見出し画像

靴を脱いで家に上がるという文化

玄関のドアを開けて、靴を脱いで家にあがったら、あー我が家に帰ってきた。人の目を気にせずにくつろげる場所に帰ってきた とほっとしませんか。
そのあたりの感覚が、アメリカ人と私たち日本人とでは、どうもちょっと違う感じがするなと思っています。
そしてそれは、「本音と建て前」の感覚につながっているのではないかなと感じているのです。

友達の家に遊びに行かせてもらっていた息子を迎えに行くと、まあたいがい親が迎えに来たからといって子供はすぐに「はーい。じゃあね~」とはなりません。子供たちの気が済むまで、しばらく待つことになります。
そんな時、多くの親が「Come in!」と言って気軽に家の中に通してくれます。
あるおばあちゃんなんかは、「あなたの子なんだから、あなたが連れて行きなさい」とか言って、自分はソファに寝転がったまま、私に家の中を探させて連れて帰るように言ったりもします。
そのおばあちゃんは、逆に我が家に迎えに来た時に、黙って家にあがってきて、黙ってトイレを使って、しかも汚していったというびっくり事件もありましたので、スタンダードではないだろうとは思っていますが...。
まそれは余談で、招かれたこちらも靴を脱ぐ必要はなく、靴を脱がないので玄関らしい玄関のある家も少なく、なんとなくすっと家の中に入ることができます。

例えばどこかで偶然会って、そんな予定ではなかったのに急遽家にお邪魔することになるなんてことも、結構気軽に受け入れてくれます。
「散らかってるけどね~」なんて言われて入ってみると、泥棒にでも入られましたか?くらいの散らかりようでも、あっけらかんと迎え入れてくれるのです。

一方日本では、「玄関先で失礼します」と言ったりしますし、「敷居をまたぐ」なんて表現もあります。また、「土足で踏み込む」という表現もありますね。
靴を脱いで家の中まで上がるというのは、特別の意味を持っているのだと思うのです。

それから、寝起きのパジャマや部屋着にスッピンで外に出るのはちょっとなぁと思ってしまいませんか。
こっちの人は、そういうこともあまり気にしないようです。
近所のおばあちゃんは、いつもガウンのまま新聞を取りに出て、そのままついでに前庭の手入れをしたりしています。
朝学校に送りに来る時に、それ絶対パジャマでしょ?って格好で来ている親もいます。

家の近所を歩いていると、玄関のドアの外や、前庭に置いたベンチなどで電話をしたり、くつろいでいる人を結構見かけます。
歩いている私から丸見えな場所です。

そうかと思うと、真っ裸で他人と一緒にお風呂に入るというのは抵抗があったりするようです。子供とも一緒には入らないのだとか。バスルームも各部屋についていますよね。

見せてもいい所、見せたくない所に対する感覚が違うのだなあと感じるのです。

***

ちょっとこれを見てみてください。
Robinhoodという株取引アプリを使っている人に毎週送られてくる経済ニュースメール、『Robinhood Snacks』の2021年7月19日版から引用します。東京オリンピックに関するいくつかの数字が紹介されています。

0: Number of fans attending. All spectators have been banned, after Japan declared another state of emergency amid rising Covid cases this month.
$15.4B: Cost of the Tokyo Olympics, according to organizers. That's 22% higher than planned due to extra pandemic-related costs.
$3B: How much Tokyo has raised from 47 domestic sponsors, a record from host nation businesses at the Games.
-90%: How much spending tied to the Games is expected to drop with zero spectators — and that doesn't include spillover tourism spend (think: hotels).

