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子ども目線から親目線になって気づくこと

高校生の時、運動部に入っていたのだけど、引退試合のときはじめて母親が見に来てくれて、しかも私はシュートを決めたので母親に褒められ、けっこううれしかった記憶がある。

でもその記憶と一緒に思い出されるのは、私の試合には一度しか来なかったのに、弟の試合にはやたらと行っていたなという苦い気持ちだ。

弟は、なにかにつけて優遇されていたように思う。私自身も親から大切に育てられたし親との関係も良いので、実際に親がどう考えていたかは知らない。でも私の記憶の中ではそういうことになっているし、兄に聞いてみても「弟が一番贔屓されていた」というので、まぁ優遇されていたのは事実なんだろう。お小遣いで買うように言われていた服も、弟だけは親がたまにお金を出していたのを知っているし、すごく小さな話だけど、ケーキを買ってきたときに一番最初に選ぶのも弟だった。

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年明け、友達の赤ちゃんに会った。0歳児、正真正銘の赤ちゃんをみて、うちの下の子がもう赤ちゃんではないことに気づいた。

上の子6歳と比較すると、下の子3歳は赤ちゃんのように思えていた。まだおむつが取れていない、抱っこ抱っこと言う、ご飯を食べることにすぐ飽きてあーんしないと食べないなど。

でももう、赤ちゃんじゃないのだ。本物の赤ちゃんを見て、3歳のしっかりとした幼児っぷりに驚かされた。

それと同時に、3歳のことを赤ちゃん扱いして、なんでもやってあげて甘やかしているのは、6歳からしたら贔屓に感じることもあるかもしれないと気づいた。3歳にあーんしていると、ときどき「ずるい!あたしにもあーんして!3歳ばっかり!」と言ってくることがある。高校生の私が感じていたことも、こういうことの積み重ねだったのではないか?

6歳のことだってもちろん可愛い。たくさん甘やかしてあげたい。でも3歳に対するこの気持ちは何なのか。言語化してみようと考えたら、思い当たるのはさみしさだ。私はこれ以上子どもを持つことはないから、3歳は最後の赤ちゃんだし、そのお世話は「人生で最後の〇〇」ということになる。最後の抱っこ紐は感慨深くてしみじみしちゃったなぁ。(とかいってまだ使うかもしれないけど…いやもう4歳になるから使わないか)

そのさみしさに加え、6歳は小学校入学を控えていた。小学生。その響きだけで、なんだか大きくなったなと感じてしまっていた。自立させなければという気持ちもあった。結果的に、無意識のうちに3歳は甘やかし、6歳には少し厳しい、みたいな状況になっていたように思う。

私の母の場合も、最後の小学生か…というさみしさから弟には甘かったのかもしれないし、上は高校受験大学受験を控えているからそろそろ自立だとかそういう気持ちもあったのかもしれない。そう思ったら、少しは理解できた気がした。

理解できたけど6歳が今感じている「ずるい」「いいな」「かまってほしい」は放置していてはいけないので、小学校入学前の3か月を「6歳甘やかし期間」とし、月に2回程度有給を取得して希望を叶えることにした。スーパー銭湯、温水プール、博物館、あんみつデート、映画、まぁいろいろ行った。

下の子の赤ちゃん感がかわいいってこと以上に、最初の発語とか最初の歩行とか「子育てにおけるはじめて」にもめちゃくちゃ感動してたのに、6歳になると自転車乗れても「感動!!!」って感じではなく「すごーい!でもまぁ6歳だしね」みたいになっていたように思う。反省。(もちろん本人に対してはめっちゃ褒めているけど)

同じように可愛がっているつもりでも、子どもたちが違うようにとらえることはあるし、すべてを平等にすることはむずかしいんだけど、子どもたちの意見も聞きながら自分の接し方はその都度見なおしていきたいなと思ったできごとでした。


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