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息子の後ろ姿

約一年半ぶりに学校が全面再開した。
不安も心配もあるけれど、でもやっぱり楽しみだね。の、その初日、相変わらずご飯を食べるのが遅い息子は遅刻ギリギリになってしまった。

ただでさえ、夏休み明けの新学年初日には、両親そろって送りに来る家庭も多い。
しかもこんな時だ。最近では見たこともなかったたくさんの人たちが集まっている。しかも、やっぱりみんな興奮気味だ。

焦って小走りな私たちに、子供を送り届けて戻ってくる親たちが次々声をかけてくる。「おはよー」「元気にしてたー?」
こちらも「おはよー」と笑顔で手を振りながらも小走りは続ける。
「さあ、じゃ、並ぶところ昨日説明したからわかるでしょ?先生の顔もなんとなく知ってるんでしょ?」
と早口で言うと、
「顔知らないよ。わからないよ」
と、なぜここで見捨てられるのかわからないといった顔。
そういえば、感染対策で三年生以上の親は教室の前まで送ってはいけないことになってるって話、昨日しなかったっけな。けど、そんなこと説明している余裕はない。
「大丈夫。行けばわかる。絶対に。じゃあね。楽しくね」
と無理やり押し出した。

不服そうな表情を残したまま、息子は、人波の中に消えていった。
その後ろ姿を見ながら、「がんばれー、がんばれー」と何度も何度も心の中で叫んだ。
家に戻ってすぐ、我が家の神棚になっている棚に向かって、神様とご先祖様と亡くなった父に、息子をよろしくお願いします!と祈った。

けど、大きくなったよな。
ちょっと前まで、あんな時、絶対泣いて私から離れようとしなかったのに。
自分でしっかり歩いて行ったね。
すごいんだなーと思ったら、なんだか涙が出た。

息子は、生まれた時から私とほんの少し離れるのも許してくれなくてよく泣いていた。
トイレに行くのだって、危なくないようにとおいていくベビーベットの柵を、ない歯で噛みながら怒って泣き叫んでいた。
お散歩に行くからとストローラーに乗せてもいやだと怒って泣く。
とにかく家の中でも外でも、ほとんどすべて、私が動かなきゃいけない時はずっと抱っこしていた。
腰の調子がいまだに悪いのもきっとあのせいだって思うけど、ま仕方ない。

ある時は、友達の家に遊びに行って、帰りたくないし疲れちゃったしでもうめちゃめちゃになって、車に乗せるのも大変、乗ってもエビぞりになってベルトもさせてくれないで苦労した。その頃はだいたいいつもそうだったけど、その日は特別すごい抵抗だった。虐待で通報されたらまずいと焦って汗だくになってようやくベルトして、逃げるように家に戻ってきて玄関のドアの鍵を閉めた瞬間、息子を抱っこしたまま、私は大泣きした。
大泣きしている私を見て、息子も大泣き。あなたのせいで泣いてるのに、何であなたも泣くの?と泣きながら笑った。

英語を習いに行こうと決心して、チャイルドケアに預けてみた。
泣き叫んで私を追う息子を羽交い絞めにしながら、いいから行けと言う。不安の中がんばって勉強を終えて戻ると、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、私の顔を見たからといって笑いもしない。ほぼ無表情。
ただただ、彼の、おそらく彼の中では一番の力を込めて私の手を握り、ただただ横に並んで一緒に歩く。到底気持ちは収まらないから、駐車場の周りをただただ二人で歩いて、しばらくしてから車に乗って家に戻る。
だんだん慣れるだろうと思ったけれど、毎日ちっとも変わらない。こんなこと週に三日も続けるのは私の精神が続かないと、英語学校は途中であきらめた。
フランスの児童心理学者が書いた本を読んだら、親と無理やり引き離された子供が、その次親に会った時に笑顔を見せなかった場合、子供は心に相当深い傷を負っていると書かれていて、私の心が相当深い傷を負った。
後に息子にそのことを話して謝ると、「全然覚えてないし、全然大丈夫だけど」とさらりと言われた。

そんな昔のことをいろいろ思い出した。

初めてプリスクールに通い始めた頃は、英語は全然できなかったから、つたないながらも私が通訳していた。
サッカーを習い始めた時には、「黄色は何の色?」と聞くコーチに「Banana!」と叫ぶ子供たちに交ざって「バナナ!」と一人明らかに日本語発音で答える息子を見て涙が出たこともある。
あれからほんの何年かしか経っていないのに、今では英語力は家族一だ。
中学時代から英語の勉強を始めてうん十年経った私は、いまだに満足に話せないのに。
言葉自体を話し始めてまだ十年も経たない息子は、もう「この言葉ってどんな意味?」と聞くと、かなり的確に教えてくれるようになっている。

ついこの前まで、私と一緒に遊びたくて「それいつ終わる?あとどのくらいで遊べる?」って何度も何度も聞きながら付きまとっていたのに、最近は、友達とチャットしながら遊ぶのが楽しくて、「母は好きなことしていていいからね」なんて言う。

成長するんだ。

息子ももうすぐ声変わりなんてしちゃって、話しかけてもうるせーよとか言うようになって、一緒にでかけるなんてうざいよとかなって、免許を取って自分でどこにでも行けるようになって、そして大学に入って家を出ていくんだ。
もうあと少しなんだ。

母であるからには、一生息子を心配しながら生きていくのだろうと思うけど、少し段階が変わってきたのを感じている。
ちょっとだけ頼もしくなった息子の後ろ姿に、私は、彼の成長をいつでもそっと後押しできるような母でありたいと改めて思った。

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