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思い描いていた養護学校生活とのギャップ

養護学校は同じような病気を持つ子達と悩みや痛みを共有しながら楽しく学校生活が送れると思っていた。

前回のnoteにも

書いたように、ある出来事をきっかけに小学校4年生になる時に養護学校に転校した。
私が転校した養護学校に4年生の同級生は1人しかいなかった。もう少し同級生いるかなと思っていただけに少々ガッカリしたのを覚えている。

クラスに先生入れて3人しかいないというのが、地域の小学校に通っていた私からしたらとんでもなく違和感でしかなかった。それでも新しい環境で心機一転たった1人の同級生と仲良く過ごしていこうと決意し新生活をスタートした。

何もかもが地域の小学校とは違う養護学校での生活。例えば、給食は無くお弁当持参で登校する。給食のコッペパンが大好きだった私は転校して給食でコッペパンが食べれないのが本当に悲しかった。今でも給食のコッペパンをまた食べたいと時々思う。

新生活にも慣れてきてたった1人の同級生とも仲良く出来ていると思っていた。

だがそう思っていたのは私だけだったのだ。当時の私は体力がそこまでなく、疲れやすかったので基本的には午前中だけ学校に行っていた。何か行事がある時だけは参加したかったので無理して一日中学校に行っていたが、一日学校に行っていた日は決まって体調を崩してしまう。そんな生活を送っていた。

私の事情を知らない同級生は午前中仲良く私と過ごし、私が帰った後の午後に私への不満を担任の先生に愚痴っていたのだった。

「はるかちゃんは午前中しかいないくせに何かあると午後からもいるズルい。来たい時だけ来るなんてズルい!贔屓だ!!!」

こんな事を言っていたそうだ。他にもいろいろ私について言っていたそうな。

この事をしばらくしてから担任から母親に伝えられた。私は母親からこの事を聞いた時とても悲しくなった。

病気の種類は違えど同じく病気を持つ子がいる養護学校において、まさか病気に対して理解されないは夢にも思わなかった。それぞれの痛みや苦しみを共有していけるのかと勝手に思っていたが、実際のところはそうでもなかった。

この同級生は1年生の時からずっと1人で、4年生になっていきなり私が転校してきたから受け入れられなかったのかもしれない。単純に私の事が嫌いなだけだったのかもしれないが、真実はわからない。

私は一緒に勉強するのが気まずくなっていった。私のいないところでどんな陰口叩かれているのだろうと思うと怖くなった。ここで辛いのがクラスに2人しかいないということは、席替えもなければクラス替えもないという事。6年生までずっとこのままという事になる。もっと言えばこの養護学校は高校まであるため9年間この同級生と過ごす事になるのだ。

ある意味残酷な世界だ。

障害に対して理解されないのは同級生だけではなかった。

ある日、他の学年の子が「おはよう!」と声をかけてくれたから私も挨拶したのだが、後から「はるかちゃんに挨拶してもはるかちゃんは挨拶しないよね」とその子から言われた。

私は病気の関係上たまに瞬時に言葉がうまく出ないときがあって、この時も「おはよう」と言ったのだがその子の耳には届いていなかった。事情を説明してわかってもらえたから良かったが、私が挨拶もしないものすごく性格の悪い奴だと思われていたことが悲しかった。養護学校ってこんなにもみんな障害について理解がないものなのか?と思ってしまったほどだ。

もう戻ることは出来ないし、戻ったところで担任が他の人にならない限り同じ事の繰り返しになるだけだが何度元の小学校に帰りたいと思ったかわからない。

私が思い描いていた養護学校生活とはかなり違ったものになってしまった。中学生になれば同級生が増えるのではないだろうかと期待だけを胸に小学校生活を送っていた。

この時はまだ中学生になって起こる出来事を知るはずもなかった。。。


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