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背中を見て...くれるかな

夫が「昔は「背中を見て育て」なんてよく言ったものだけど、最近はそんな時代じゃないよね~」と言うのです。
うん。そうかもしれない。そうなのだけど、やっぱり私は背中を見ておいて欲しいなと思ってしまうのです。

そんなにかっこいいものではなくて。
お手本になるようないいところを見習えという意味ではなくて、ちっともよくないところも全部ひっくるめた私の生き様を見てくれ!みたいな感じです。

そもそも私は、息子とは対等な関係でいたいと考えています。
共に喜び共に泣き、助け合って支え合って生きていく「家族」という最も重要で大切な仲間。同時に、いつか独りで旅立っていく仲間であることも意識しています。
親だからどうということではなく、私の方が37年ほど長く生きているので、その間に経験したことや学んだことは伝えていくよという気持ちです。

私はよく自分の昔の話をします。
例えば少し前にはこんな話をしました。
小学生の頃、夏休み中に勉強も宿題もしないで遊びまくっていて、最終日に泣きながら徹夜で片付けた話。高校生の頃には、夏休み明けのテストでなんと0点を取ったんだなんて話も。
母もいろいろあったんだよー。けど、なんとか乗り越えて今を生きてるよと。

こういう話は息子には相当響くようで、オンライン授業が続いている今、自分で計画を立ててコツコツと宿題や勉強をしています。
「だって母みたいになりたくないもん」だそうで。
私の0点も無駄ではなかった!!

例えば息子が悩んでいる時には、私もそういうことあったな~と話します。
時が経つと大変だった経験は自分の糧になっていることがわかるし、悪くはなかったって思えるようになるものよなんて言うと、ある程度ほっとするようです。

この作戦は、息子には合っているなと感じています。

以前何かで「頭の良くなる遺伝子はない」と読んだことがあります。
高学歴の親の元に生まれた子の偏差値が高いのは、親から受け継いだ「頭のよくなる遺伝子」のおかげではなくて、親が勉強の仕方を知っているとか、親が勉強している姿を見せているとか、そういう影響のおかげだということが書いてあったと記憶しています。

だから私は、一番身近にいる大人として、息子にやって欲しいことを私がする。やって欲しくないことは私もしないということを、単純に心がけています。

親がソファに寝転がってスマホでゲームをしながら「勉強しなさい」なんて言ったところで、子どもは全然納得できるわけがありません。
親が何の努力もしないまま夢をあきらめて過ごしているのに、「夢はかなうよ」なんて言ったところで何の説得力もありません。

私はいつも「何かを成し遂げた人はみんな、最後まであきらめずにがんばれた人なんだよ」と話しています。
だから、どんなに苦しい状況にあっても、不器用でもカメの歩みでも、腐ったりあきらめたりしないで、少しでも良くなるように、少しでも目標に近づけるようにがんばり続ける。私自身がまずやるようにしています。

母は、義両親(私からすれば父方の祖父母)との同居で苦労しましたが、何度も大病をしても、父の死後も、最後までやるべきことをやり遂げました。しかも、自分の人生を楽しむことも忘れませんでした。だから今こんな状況にあっても、前向きに元気でいてくれているのだと思います。
そんな母を見ていると、私はまだまだ甘い!まだできるはずだ!と思います。
その母も以前、「母(私からすれば祖母)を見ていたから、私はまだまだ甘いと思うのよ」と話していたと記憶しています。
やっぱり親子なんだ。

父は、家では「ほー」か「ほーかね」しか言わないので「ふくろう」と密かに呼ばれていたような言葉の少ない人でした。家にいる時は、常に何かを読んでいる、もしくは書いていました。
勉強を教えてもらおうとすると、「辞書持ってこい」。辞書を開きながらここがわからないと聞くと、「父の部屋から大きな辞書を持ってきなさい」。自分で調べて考えて、何がどうわからないのかわかるようになるまで決して教えてくれることはありませんでした。
気づけば私、今息子に同じことを言っています。
「辞書ひいてごらん」。
息子はGoogleさんに聞くこともしばしばですが...。

父はそんなことを一言も言いませんでしたが、今、私は理解しています。
困った時、自分で何の努力もしないのに助けてもらえるなんてことは絶対にないということ。自分で考えなければ身に着かないこと。

息子は、もしかしたら何も見ておらず、何も感じないかもしれません。
ま、それなら、それで。
でも、もしかして何か見ていて、いつか「あっ」という時があったら、それはなんだかうれしいなと思うのです。

私が息子にしてあげられることはとても少ないのです。
だから、せめて、私自身が一生懸命、よく生きて、楽しいことも見つけて暮らしていきたいと思います。
そして、母は大丈夫だなと思ってもらって、自分の人生を自由に生きてくれたらいいなと望んでいます。

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