーの後妻アンナのように、書きます。人間、任務があると神経伝達物質が賦活するようです。

はる
4年前

マシーン

はる
4年前

文章は人を表すといえば、何を月並みなと半畳を入れられるであろうが、大事なことなので繰り返す。肝要なものは形を変えて繰り返される、は評論の常。Twitter時代、私はある人の文章が好きで、なだいなだ氏みたいと述べた。なだいなだ氏の文章は読み易く、含蓄があり、そして優しい。

はる
4年前

模擬授業用の現代文が終わった。ES、各学校の特色、面接対策、教職教養の勉強をしないとならない。とにかく応募すれば何かが起こるかもしれないので、優先順位としてはESとなる。専門筆記の準備は必要ない。それは日常だから。誠実で快活な東大修士の友人も非正規。どこかおかしい気がする。

はる
4年前

傲岸不遜な物言いは自覚する。しかし、また書類選考で二校落ち、社会に対する偏見が亢進しているが故に吐露する。買い物に行った。ティッシュやらトイレットペーパーやら、そういったものがすっからかんであった。大衆は思考しない。大衆は愚かだ。根拠なき常識的な何かにただただ流されている。

はる
4年前

Twitterから自分の好きな拙投稿をコピーアンドペーストしたい時があるが、一瞬でも気を抜くと、今の私には耐えがたい、あの放縦なタイムラインを見ることになってしまうがためになかなか開けない。Twitterで自分が感謝や尊敬の念を抱いたのは1割程であったのかもしれない。