中国四千年の歴史

前書き

私が子供頃は「中国三千年の歴史」って言っていた中国の歴史。
らんま1/2なんかで言っていたのを強烈だったからか覚えていて「三千年って長いなーやっぱ中国すげえなー」なんて単純に感心していた。

高橋留美子 らんま1/2
いま改めてみるとキャラデザエグい凄い

しかし成長していくにつれ他の歴史も知るにつれいて「三千年ってそこまで長くなくね?」となっていった。
現在西暦でいえば2024年、三千年の歴史とするなら紀元前1000年から歴史が続いてるということになる。
紀元前1000年であれば、
アフリカのナイジェリアでノク文化が起こっていたり、

wikipedia
馬に乗る男の土偶
面長だなぁ

インドでヒンドゥーの前身であるバラモン教が成立したり、
イスラエルでダビデ王が即位してたり、
日本でも青森に亀ヶ岡遺跡があった亀ヶ岡文化があったり

北海道・北東北の縄文遺跡群
一度見たら忘れない遮光器土偶

などなど世界中で文化があった時代を示している。
( ^ω^)世界的に鉄器ができてるのに日本は土器・・・

『三千年の歴史』は悠久の時を感じるが、今ではそれを越え『四千年の歴史』と呼ばれている。
いつごろから変わったのか?それについて知の共有をさせて頂こうと思う。

史記に記された歴史

中国でもっとも古い歴史を記したものに『史記』というものがある。
これは中国前漢の武帝の時代(紀元前100年ごろ)に司馬遷によって書かれた史書である。
この時点で既に2000年前であるが、そこから遡って2000年以上前の歴史まで記してあるというのが驚きだ。

三皇五帝の時代から描き、夏、殷(商)、周、秦、そして漢の建国から武帝の時代までを描いていった。

三皇五帝は日本ではあまり馴染みのない神話の世界。天地開闢の物語であり、天地や人類の誕生の時代。
夏王朝は五帝の一人である顓頊(せんぎょく)の子孫が作った王朝で、中国史初の世襲王朝であったそうだ。
夏王朝は殷に滅ぼされ、殷王朝が成立。その後の殷・周は封神演義でお馴染みの時代。

その後、周は衰退し春秋戦国時代に突入。キングダムでお馴染みの時代は春秋戦国時代の末期となる。

始皇帝の統治時代は世は荒れ果て、権勢は長くは続かず再び戦乱の時代へ。
項羽と劉邦の対決を経て、漢の時代が訪れる。

とまあこんな流れなんですが、じゃあ『3000年』時点はどこで、『4000年』時点はどこにあたるのか。

三千年と四千年

ではどうしてラーメンマンは三千年の歴史と言い、現在は四千年の歴史と言っているのか。
これは別に他国の歴史に僻んで伸ばしたとかそんな浮ついた戯言ではなく、実際に発掘された出土品が物語っているのです。
1996年から中国にて『夏商周断代工程』というプロジェクトが行われました。

このプロジェクト以前では文献資料から辿れる紀元前1000年前後の周王朝までしか辿れませんでした。
しかしプロジェクトが進行するにしたがって、周の前の殷王朝、そしてさらにそれ以前の伝説とされていた夏王朝までも辿ることが出来たのです。

書籍に記された日食月食の時期を天文学から導き、発掘された遺跡を考古学で精査し、文献の暦法を整え文献学から構築しました。
それぞれ従来はバラバラでやっていた手法をプロジェクト内で束ね集めることで、見つけることができた歴史的な発見となりました。

文献に記された夏の都があった場所を発掘したらピンポイントで見つかるとか神がかり的な手法だったと聞いた覚えがあります。
プロジェクトによって殷王朝は紀元前16世紀、夏王朝は紀元前21世紀にあった伝説ではなく史実のものと定義されました。
そうして今では『中国三千年の歴史』から『中国四千年の歴史』へと変わることが出来たのです。

*一部正確な年代ではないと批判する声もありますが、今後の調査でさらに深く判明していくことを願います。

後書き

今回は中国三千年の歴史と四千年の歴史についての変遷と、中国のさらさらっとした歴史について書きました。
歴史について書かれた『史記』は間違いなく優れた歴史書であるとは思いますが、神話の時代も含んで描いた作品は作者がハッキリしたものは中国には史記しか存在しない。
『国語』や『春秋左氏伝』などは史記よりも古いものだが作者は不詳となっており、正しさに不安が残る。

単一の視点から見た史書というのは信頼性が著しく損なわれるものとなるため、中国以外にも同様のケースがあるためまた次回紹介したい。

本日はひとまず、
ラーメンマンは四千年の歴史をもって相手選手を麺料理にして食べた
だけでも覚えて帰ってください。


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