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アメリカの小学校の標語が素晴らしい

息子のzoomでの授業を見ているととてもおもしろいのです。

必要な時以外は全員ミュートにして発言したい人は手を挙げるというルールになっていますが、自分に注目を集めたい子、いつも口を出したい子というのが数人いて、すぐにアンミュートして何か言い出します。鼻歌を歌ったりもしています。
鼻歌には「ノイズー」と文句を言い、よく話す子には「自分でミュートにして!」と命令します。言われた方も「お前こそな」と返します。
そんなやりとりも単純におもしろいのですが、そんなことをしているのは数人で、他の子たちはちっとも参戦してこないのもおもしろいと思うのです。
とりあえず乗っかって「そうだ、そうだ」と同調する子もいなければ、「お前たちこそうるさい」と怒ってくる子もいません。
わざわざアンミュートにするのが面倒なだけかもしれませんが、なんとも自由でマイペース。
人は人、私は私で、話したい子は話せばいいのだから別にどうでもいいや的な感じ。

先日は、馬場から登場した子がいました。お母さんの方が大はしゃぎで「先生見てー。今日はうちの馬と一緒よー」と。先生は「あー、素敵ねー!」とさらっと流し、多くの子供たちは特に反応なし。
どっちも自由だなー。

Spirit Dayというのがあります。
普通に学校に通う日でもやるのですが、決められたテーマに合わせた格好をするのです。
zoom授業の中にも楽しみを!ということなのかと思いますが、今はかなり頻繁にやっています。
Sports Dayなら好きなスポーツチームのティシャツや帽子をかぶるとか、自分のやっているスポーツのユニフォームを着るとか。Crazy Hair Dayならビジュアルバンドの人みたいに髪の毛を立てるとか、大きなりぼんをたくさんつけるとか。Wacky Wednesdayなら目をつぶっても目が開いているように見えるメイクをするとか、着ぐるみを着るとか。それぞれにできる範囲で工夫して楽しんでいます。ですが、特に何も参加しない子というのもいるのです。それでももちろんOKなのです。
取り組んだ子にはそれぞれいいねー!と褒めるけれど、参加しないからって怒られたりもしないのです。

この、自由に自由を表現できる自由さ、日本では味わったことがありません。
横並びである必要はないのです。
やるもやらないも自由。飛び出す子を抑え込もうとする力は生まれず、やらない子をけなす力も生まれないのです。
こんな環境が新しいものを生み出す力を育てるのだなと、改めて痛感しています。

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別の話の中から息子の学校の標語を聞いて、はっとしました。

Be kind.
Be respectful.
Be responsible.

これって、もしかして、この3つをほんとうに心がけることができたら、とても独立した人間を育てることができるのでは???
これさえあれば、校則なんていらないのでは??

最近の日本のニュースを見ていると、これらに欠けている人が増えているように感じます。
困っている人がいても、見て見ぬふりをする人。
相手を尊重せず、誤った正義を振りかざして自己満足する人。
顔も名前も見えないインターネットだからといって自分の発言に責任も持たず、相手を傷つけても全然気にしない人。

Be kind.

これは言わずもがなかと思います。
日本の小学校でも「人にやさしくしましょう」とかよく聞くフレーズですね。

Be respectful.

これは、私たちにとってとてもとても大切なキーワードではないかと思います。
自分と違う人を認めること。そして尊重すること
これが自然にできるようになるだけで、ものすごーーくストレスが減ると思うのです。

例えば毎日の学校への送り迎え。
私は英語での雑談は苦手なので、できればそっとしておいてほしいのです。そういうオーラを出していると、ちゃんとほうっておいてくれます。だからといって無視されているというわけではなく、もちろん挨拶はするし、お互いのタイミングがあえば普通に話もします。必要なときには助け合うこともあります。
そういう人は外国人である私だけではありません。
あの人浮いてるとか、あの人の周りにはいつも人がいるとか、誰もあまり気にしていないのです。ママ友いじめ的な話も聞いたことはありません。
これも、リスペクトかなと思うのです。話したくない人は無理に話さなくてもいいし、輪の中に入れてあげないことが意地悪でもないのです。

こういう雰囲気は、私にとっては居心地がいいものです。
みんなが”人は人、私は私”で行動しているので、私も堂々とマイペースをつらぬけるとでも言いましょうか。
このことに気づいて、かつていつまでもアメリカ生活に馴染めないなぁと落ち込んでいた私も、私は私で気にしなくていいんだと開き直って自分の歩みを取り戻せるようになりました。

この心地よさ、ぜひとも日本人のみなさんにわかってほしいなと思います。
お互いに相手を尊重できるようになれば、人と違うことをして叩かれることはなくなるし、人から叩かれることを恐れて委縮する必要もなくなるのです。自分と違う意見を持つ人と出会ってもムカつく意味もないのです。
みんながさっぱりして、不必要なストレスの中で鬱屈して過ごさなくてもすむようになると思うのです。

ただし、厳しい世界でもあることも心に留めておかねばなりません。
誰かが察してくれると黙って待っていても、誰も手を差し伸べてはくれません。
自分の希望は、自分で声を上げて理解してもらう努力をしなければなりません。

Be responsible.

相手を尊重すれば自由にふるまっていていいのかといったら、当然そうではありません。
自由には責任が伴います

私は、あれダメこれダメとダメダメルールを並べるより、自分のしたことには自分で責任を持つとした方が、自分で考えて行動する人が育てられると思っています。
責任のとり方を一緒に考えていく中で、その行動を顧みることができる。そこから、次はどう行動すべきか自分で判断することになるからです。

細かなルールに従って、言われた通りに決められた枠の中におさまってればいいんでしょ?という考え方の人が増産されたところで、ちっとも楽しくありません。
言われたことをただやりこなすだけでは身に着かないと思うのです。
自分で責任を持つと覚悟して、納得して、理解してやってこそ、応用もできるし改善もできると


息子の学校の子供たちはどんなにすごいんだ???ってなってしまいますかね?
おそらく、こんな標語など頭の片隅にも留まっていない子もいると思われ、みんながみんなちゃんとできているわけではもちろんありません。

でもこの標語、とても素晴らしいなーと私は思っています。

ものすごく夢のような話であることは承知ですが、相手を尊重し、自分に責任を持つことを意識し、それぞれできる範囲で親切にふるまえる人が少しずつでも増えていけば、心穏やかに過ごせる人も増えていくのかなと願います。

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