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水俣から社会を、自分を、見つめ直す

6,7,8月と3回、ずっと前から行きたかった水俣に行ってきた。
6月は資料館を見て、水俣食べる通信の諸橋賢一さんに水俣を案内してもらった。
7月は雨風太陽(ポケマル)の髙橋博之さんが車座に来て、水俣や周辺地域の人たちと交流した。私が水俣に強く関心をもつきっかけになった、緒方正人さんにお会いすることもできた。
8月は車座で出会った水俣impactの方々が主催するツアーにお邪魔してきた。

水俣については、ずっと4大公害病の一つ「水俣病」としてしか認識していなかったけど、数年前に博之さんがすすめてくれた緒方正人さんの『チッソは私であった』を読んで、いつか絶対に行こうと思っていた。

緒方さんは、水俣の少し北に位置する芦北町の漁師の家庭に生まれ育った。お父さんを水俣病で亡くして、仇討ちとして水俣病の認定運動に関わっていった。でも、チッソや行政や国を加害者として責めても、「私がチッソです」「私が国です」という人がいるわけでもなく、相手の姿がいっこうに見えてこない。生身の人間として向き合ってほしいのに、補償のための裁判や認定申請など手続き的なことに回収され、責任が制度化されてしまう。そんな中で、自分自身に矢印が向く。自分がもし加害者側に身を置いていたとしたら同じことをしないと言えるのか。それに、自分自身の身のまわりはチッソのような化学工場がつくったもので溢れている。最終的に、探していた加害者というのは、便利さや豊かさを求める「システム社会」であり、その社会の一員である自分自身も「もう一人のチッソ」だという認識に至った。

そんな話だった。題名の意味を知った時の衝撃といったら忘れられない。
あと、自分に矢印が向く経験は私もあって、それ以降の私の生き方に大きな影響を及ぼしている。大学で途上国の貧困問題に関心をもって勉強していく中で気づいたことは、先進国のあり方、自分の食べているものや着ているものなども無関係ではないということだった。買い物は投票という言葉があるように、自分自身の買うものがどう作られているのかを知って買うべきだし、もっといえば自分自身が何に拠って立っているのか、それはものも人もサービスも全部含めて、もっと関心を持つべきだと思った。だから、自分自身もそうあろうとしているし、「都市と地方をかきまぜる」ことでそういう社会を目指している雨風太陽で働いている。

水俣に行ってみて、新しく知ったことがいろいろあった。
・水俣だけではなく、水俣湾に接する天草や長島などでも水俣病の被害があったこと
・水銀の汚染が酷かった海域は、仕切ってその中にヘドロや汚染された魚などを入れて埋立地になっていること
・埋立地は耐用年数があるが(2050年頃?)、耐用年数を迎えた後の方針は定まっていないこと
・患者さんの裁判などを手伝うために、全国から支援者が集っていたこと
・今も水俣にはチッソの子会社(JNC)があり、その製品の中には私たちが日常的に使っているものも多くあること
・JNCの収益から水俣病患者の補償金が出ていること

福島の原発事故と構造的には同じだし、重なる部分がたくさんあるなと感じた。でも大きく違いそう?と思ったのは、チッソや市は水俣病の件でめっちゃ反省して大きく変わったという感じでもないという話(原発事故の件は、資料館などでも東電が謝罪しているイメージがすごくある)。水俣病が明らかになった頃、水俣ではチッソ側と患者側で大きく分断されてしまったそう。チッソの中にも家族や親戚が水俣病の人がいたりしたので、ものすごく複雑だった。今はそこまで分断されてないかもしれないけど、複雑なことに変わりはなくて、それもあってあまり触れられない部分もあるらしい。

緒方さんが悟ったように、水俣病や原発事故についてチッソや東電の責任だけに矮小化するのも違う気がするので、近代化が引き起こした問題として深めて、地球温暖化とか別の問題やそれに付随して日々の生き方を考えることにつなげていけたらいいんだろうなと思う。ガイドしてくださった方もそんな風に話していたし、支援者の2世や移住者の方など、水俣は有機農業に取り組んでいる方も多い。

私はといえば、上記のような思いで働いてはいるものの、日々目の前のことでいっぱいいっぱいで、緒方さんが「ヤクザの世界より足を洗うのが難しい」と称したシステム社会の中にどんどん入っていっている自分をこの1年くらい感じている。どうやって生きていけばいいのかよくわからなくなって、引き続きぐるぐるぐるぐるしている。

でも、中に入ってみることで知れたこともたくさんあって、それゆえに単なる理想じゃなくてもう少し現実的に考えられるようになっている気がする。玉野井先生は生命系の経済をめざすにあたって「イリイチ流にいうならば、外から壊すのではなく、内部からめくり返す、inverseする」必要があると話していたけれど、その言葉の意味がなんとなくがわかってきたかもしれない。
こうやって考えて言葉にできているうちは元気なので、もう少しがんばって進んでみようと思っている。

水俣は海がきれいで、山も温泉もおいしいものもたくさんあって、なによりすてきな方がたくさんいらっしゃるので、ぜひ訪れてみてほしい場所でした。


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