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私の個人主義

私の個人主義。妙に収まりが良くて、確固とした芯のある響きだな

「自分本位」ということについて
探り探りで信じていくような5年間を過ごした。眠気覚ましに、と一番面白そうだった夏目漱石の「私の個人主義」を一部読みながら脳みそがぐるぐる動き回る。

そういえば、自分は誰とも違うDNAをもつ唯一無二の人間であることを言い聞かせられるような環境で「唯一の自分」を自他共に見つけていくためにアイデンティティや自己決定についての重要性を考えたり考えなかったりしてきたのだった。同じような話を幾年と聞いてくれば寝ながら聞いていても分かる。
だけど、目の前に広がる環境は必ずしも自分がただ一人の存在であることを肯定的に捉えられる状態ではなくて、むしろ、自分が誰とも違う人であることすら疑う日々が続いた。たくさんの個性的な人たちに囲まれて過ごしたきたことは、もちろん楽しくもあった。笑うことも愉快な気持ちになれることも、時々文字通り棚から牡丹餅のような出来事に心躍ったりもした。でも戻りたいとは思わない。人は自分にない者ばかり欲しくなる、とよく言うそれは本当にそうで、自分には人を笑わすことができるような言葉や発想も、輪の中や人前で発言できるような行動力や度胸も、何かささやかでも誇れるような特技や知識もなかった。誰からも嫌われないためにへらへらして下手に出て少しとぼけながら笑う、そういったことしか誰かとの肯定的な違いを見出せなかった(そしてそれはあまりに些細)。羨ましいものばかり強くなった。強烈な個性、たくさんの友人、誰かからの承認。



そうだ。一言でいえばそれに尽きるのだ。
誰かの中にいたかった、出来れば多くの人から認められていわばずっと思い上がったような状態でいたかったし、それは言い過ぎでも、誰かに認められて安心したかった。

「自分本位」という言葉について。
この言葉を早いうちに知ることができて本当に良かった。
誰かの評価に自分の評価や意見が囚われて閉じ込められるのではなくて、夏目漱石でいう「文学」ということについて自分の考えや力でいちから創造していくことのように、あくまで何かについての価値判断を自分の尺度で、自分の考えで決めていくこと。そうしたら一気に不安はなくなった、と夏目漱石は言うが、それは感覚が冴えわたっていくなか手に取るように自分にも分かる。



誰かの評価や承認にばかり気が滅入っていた自分はいつしか、どういう文脈でか、自分の心そのものが惹かれ、憧れるものを知った。考えるということによっていくらでも視野が広がることへの感動と、それらを知る人々が見てきたものの数々、まだ自分の知らない思考への強烈な羨望を知った。
自分のこの内面こそが自分の捉えることのできる世界のいろやかたちを決める。ならばこの心をもっと豊かにしたい。誰に影響されるわけでもなく潜在的に憧れてやまないものたちを大事にして、何が大事が何が評価軸なのかは自分の心が決める。
そのことを強く自覚できたこと、その波の中で少しでも揺らいだり中身のない自分をおきざりに出来るだけの速さで過ごしていこうと思ったこと、この5年間の何よりの宝物かもしれない。

まだ自分が何を言っているかも分からないしこの言葉たちに一本の芯があるかも定かでないしきっと未熟すぎて今見返すことすら憚られる。一等怖いのはこの憧れも何かの幻影が生み出した作用かもしれないことと、結局は心のどこかで軽蔑しつつもどこかで羨んでいる人たちと違うところに行くために作り出した盛大な言い訳かもしれないこと。
自信はない。だけど日々を過ごす上で、心持ちの向きは決まったと思う。もう何が起こって誰かが何してようとある意味で穏やかでいられそう。大事なものと心の余裕さえ守れば。

そんな時期と重なって見つけたとある文章について。

自分は人の文章を読むのが好きだ。その人にしか出せない表現や言葉の雰囲気を感じられたとき、特に純粋に楽しいと思う。
中でも印象に深く残った文章がある。俳優・河合優実さん「人生を変えた映画」というテーマで書かれた俳優・河合優実さんの文章だ。

文章の持つとてつもない熱量、力強さ、読んだあとの衝撃、胸の高鳴り、渦めき、今すぐ抜け出してどこかへ向けて走りたいという衝動、どれをとっても忘れがたい。
何より、「愛することに人生をかけたい」という言葉が、自分の中に強く、眩しく埋め込まれてしまったな。今うまく言葉にできないようなものも、いつだって読めば全て初めて読んだときのドキドキやワクワクと一緒に思い出せる。きっとこれからもそういう存在で居続けてくれそう。
ただ、胸に湧いた渦が具体的に何を指しているかは見えない。
だから今は視野や感受性を広げたい一心で好きなもの憧れることにたくさん触れたい。考えていたい。


いつもならここで、アイデンティティの確立やよりよい自己決定のための手段や要因として挙げてくれているものを適当に挙げて文章も思考も締めくくっているが、そう締めくくった先に繋げたい行動が続いていくようには思わない。
だから今日はとりあえずこの一言、「愛することに人生をかけたい」という言葉の持つ強さを信じていくぞ!と自分向けに宣言する。
そして「私の個人主義」中での「自分本位」という言葉、この言葉をトリガーに繰り広げたこの思考を忘れない。日々を愉快に楽しみつつ、同じような落ち込みかたの繰り返しをやめていく。こういうことを念頭に置いていけば、思考がめぐる日々ふとしたときに素敵なアイディアが浮かぶかもしれない。何となく心の望む方へ行動が傾いていくかもしれない。今までの試行錯誤のすべてを歴史として今がある。同じような歴史はこれからも更新されていく。できるだけの速さで日々を過ごしていく所存。

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