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歩けない私が恥ずかしい存在だと思っていた祖母の話

「ほら早く立って歩いてごらん!ほらやって見せなさい!!」
「歩けないとか言ってないで歩いてみなさい。やる気がないから出来ないんだ」

これは、障害で歩けない私に父方の祖母が言い放った言葉だ。

父親の実家は田舎の漁師の家で、その地域では有名な家だった。
跡取りがいなかったため私が生まれる時に男の子だったら跡取りにすると祖母が勝手に決めていたそうな。
私の母は子供も意思もあるし勝手に決められると言っても曲げなかったそう。
でも実際に生まれたのは女の子だとわかった瞬間、祖母は「その子は要らない」って言ってきたそうだ。
「跡取りに行かせるつもりもないし、女の子だったから要らないなんて言われる必要もない」と私がある程度大きくなった時に母は怒りながら話していた。

祖母からしたら私は生まれた瞬間から不要な孫だったが、3歳の時に病気になったら【恥さらしの孫】となった。
田舎の有名な家の孫が障害者になった事が祖母は相当嫌で恥ずかしい事になったようだ。
最初に書いた様な事を言ったり、無理やり歩かせようと歩けない私の立たせようとしたりした。
さらには「あんた1人で遊びに来ないでよね!あんたなんも出来ないんだから来られたってばあちゃん困るから!!」と言ってきたりしていた。
いやいやいや、1人で遊びになんか行った事もないし、行くつもりもない。そんな事ばっかり言う祖母が本当に嫌だった。

そんな中、私が中学生の時に両親が離婚する事になり祖母も田舎から出てきた。
その時祖母に会った時にこう言われた。
「もう二度と会う事は事はないから」
母が「私は関係なくなるけど、はるかは孫なんだから会いたい時に言ってくれれば連れて行きますよ」
と祖母に言うと
「いや!会いたくないからいい!!」と私のいる目の前でハッキリ言ってきた。

ここまでハッキリと会いたくないからいいと言われると逆に清々しいわとさえ思えた。
そこから本当に一度も祖母と連絡は取っていない。
まぁ父親とも連絡を取っていないから祖母とも取っているわけはないけど。
祖母が生きているのか、亡くなっているのかも知らない。年齢的にもう亡くなっているだろう。

私の事恥ずかしいとか言ってた人だしどっちでもいいけど。
祖母は、恥ずかしい存在が姿を現さなくなって嬉しかった事だろう。
普通はおばあちゃんとの思い出が遊んでもらったとか可愛がられた記憶だと思うが、こんな祖母だったから一切可愛がられたという記憶はない。

ここまでしっかりと悪意のある嫌がらせをされたの
は祖母が初めてだったかもしれない。

別に祖母が思っていたように障害者は恥ずかしいものだとは私は思わない。 
私は恥ずかしい人生を送ってない。

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