DeepLを使って訳したものも載せますね。

0:参加するファンの数。日本では今月、コヴィド感染者が増加する中、再び非常事態宣言が出されたため、すべての観客の入場が禁止されました。
$15.4B: 主催者が発表した東京オリンピックの費用。パンデミック関連の追加費用により、予定よりも22%高くなっています。
30億ドル:東京都が国内47社のスポンサーから集めた金額で、開催国企業としては過去最高。
-90%: 観客動員数がゼロになると、大会関連の支出がどれだけ減るかを示しています。これには、ホテルなどの波及効果のある観光費は含まれていません。

とてもわかりやすいですよね。
もしも政府が、こんな風に具体的な数字をあげてオリンピックの開催可否や観客動員についての説明をしてくれていたら、世論はもっと違う方向へ向いていたかもしれないなと思います。

しかし一方で、もしかしたら日本社会は、こういった直接的なアプローチを受け入れることができないのかもしれないなという気もするのです。

というのも、先日息子の友達の誕生日に、ゲームで使う課金カードをリクエストされました。いいよ。じゃ、それにしようとなったら、すかさず「いくらくれる?」と聞いてくるのです。
靴を脱ぐ文化で育った私は、つい、金額を聞いてくるなんて野暮だわなんて思ってしまったのです。
しかしよく考えてみれば、どうせあげた時に金額はわかるわけで、先に知っておけば何を買おうかと計画が立てられるわけです。現にその彼は、あげたその日の家に帰ってほんの10分くらいの間に、すべてのお金を使い切っていました。あらかじめ、買いたいものをリストアップしてあったようです。

***

日本人は、人に明け透けに見せてはいけない領域をとても広く持っているのだと思うのです。
相手のことを考えてという部分でもそう。体裁を整えたいという部分でもそう。
良い意味でも悪い意味でも、直接人に見せたくないものは家の中に仕舞ってしまうという習性を持っていると思うのです。

一方アメリカ人の場合、家の外で見せている顔と家の中にいる時の顔に、そんなに大きな隔たりがないのです。
隠したり、取り繕ったりする必要をあまり感じていないので、「歯に衣着せぬ」物言いができるのです。
はっきりと意見を表明できるので、そういう意味でのストレスもたまりません。
みんながはっきりと言うわけですから、お互いに受け入れ合うし、変に相手の真意を詮索する必要もありません。
そんな環境だから、日本のような陰湿さがないのだろうと考えています。

例えば私は、気が乗らない誘いを受けた時、英語でどんな風に断ったらいいんだろうと悩んで、あれこれ辞書を引いたり検索したりしてしまいます。
でも、そういうあいまいな表現って、あるにはあるのですが、どれもいまいちしっくりこないのです。

息子は最近音声チャットで友達と話しながら遊んでいるので、彼らの会話をよく聞いています。すると、「I hate you!」とかよく平気で言っているのです。
それって、どんな感覚で言ってるの?と聞いてみたところ、当たり前ですが「お前のことなんか嫌いだ!」ということではなく、「なんだよ。そんなのやめろよ~」みたいな感覚だと。
なるほど。日本と反対です。やわらかい表現を使ってキツい真意を包み隠すのではなく、キツい言葉でやわらかい気持ちを表現しているのです。

***

ここしばらくの日本の様子を見ていると、政府やオリンピック組織委員会、大手広告代理店など、国の中枢にあったり、リーダーシップをとって大きな物事を動かす人たちが、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったというマリー・アントワネットばりに見るべきものが見えなくなっているようで、こりゃもう大変なことになっちゃってるぞと心配しています。
こんなに我慢強くて協力的な国民がたくさんいる国って他にはないんじゃないかと思うのに、だからこそ余計に残念でなりません。

こういう人たちは、もしかしたら、体裁ばかりを気にしてあれこれ家の中に詰め込んでいるうちにぐちゃぐちゃのごみ屋敷になってしまって、本来は持っていたかもしれない志や良心といったものは押し入れの奥の方に押し込まれて、もう探すこともままならないような状態になっているのかもしれませんね。

多分一度、家の中を整理する必要がありますね。余計なものは捨ててきちんと片付けて、押し入れの奥のものも引っ張り出してこなければ。
いつでも土足で入っていいよとまではさすがに言わなくていいですが、ピンポンしてくれたら迎え入れるよと堂々と言えるくらいに、風通しをよくしてくれたら。
身内とばっかり付き合っていないで、いろいろな家を訪ねることも忘れないで欲しいです。

なんて、人のことばかりを言っていないで、まずは自分の家(心)を整理して風通しをよくしなければ。

読んでくださってありがとうございます!左下のハートマークをポチッとしたり、シェアしていただけたらうれしいです。