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虐待サバイバーはなぜ健全な恋愛ができないのか

私は虐待サバイバー。
記憶している中でも一番の体罰は、真冬のベランダに追い出されたこと。
寒くて悲しくて逃げ出したくて、暖まりたくて。
これが三歳の頃なのだから、本当はもっとひどい体罰を受けていたはず。

虐待を受けていた私は、いつもいつも寂しくて、保育園の頃には気になる男の子がいた。
「〇〇君と手を繋ぎたい」とか、ませたことを考えていたっけ。
とにかく、好きな人は何人もいる状態。
それは多分、埋められない寂しさを、人を好きになることでカバーしていたのかもしれない。

私は母子家庭で育ち、重度障害を持つ妹の介護もしていた。
ヤングケアラーという言葉で現在は伝わるけど、30年以上も前にそんな言葉はない。
当時の私を一言で表すなら【汚んなの孤】だろうか。
汚くてひとりぼっちな女の子。
だから、汚んなの孤という漢字がしっくりもくる。

肉体的な虐待は日常茶飯事、精神的に追い詰められることもしょっちゅう、蛆虫が湧くほどの育児放棄。
シンクにはいつも、ゴキブリが浮いていたっけ。
天井にもゴキブリが歩いていて、寝ている私の顔に落ちてきたこともあった。

変な家庭環境で育ったからか、自分というアイデンティティが確立されずに苦しむ。
私って、どんな人間なんだろう?
みんなと共存して良いのだろうか?
母親の帰宅しない深夜0時、母に捨てられたのでは?という不安から、自分という存在に疑問を感じた。

小学生の高学年にもなると、自分を必要としてくれる人に依存するようになる。
それが、私の恋愛観となってしまった。

私が交際する人は、ほとんどが自信のない人。
そして、自己を誇れるものがない人だった。
私は昔、ちょっぴりモテた時期があって、「春ちゃんと付き合えている」という優越感に浸る男の子もいたほどで。

そして私が交際する人のほとんどは、お金持ちが多かった。
私の家が比較的貧乏だったため、金の匂いには敏感だったのかもしれない。
そして、交際相手にお金を出させることが当たり前。
だって、私お金がないし、お小遣いも貰っていないから。

すっごく性格の悪い女だったと思う。

それでも、一途に依存してくれた人もいた。
私のことを好きなあまり、束縛してストーカーになってしまった人。
私のことが好きすぎて、私が別れを切り出した途端に、大泣きしてしまった人。
逆に、私に男友達が多いことが気に入らず、別れを切り出してきた人もいた。

そんな中でも、ごく少数まともな人がいた。
それなのに私は、刺激が少なすぎるからと振ってしまったし、浮気もした。
典型的なダメ女。
本気で私を大事にしてくれて、交際から一ヶ月経っても手を出さない男の子が二人いた。

私は、親からの真っ当な愛を受けずに育っている。
重度障害者の妹の介護をすれば、母が喜ぶ。
それを知っていたから、一生懸命に「のんたん」の本を読み聞かせした。
妹の面倒を見れば、きっと母は私にも興味を示してくれる。
そう期待して、一生懸命お世話を頑張ったのに。

母は、妹を寄宿舎(養護学校に併設している寮のような施設)に預けた途端、帰ってこなくなってしまった。
憎悪の気持ちで苦しむ私。

どうすれば、人は私を必要としてくれるのだろう?
それが、性的なものでも構わないから、私を必要として欲しかった。
だから、大事にされればされるほど、不安にもなったのだ。

二十代になり、人生で本当に心から愛していると思える人に出会った。
私は、この人と一生いたいと思う反面、自分の素性を知られたくないと思った。
私には、ネット上では誰にも伝えていない、もう一つの過去がある。
でもそれは、今後も話す予定はないし、それを題材にお金儲けしようとも思わない。
ただ、ひみつの話があったからこそ、彼との交際に向き合えなかった。

結局私は、彼との子どもを妊娠してしまう。
本当なら産みたい。
だけれど、ひみつの過去があるからそれができない。
私の素性を知られてしまったら、絶対に嫌われてしまう。
彼は私にこう言った。
「産みたいよね?産めないよね…」

きっと彼は、私の口から産みたいという言葉を待っていたのかもしれない。
だけど私は、どうしてもこの子を産むという決断に至らなかった。
本当に大好きで愛しているからこそ、自分の生い立ちを憎んだ。

もっと綺麗な状態で、あなたに会いたかった。
あなたに愛されるにふさわしい女でいたかった。

その彼氏とは結局別れてしまい、私は胎児する。
胎児してしまった子と、私の長男の当初の出産予定日が同じ日だったのは、きっと何か意味があるのだろう。

その後の恋愛は、私を好きになってくれた人と付き合うだけというもの。
本当に好きとか愛しているとか、そんな気持ちは生まれなかった。

そう、私は失礼な女なのだ。
親から真っ当な愛を貰わないと、他人を傷つける恋愛になってしまう。


虐待サバイバーの私たちは、人を大切にすることができない。
それは、自分を大切にすることを教わらないからだ。
たくさんの愛を与えてもらっていれば、自分も他人も傷つけたりはしない。

昔読んだ本に、こう書いてあったことを思い出す。
男の子は特に、母親との関係性が悪いと、犯罪を起こすと。

犯罪を犯さないにしても、私たち虐待サバイバーは、異性との関わりを通して自他ともに傷つけ合う。
自分のことを愛してあげないから、私たちは真っ当な恋愛ができないのではないだろうか?

自分を大切にするということを知った時、そこでまた自分の生い立ちを悔やみ憎む。
大事にされたいし、自分を大事にしたい。
そう気付いた時には、たくさんの人を傷付け失ってしまっている。

そう気付いた時には、自分を傷付ける人が、パートナーであったりもするのだ。

虐待は、虐待をする親から離すことで解決はされない。
幼少期に受けた洗脳、恐怖、支配を解かない限り、虐待の連鎖は繰り返される。
そして、そういった人たちが愛し合い、そこでまた終わらない虐待が繰り広げられてしまう。


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