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小田原の二つの城

2月中旬ごろ小田原へ行ってきました。目的は「お城を見に行く」こと。

小田原には小田原城ともう一つ、豊臣秀吉が小田原攻めのときに作った石垣山城があります。

石垣山城は、もともとは「笠懸山」と呼ばれていた山に築かれました。天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を大軍で包囲し、その本陣として「総石垣」の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれるようになったそうです。

「総石垣」とは曲輪(くるわ)の周囲や天守閣などの基礎がすべて石垣で出来ているものです。石垣山城は、関東ではじめて造られた総石垣の城とのことで、石積みは近江(滋賀県)の穴太衆(あのうしゅう)〔石工の技術者集団〕による野面積み(のづらづみ)。だいぶ石垣が崩れてきていますが、今も当時の面影を色濃く残しているとのことです。

この石垣山城は「石垣山一夜城」とか「太閤一夜城」とも呼ばれています。これは秀吉が山頂の林の中に建物の骨組みを造り、白紙を貼って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を切り倒し、「一夜にして城が築かれたぞ!」と思わせたことからきているそうです。実際はのべ4万人が動員され、約80日間を費やして築かれたそうです。

それから小田原城。もともとは15世紀の中頃に造られた城でしたが、1490年代に北条早雲が進出してきて、それ以降小田原北条氏が五代約100年に渡って関東支配の中心拠点としてきた城です。

豊臣秀吉の小田原攻めにより北条氏が滅亡した後は、徳川家の重臣が城主となり、箱根の関所を控えた関東地方の防御の要として幕末に至りました。

明治になり小田原城は廃城となり、明治5年(1872)までに城内の多くの建物は解体されました。さらに大正12年(1923)の関東大震災により石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われたとのこと。

その後、昭和9年(1934)に隅櫓が再建され、昭和35年(1960)5月には廃城以来90年ぶりに天守閣が復興されたそうです。ただし…再建した天守は鉄筋コンクリート構造。まぁ仕方ないですよね…。


小田原駅を出ると小田原城が見えました。かっこいい!!
「うめまる号」に乗ると石垣山城まで連れて行ってくれます。
観光バスではありませんが、ガイドさんが説明してくれます。
石垣山城の駐車場。相模湾が見え、河津桜が綺麗に咲いてました。
「総石垣」の石垣。野面積みです。
ここは二の丸。広くて気持ちよかった。
本丸の物見台より。ここまで来ると小田原城も見えます。
「続日本100名城」のスタンプも押して来ました。
小田原城。暖かい日だったのでけっこう賑わってました^^

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