【本質を見極める目を手に入れる】

先日、学生時代からの友人が私の書いた『はるの世界』を読んで「すごく人間らしさを感じた。そんな深いところまで考えて自分と向き合っていたんだなって思った。私ももっと自分を大切にしようと思う。」そう感想をくれた。自分を大切にしようと思ってくれたことがすごく嬉しかった。
自分責めをやめて、自分にやさしくなってきた今感じることは、自分にやさしい人は、いい波長を出しているということがわかることである。これは自分を責め続けていた時にはわかっていなかったことで、責め続けることが減ってようやく、わかったことだ。自分を責めている人は、自分を責めているだけなのにその人の側にいると周りにもその責める重いエネルギーを放っている。これは、衝撃だった。「いい人」でいようとするために、色々努力して自分を矯正していたのに、それが周りにそんな影響を与えていたなんて。しばらくショックで呆然としたことを覚えている。

『はるの世界』は、そのいい人をやめていく過程の葛藤を綴ったものともいえる。この記事を販売し始めたころは、一定期間だけ販売するというような書き方をしていると思う。それは、あまりにも赤裸々すぎて、恥ずかしいから販売を中止しようと思っていたのだ。あの時期に書いておいてよかったと思う。あの記事を書いてから一年が経つが、明らかに感覚が変わっており、もうあの文は書けない。あの記事は、今まで探してきた人生の大切な巻物を知れた喜びの中で過去を振り返りながら答え合わせをしつつ、知識を経験に落とし込みながら書いている。あの記事に書いたように自分と向き合うことをコツコツと続けてきた今、私はずっと探し求めていた『自分』を手に入れた。
なぜ、恥ずかしさがなくなり、活用してもらおうと思うようになれたのかというのは、自分しか持っていないだろうと思っていた人として醜いと思っていた部分は、深いところでみんなが持っていることがわかったからである。嫌な人やニュースの事件などで信じられないようなことをする人を見ると、「自分とは違う」として反射的に今でも切り離しがちだが、もし、本当にその人と同じ状況になった時に一ミリも自分にそのカケラがないかというと必ずあるということが今はわかるのである。私がこうしてゆとりを感じられ生きられているのは、明らかに周りに恵まれ生かされているからである。

私は特に自分の感覚を信じられない人だったので、とにかく目に見えるものや証拠に弱かった。例えば、人を見る時に地位や名誉や人気がある、結果が出ているか稼いでいるかということがとても重要だったり、物を買うのも例えばどこのブランドのモノとか、サプリならどんな成分が入っていてどんな臨床データがあるかとか、そうゆうことがとても重要だった。これは、自分の感覚が閉じていたからである。感覚が開いてくると、自分の感覚が教えてくれる。そうなると、目に見えるものとは違う自分にとって大切な人やモノやことが、目の前に用意されていることが感じられる。そうすると、目に見えるものに惑わされずに自分のするべきことがわかるのだ。それは、人間的視点で見ると、少し残念に思うこともある。それは、今のところ自分がいいなと思う一般的な成功のようなもや魅力的に思うような人とは違うことが用意されているからである。しかし、深いところでものすごく満足していることがわかるのである。自分を丸ごと受け入れた時に才能は発揮され、大切な本当のことがわかるようになっている。それは、誰かと比較するようなものではなくただただ自分でいることで成り立ち、存在しているだけでいいのだという価値を感じられるのだが、そのように自分の存在を感じられると不思議と他人に対してもそれを感じられるのである。この感覚はそのような人やモノの近くにいたり、ふれると共振しやすい。自分の嫌なところを受け入れることで自分の才能の感覚が開くのである。それが、その人にとっての大切な本質である。一年前に書いた『はるの世界』にふれることで、友人の「ほんとうのこと」の扉がひらいたようで、時空を超えた喜びを味わったのである。

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