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少女と名付けた-3-

少女はいつも何かを探している。

私はそのやりとりを傍観している。一緒に探すこともある。「あった、あったで周波数合わせたらそこに体が勝手行くよ」と伝えているが、どこまで本気にしているかはわからない。きっと体はそうなりたいが、頭は追いつかない。追いつかないから軋轢が生まれて泣き顔になり辛くなる。

「迷惑はかけてダメだと思う?」

と聞いてみた。続けて、

「私は迷惑はかけて良いと思う。もちろん真夜中に大声で隣の家の扉を叩いたら迷惑だけれど、『私、今これをして欲しいけど相手は忙しそうだから迷惑かけてはいけないから、やめとこ』とか、それは迷惑ではないと思う。頼って良いと思うの。」

「例えば車椅子の人があと3センチ超えたら向こうまで行けるのに、今タイヤが引っかかっている。それをお願いするのは迷惑って分類には入らないと思うのね。」

「甘えて良いと思う。『助けて』『良いよ、大丈夫』のやりとりがあると、なんかあったかいじゃん。その場の空気。だからもっと甘えて良いと思う。」

そう伝えてみた。少女は「そうだね」と答えた。いつも気を使う彼女には伝わっただろうか。

エメルギーは自分のために使って欲しい。少女だけではなく、私を含め全地球人たち。少女の感じる軋轢を、できるだけ無くなるように私は「私に」集中する。まだまだ集中外れをする事があるが、軸を、自分の軸をまっすぐと立てる。悪魔に囁かれただけで、ぱたんと倒れたりしないように。

たまたまこのブログを書いているときに会った人とお話をした。迷惑のお話をしたら涙が零れていた。「こうしなきゃいけない」と決めたのは誰?きっと、その問いかけをしたら体のぎゅっとしたところが解ける。

そう信じて、さよならをした。

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