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#11 価値や評価に取り憑かれても「面白い」が救ってくれる

俺は「面白い」に救われたことが何度もある。


とかくこの世は
「誰かにとって役に立つか」
「誰かの言う通りに動けるか」
が最重要だと思い込んで生きてきた。
特別なスキルがあったり、
良質な人間関係を築くことが出来る人材が
評価され、求められる社会。
(それは世界の一側面に過ぎないよなーと
 今は頭でわかっちゃいるけど、
 完全に呪いが解けたわけでもない。)

そうなってくると、
自分のやりたいことが分かりません、
勉強やる気がありません、
友達が出来ません、みたいな、
こんな俺の価値をどこに見出せばいいのか?
それが全く分からず、ずいぶん悩んだ。
そんな時、救いの光となったのが
「面白い」という価値基準だった。

『俺は他人と一緒にいても迷惑じゃないか?』
ネガティブモード全開だった学生時代の俺が
なぜ声マネやにらめっこの時にだけ
フルスイングが出来たのか。
今思い返すと、誰かが笑ってくれるのを見て
安心を得たかったんだと思う。
よかった。面白がってくれてる。
少なくとも今、俺はここにいてもいいんだね。


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「面白さ」は、
社会の役に立つかどうかとは一切関係ない。
どれだけ役に立たなかろうと
他人に迷惑をかけていようと、
誰かが「面白い!」と思えば面白いことなのだ。
しかもその「面白い!」の基準も
人の数だけあるっていうのだから、
チャンスは無限大だ。

言い切ってしまえば、
誰がどう見ても面白くないものなんて
この世に存在しないのである。


ダメ人間とか悪い人間とか
みんな自分や他人に対して言ったりするけど、
それはある1個の評価基準での判断に過ぎない。
どれだけ自分をダメダメ言っても、
そんなあなたを
好いてくれたり面白がってくれる人がいるのだ。

自己肯定感爆下がりの人に
「そんなあなたが好きだよ」と言っても
なかなか信じてもらえないと思う。
だけど、その人の失敗談を大笑いしながら聞いて
「あなた面白いよ!」と言ったら
信じてもらえる気がする。
だって、こんなに笑ってるじゃない。
ここまで絶対的に「面白い」という証明があるか??


失敗した過去も黒歴史も
誰かが笑ってくれた瞬間に価値を持つ。
お笑い芸人さんがテレビやYouTubeで失敗談を語り、
画面の向こうはウケていて、俺も笑ってる。
きっと全国で同じように笑ってる人がたくさんいる。
その現象を目の当たりにするたび、
俺は「面白い」という価値基準に心から感謝するのだ。
「面白い」が受け入れられる世界で、
ほんっとうに良かったと思うのだ。


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今年、俺は初めてM-1グランプリに出ます。
とにかく1回、
お笑いの舞台に立ちたいとずっと思ってた。
ヘッタクソでもいい。
むき出しの人間の面白さを少しでも伝えられる、
そんな熱のある漫才をやってみたいのだ。

9月の大阪予選に出る予定です。
見ててください。よろしくお願いします。
※詳細決まったらまた書きます。

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