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自分に贈るお菓子作りをしてみたい。

「なんかお菓子作ってみたいな」
「やってみてください」

 昨晩の、軽くて短い夫とのやりとり。TVを見ながらの何気ない会話。また1つ、ずっと心の中にあったしんどさに触れた。私はお菓子づくりへの興味をずっと昔から抑え続けている。たまたま子どもが台所に立ち入りづらい雰囲気の中で育った…ことを言い訳にしたいけど、成人して10年以上経ち、その間に一人暮らしも経験しているのだから、やろうと思えばできたのだ。いい加減、自分の性格傾向に目を向けなければならない。大人になってからも主体性と行動力が不足していて、興味関心を実行に移してこなかったということだ。もう興味を抑える必要なんかないのに。
 
 思い返せば、小学校3年生の頃、バレンタインデーにクラスで「友チョコ」を配る女子が出現。学校だけでなく習い事でも、コーチに義理(?)チョコを贈る子が出現。コーチに贈るのはちょっと胡麻スリじゃない?と思った。それでも「友チョコ」「義理チョコ」合戦に私も参加したかった。でも台所を使えないので、手作りはできない。代替策として、市販のアーモンドチョコレートを買い、それに自分にできる最大限の可愛いラッピングをして贈った。手作りじゃなくてごめんね、と一言添えて。

 意外にもクラスメイトの女の子たちのほうは、手作りお菓子に対して既製品を返しても「ありがとう〜」とニコニコ受け取ってくれた。きっと、自分の手作りお菓子によって自己表現欲求を充分に満たし、相手からのお返しが手作りかどうかはそれほど気にならなかったんだろう。それに、贈る立場なら手作りしたいけど、もらう(食べる)立場なら既製品のほうが嬉しい、ってありますよね。味が保証されてるし、保存加工もしてあるから。手作りお菓子は気持ちが本当に嬉しい、でももらったもの全部を腐る前に食べ切るのは難しかった。食べきれなくてちょっと捨てちゃったりしたし、私は毎年既製品しか渡せなかった。でもたぶん、気持ちは贈り合えていたような気がする。友チョコはけっこう良い思い出。

 シビアだったのは習い事の女性コーチのほうですよ。見た目40〜50代くらいのおばさん。手作りお菓子を贈った子にだけホワイトデーのお返しをしていたのを目撃しました。随分あからさまに差をつけるんだなあと思った。私が贈った既製品は手抜きと捉えたわけだ。そりゃあ手作りお菓子のほうが評価が高いに決まっているでしょうよ。贈る相手を喜ばせたい思いを込めて、手間も時間もかけて作ったのだから。小学生の私でも想像できた。しかしおばさんコーチは、既製品であろうと2月分のお小遣いを犠牲にしてバレンタインの準備をした小学生3年生の事情を、想像しなかったようだ。大人だからって必ずしも想像力や人間性が高いわけではないという教訓を得た貴重な体験でしたという皮肉を一生折に触れて言わせてもらうことにしよう、思い出してムカっ腹が立ってきた。

 
 話が逸れたけど、何が言いたいかというと、私はお菓子作りへの憧れや興味を封印してきたということ。手作りお菓子に良い思い出も悪い思い出もあるということ。
 もしお菓子作りを実行できたなら、贈る相手は自分自身にしよう。全部食べ切ってやろう。

 (そういえばそんなことを私はやってみたかった。最近しばらく気分が落ちてたけど、今日は久しぶりに前向きなことを考えられました。)

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