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修論の振り返り|食と農から「生命系の経済」を志向する取り組みに関する事例研究

先々週に発表会と先週に最終稿提出があって、修論が無事に終わった。私が大学と大学院の6年間で学んで考えてきたことと、これからどこに向かおうとしているのかを形にしたものになった気がする。

下に修論の内容とか考えたことをざっくり書いたけど、もし興味持ってくださった方いれば、本文お送りできるので、ご連絡くださいませ!

私の問題意識

私は途上国の貧困問題をなんとかできたらいいなと思って大学に入って、どうして問題が生じるのか、どうしたら解決できるのかにずっと興味があった。

最初は途上国の側に答えを探していたけど、実際に途上国や農村を訪れたりするうちに、自分自身の生活が遠い国の人の生活や自然環境と関わっていること知って、答えは先進国の側にあるんだと思った。途上国の貧困問題を含むいろんな問題は、安くて便利で快適なものを求める社会のあり方によって引き起こされていて、全部つながっている。だから、その社会のあり方から、つまりは自分たちの生き方・考え方から変えないと、対処療法にすぎなくて、根本的に解決はできないと思うようになった。

自分の興味があった農業と食でいえば、それは、生産と消費の距離を短くして見えるようにすることだった。そしたら倫理観が働くから、人間も自然も傷つけようとは思わなくなる。だから、生産者と消費者がつながろうとしてきた産消提携やCSAに興味を持ったし、都市と地方をかきまぜるポケットマルシェで働いている。

どうしたらこういう世界を広げていけるのか。これが私の問題意識だった。

玉野井芳郎先生との出会い

ここまで考えたあたりで、経済学者の玉野井芳郎先生に出会った。出会ったと言っても、1985年にお亡くなりになってるから本の中だけど。玉野井先生の哲学は、私が考えていたことを、経済学を中心とする学問から論理的に説明してくれるものだったので、私はただひたすらに感激した。

玉野井先生の哲学から理解するに、私が変えるべきだと思っていた社会のあり方は「狭義の経済」という構造だった。それは、人間や自然という生命までもが労働力や土地として商品になってしまった世界で、いわゆる資本主義経済はもちろん、社会主義経済までも含んでいる。二項対立的に語られてきた両者のいずれも「生命」を見落としている点では同じ、というのはおもしろい視点だった。

玉野井先生は、問題解決のためには「生命を取り入れた広義の経済」=「生命系の経済」を目指すべきだと主張していた。私が生産と消費の距離を短くして見えるようにすることを「答え」のように思っていたのは、それが生命系の経済を目指すこと、つまり商品になってしまった「生命」をもう一度かけがえのない生命として大事にすることにつながるからかなと思った。

修論はこの理解を言葉にしたうえで、生命系の経済に向かう取り組みをどう広げていけるのかについて、事例から分析・考察しようと思った。

研究の方法論

私の所属する国際環境経済学研究室はアンケートや統計を計量経済学の手法で分析する研究がほとんどだけど、私は今回事例研究をすることにかなりこだわった。

もともとこの研究室を選んだのは、自分の主張を伝える幅を広げるために、定量的な手法を学んでおいた方がいいだろうと思ったからだった。数字は苦手だし経済学もよく知らなかったけど、学んでおいて損はないだろう的な。私はいつもそうで、文理選択も進学もそうやって選んできた。農学部を選んだ時だけは唯一違ったけど。あと、定性よりも定量、社会科学よりも自然科学の方がすごいってどこかで思っていた。

でも、卒論と修士1年の研究でフェアトレードや農業の多面的機能を定量的に評価してみて思ったのは、私の大事にしたいことが大事にしきれなかったり、本当に知りたいことまで辿り着けないということだった。定量的な価値を示すことで、より多くの人を説得できるように思っていたしそういう側面もあると思うけど、結局自分自身が一番納得がいかなかった。

玉野井先生の言葉を借りれば、計量経済学は狭義の経済学だし、私は狭義の経済(市場経済)におけるものの見方で広義の経済(市場経済+非市場経済)を無理矢理見ようとしていたんだと思う。こういう認識に至ったから、事例研究かつ定性的な手法でやりたいと思った。

修論の構成とやってみて

そんなこんなで、私の修論は

① 玉野井先生の理論から、現代社会の問題を引き起こしている「狭義の経済」がどのようなもので、どのように成立したのか、そこから向かうべき方向として見出される「生命系の経済」がどのようなものか、を整理
② 生命系の経済に向かう取り組みとしての産消提携運動・有機農業運動やCSAの変遷と、事例として取り上げた類似の取り組みの位置づけを整理
③ 取り組みを始めた人がどのように始めて継続してきたのかを分析・考察
④ 取り組みがどのような哲学や仕組みで展開してきたのかを分析・考察

という感じの構成になった。

で、法則や規則を明らかにして何かを予測するような一般化ではなくて、理論への貢献や読者自身が何らかの知見を得るような一般化を目指した。

でも、結果的には理論への貢献は十分にできてなくて、枠組みをぼやっと示したくらいな気がしている。そこは審査会で副査の先生から指摘があった部分で、構成の仕方をもっとうまくできたのと、分析・考察ももっと深められただろうと思う。

事例研究は読みやすいけど、学術的な形に落とし込んで書くのは思ってたよりもずっとずっとしんどかった。できたこととできなかったことがあるのはあたりまえだけど、時間的にもスキル的にも足りなかったなーという気持ち。でも、書いたことを通して、玉野井先生の哲学や、私が目指したい社会に向かっている取り組みに対する理解が深まったことはとてもよかった。あとは、狭義の経済の価値観が支配的な中で、そうではないものをどう伝えるのかを苦心したことも、よかった。

研究というものにはずっと苦手意識があったけど、この3年くらいでほとんどなくなったというか、たぶん自然科学的なものこそ研究みたいな認識が変わって、むしろすごく楽しいと思った。修士の研究としては一旦区切りだけども、4月からは今回取り上げた事例の1つであるポケットマルシェで働くから、その実践の中で研究というか探究を続けたいと思っている。その気になればまた大学に戻ってもいいかもしれない。

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修論の目次とはじめにを載せておく。もし興味持ってくださった方いれば、本文お送りできるのでご連絡ください〜!(いろんな人とディスカッションしながら深めていきたい気持ち)

目次

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