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援助要請と自己決定②

りょーサンです。
僕は、放課後等デイサービスや学習塾、フリースクールを運営しています。このエッセイはその視点で子育てや教育とは何か??実践を言葉にする取り組みです。

前回に引き続き援助要請と自己決定。
前回は、大人の相談(援助要請)に置き換えて、大事なのは「寄り添って聴く、一緒に考える、自己決定が前提」って仮説を立ててみました。
子供との関わりにおいても基本的には同じです。
子供の方が、対応が多様で、手厚さが違うだけだと思っています。

今日は、読ながら「確かに大事だなー」って思ってもらえたら嬉しいです。「でもムズいじゃん!」って思ってもOKです。原則の話、、、ですから。

子供の援助要請に応答する

前回の話を踏まえ、大人が子供の援助要請に応えるとしたらそのプロセスは以下に言い直すことができそうです。
① 困り感について、寄り添って、その声をしっかりと聴こうとする
(結果、話してくれるかは子供次第)
② 一緒に考える、というプロセスを作ろうとする
(結果、一緒に考えるかは子供次第)
③ 最終的な選択権は子供にある
(結果、選択肢するもしないも子供次第)

そう、全てにおいて「子供次第」が伴うんですね。

自己決定、、、これもまた重要です。

人権意識が高まり、生き方や価値観が多様になってきた現代において、人生の大事なことは自分で決めることがより重要になってきていると思います。
どんなところに進学し、就職するか、どんな仲間と付き合い、誰と結婚し、どんな家族を作り、何を趣味とし、どんな家に住み、誰を愛するか、あるいはこれらを選択しないか。
どのように生きたいか? どんな人生にOKと言いたいか?

それを考え決めるのは自分自身です。
そしてそこに明快な答えはありません。
その都度、自分なりの納得いく答え(納得解)を自分で導くしかないのです。
周囲ができることはあくまでそのサポート、伴走、協力です。

そして自分で決めたことは、いろんな意味で事後的なリスクが低いです。
たとえそれで失敗したとしてもリカバリーが効きやすい。
逆に、誰かが勝手に決めたことは「誰かのせい」にできます。そのせいでなかなかリカバリーができないことも多いのです。

自己決定をおろそかにすると、、、

大事なことを親が勝手に決めたことで、それについて何年もずーっと愚痴られるという言う事例も見てきました。
「あの時、お前たちに勝手に決められた!」って言われ続けるのです。

一方で、日頃から、大人がお膳立てし過ぎてあれやこれや決めてきてしまったせいで、大事な時に「決められない」「誰か決めて」と言う子供たちも見てきました。
そしてこの姿勢は何かあれば「誰かのせい」にできる余地をつくってしまいます。
たとえそれが自分の人生のことであったとしても。
(付け加えると「誰かのせい」にする余地が必要な時もあります。念の為)

だから自己決定をしていく力、とても大事なのです。

この間のキャンプの焚き火。炎って原初的な感情を呼び起こしてくれる感じがします。気のせいかもしれないけど、これが大好きでキャンプはやめられないのです。

援助要請の応答から自己決定支援へ

子供たちには生まれてから成人するまで、たくさんの試行錯誤するなかで「自分で決める」と言う経験をたくさん積んでほしい、僕はそう思います。
そして、自分で決めるプロセスを協力的に一緒に考えること、それが子供の援助要請に対して大人ができることです。
可能であればそこで子供にとっての「納得解」をつくること。

もちろん、子供は決められる範囲は大人より小さいかもしれない。
聴こうとしても、ただ暴れるとか泣くだけで、言葉にするのだって難しい場合があるし。
一緒に考えようとしても、「もう考えたくない!」「あっち行って!」って言われるかもしれないし。
選択肢を示しても、「そんなこと自分じゃ決められない!!」って言われるかもしれないし。
あーーーもう!じれったいなあ!なんなんだあ!!お前はーーーー!!!」
って言いたくなることもあるでしょう。
そんなのに付き合っているヒマがない!と思うこともあるでしょう。
支える側(親や支援者)の気持ちのコントロールも、その先どーするかの塩梅も、とても難しい、、、。

難しいからこそ、原則を大事に

ただ、少なくとも応答する側は、「寄り添って聴く、一緒に考える、自己決定が前提」この三つの姿勢を保とうとすること、これを意識したいのです。
保とうとするその姿勢だけで何かがグっと変わります。日頃からのちょっとした意識です。
子育てや教育において、原則を大事にすることってとんでもなく大事です。
この場合の原則はあくまで「完璧な達成は無理、でもその方向に向かおう」っていうようなものです。方向性自体であり、達成が目的ではないのです。

だから難しくて無理!でもOKです。
たとえば、子供からの援助要請の発信があって、そのとき時間がなくて「今忙しい!」って大声で答えてしまったとしても、ちょっと立ち止まって、「あとで一緒に考えよう!」って伝えておく…それでOK!
援助要請に対して「なんかうまく応えられなかったなー」って思ったとしても「言ってくれてありがとう!」を最後に伝える。きっと子供は「言って良かったんだ!」って思うでしょう…それでOK!!
大人から自分にOK!!を与えていきましょう!


難しいからこそ、こういうちょっとした「できる範囲で」っていう意識も大事ですね。
実際、大人だって、そんなこと、できてないし、できなくて当然だからです(だって、誰にも教わってないもの)。

原則って北極星みたいなものです。永遠に辿り着かないけど、進むべき方向は示してくれる。

援助要請からの小さな自己決定を積み上げる

援助要請の成功体験を作り、小さな自己決定の機会を獲得する、その地道な対話のプロセスが子供の発達を促す、と僕は考えています。

今回は、援助要請を受ける側が意識したいこと、そこからの自己決定の支援の大事さについて書いてみました。
援助要請についてはまだまだ書くことがありそうです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


追記
僕の文章は、心理学的な知識も交ぜながらも多くは実践から得たものをあらためて言葉に置き換えているものです。
だから、学問的に間違えているかもしれません。
実践を通じて得た仮説です。
何か間違いがあれば、もしくは学問的に補強するものがあれば、ご指摘いただけると幸いです。

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