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広義の有機から狭義の有機へー有機農業運動から有機JASへの移り変わりー

有機農業という言葉は、同じ言葉でも人によって意味するところが全然違う。そう感じることが多い。だからなんかいつももやもやする。

特に有機JAS認証の話。環境にやさしい農業がしたいという思いを持っている人もいれば、別にそういう思いはなくて、単に化学農薬・化学肥料を使用しないという枠組みの中でやっている人もいる。”環境にやさしい”的な思想があってもなくても有機は有機。そう言われればそうなんだけど、でもやっぱり思想の有無は大きな違いな気がして、だから同じ言葉で括らることにずっともやもやしていた。

もっともやもやするのは、植物工場でも有機農業がありえてしまうという話。たしかに植物工場でも、化学農薬・化学肥料を使用しないという枠組みの中で生産することはできてしまいそうだ。でも私的には、植物工場つくられた有機農産物は有機農産物ではないような感覚があった。

何言ってんだか自分でもよくわかんなくなってくるけど、有機は考えれば考えるほどよくわからない概念だった。でも、ちょっと前にもやもやが晴れた部分があって、それがうれしかったので書き留めておく(あたりまえの人にはあたりまえの話かもしれないけど)。

「あるべき農業」の探求

もやもやが晴れたきっかけは、大学の講義で有機農業運動について学んだことだった。有機農業運動という言葉は聞いたことはあったけど、文字通りの意味だと思っていたし、なんか古くさくい感じの印象を持っていたから、特別ちゃんと学ぼうと思ったことはなかった。

有機農業という言葉は人によって意味が違う、それが私の感じていたことだった。講義で気づいたのは、「有機農業」という同じ言葉で表されるものが時代とともに明確に変化してきたということ。現代の「有機農業」は化学農薬や化学肥料を使用しない農法の意味で、有機農業運動が始まった1970年頃の「有機農業」はもっと広い概念だった。

有機農業運動の背景には、1960年代以降急速に進められた農業の近代化によって、化学農薬や化学肥料が普及し、それらが食品の安全性や環境に及ぼす影響が顕在化したことがある。近代化によって経済効率が上がったとしても、健康被害や環境破壊が生じるのならば、それは農業のあるべき姿ではないと考えた農業者たちが、「あるべき農業」を探求し始めた。「あるべき農業」を便宜上「有機農業」と呼び、これが有機農業運動のはじまりになった。

有機農業運動はやがて、健康で安全な食品を取り戻したいとする消費者運動が合わさって、生産者と消費者が顔の見える対等な関係を築き、一緒に「あるべき農業」や「あるべき食」を探求する産消提携へと発展していった。

つまり、この頃の有機農業は、農業が近代化していくこと、それがメインストリームになることに対抗するためのオルタナティブな農業だったと捉えられる。健康被害や環境破壊に異を唱えるために、結果として化学農薬や化学肥料を使用しないような農法が選択されただけであり、有機農業はそれだけを意味しているわけではなかった。自然農法などの農法も含まれるし、産消提携という流通の形態までも含んだ概念だったと言える。

農法・商品への矮小化

有機農業運動・産消提携は徐々に広がっていったものの、もともと掲げられた理念からは少し外れた事態が生じ始めた。「有機」と言えば高く売れると考えた生産者が「有機」を名乗り、また、「有機」を買えば安全安心が手に入ると考えた消費者が「有機」を買うという、顔の見える関係に基づく運動というより市場を介した単なる売買になっていった。

「有機」や「無農薬」と謳った商品が市場にあふれ、消費者の適切な商品選択に支障をきたしていたことが問題視されはじめ、1990年頃から表示の規制が検討され、2000年にはJAS規格が制定された。JAS規格における有機農産物は、化学農薬や化学肥料を使用しない「農法」により生産されたものであり、市場では安心安全な「商品」として評価された。この時点で、有機農業は農法として定義がなされて矮小化され、その流通形態は産消提携に限らなくなった。

広義の有機と狭義の有機

ここで、近代化に対抗して探求したあるべき農業を「広義の有機」、JAS規格で定義された農業を「狭義の有機」と呼んで区別する。「農法」という手段と「商品」という結果が重なるので、両者は一見同じように見えるものの、その根底にある思想は必ずしも重ならない。

広義の有機を志向していた生産者は、「高付加価値」「差別化」といった理由から有機を選択していなかったし、有機を普及させるためであっても、それなりのお金を払って第三者機関による認証を得て、市場に大規模に流通させようとは考えなかったと思われる。

また、広義の有機を志向していた消費者は、第三者による認証さえあれば安心で、簡単に手に入るものだとは考えていなかった。自分で生産者や生産過程の情報を得て、考えて、関係を築くという面倒なことをして、安心や喜びが得られるのであり、その選択に対するリスクや責任は一定自分で負うものだと考えていたのではないかと思う。

狭義の有機は広義の有機を志向する者にはあまり受け入れられなかったし、唯一?評価されていた安心安全が、当たり前に手に入るようになっていったこともあり、大して広まらなかった。

広義の有機や産消提携が下火になっていった理由としては、対抗していた近代化のネガティブな側面である健康被害や環境破壊が、科学技術の進歩によって目に見えるわかりやすい形では存在しなくなったこと、90年代以降のグローバル化で市場経済がますます肥大化したために、生きていくために一定受け入れざるを得なかったこと、主導してきた世代が引退したこと、などいろいろあると思う。でも原発事故とか気候変動とかで、また息を吹き返している部分もあるように思う。

有機農業という言葉や概念について、人によって意味するところが違うと私が感じていたのは、これらがごちゃまぜの世界を見ていたからだった。また、植物工場と有機農業の話にもやもやしていたのは、狭義の有機ならあり得るものの、私自身は有機を広義の有機に近い意味で捉えていて、近代化ゆえの存在である植物工場とは相容れないはずだと思っていたからなんだと思う。

なんかもうちょっとうまく表現できそうな気もするけど、まあ一旦すっきりしたからここで筆をおくことにする。有機農業運動っていう知らないものに対して、古臭いって印象で遠ざけて勉強しようとしてこなかったのはちょっと反省。歴史を学んで気づくことはやっぱり多い。

参考

・桝潟俊子(2017)

・折戸えとな(2017)

・日本有機農業研究会 結成趣意書

・有機農業と植物工場の記事


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