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追憶の血が流れる、23の誕生日

 21から22になる時よりも、22から23になる方がその1年が早く感じる。小学生の時なんて、次の誕生日プレゼントが貰える日が楽しみで楽しみで、いつまで経っても誕生日は来なかった。トイレットペーパーを使えば使うほどどんどんとその周期は短くなっていくように、次の誕生日までの1年はもっとはやく感じられるのかもしれない。
 日本ではもう僕は23歳になっているんだろう。南米ではまだ22歳だ。こうやって考えると時間なんてデタラメなんだなって思う。

 南米旅行を始めて5カ月が経つ。少しずつ記憶を巻き戻していくと、コロンビアやペルー、そしてチリでのことが曖昧ながらもこの頭に残っていると実感する。
 もっと遡っていくと日本へ。そして去年オーストラリアで過ごした誕生日。もっともっと。すると何歳かもわからない僕が、引っ越す前の北千住にあるマンションの寝室で、両親に見守られながら姉と追いかけっこをして遊んでいる風景が思い出される。多分この記憶が一番古い。

 こうやって追憶をしてしまう。手に入れられない美しいものはいつだって輝いていて、自分をはっきりと照らしてくれる。過去が輝けば輝くほど、現在がはっきりと映し出されて、情けない時なんかは特につらい。よく昔のことを楽しそうに、涙目になりながら話すおばの気持ちが少しわかったような気がすると同時に、その血がこの体に流れているのを感じた。
 誕生日だからといって何かボーナスがある訳では無い。しかし、ちょうど一年前に何をしたのかを割とはっきり覚えている特徴のある日にはなる。オーストラリアの小さな街で、ホステルで知り合った友達がパーティーをしてくれた。僕に少し高価なプレゼントをくれた彼女は、今も元気にしているのかなんて思うと、なんだかくすぐったい気持ちになる。

 朝起きてシャワーを浴びた。夜行バスではよく寝れたが、標高差のせいだろうか、少し頭が重い。家族や友人に手紙をかいた。その文体から頭が少しこんがらがっていること気がつく。
 バイクでチリからボリビア、ウユニ塩湖に行くつもりが、問題が発生して国境をわたなくなってしまった。今まで予定していたことやそこへの期待は、ハンマーで叩かれたガラスみたいに粉々になった。その破片はまだ頭の中に残っているが、少し視界が開けたような気もする。
 「帰国を数ヶ月伸ばそう。」
 と言う結論に至った。こうやって考えることができるのは、日本で僕のことを支えてくれる家族や友人がいるからだとしみじみ感じる。さて、1週間後はどこにいるんだろうか。ペルーか、ブラジルか、メキシコか、それ以外か。不安と興奮を同時に感じ、自分にはみんなの血が流れているのを感じた。

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