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人生最後の飲み会

週末、仕事終わりに会社の飲み会があることをそれなりに楽しみにしてる自分がいた。

夕方5時すぎ、業務に辟易して疲労とストレスが限界を迎えつつあっても、3時間後の飲み会のことを考えると、自暴自棄にならずに済むセーフティネットが心に敷かれているように思える。

先の楽しみがある時は頭の片隅にごく小さな明るい小部屋があるような感じだ。心が軽い。

いったい大人数で酒飲んで騒ぐことの何がそんなに楽しみなのか、自分でもよくわからないんだけども。

そんなこんなで気力を振り絞って業務終了。いつにも増してとてもよく働いた。本当によくやったと思うが、だから何だ。どうでもいい。これは疲労ではない、徒労だ。

 誰かが言ってた「働くというのはね、 “ 傍を楽にすると書いてはたらく ”なんですよ」 という御高説を思い出した。

うるせえ。

腰が痛い、肩こりが酷い、何故だかやたらと顔が脂ぎってる。
トイレに入り、油取り紙で顔を拭く。誰も私の顔なんぞ見とらんだろうよ。身だしなみ?別に。拭かないと気持ち悪いんだよ。

会社の出口で何人かが待ってる。合流して会場の店に向けて数人で喋りながらダラダラと歩く。初めて話す人もいる。その人が群れから少し離れて一人で歩いてたのでそれとなく話しかけてみる。

無難な話題を振る。お互いの名前だの、この仕事はいつからだの、これまでどこの部署にいただの、そういう砂を噛むような話題にできるだけはしゃいだ感情を乗せたフリをしながら、口から砂のようなトピックを次々と吐き出す。

…しかたないだろ。この初対面の他人と他に何を話すっていうんだ?
「〇〇さん、運っていったい何だと思います?今日ずっと考えてたんですけど、運ってある種の力学かもと思ったんですよ。その源は個々の潜在意識にあって、ものすごく複雑に相互に干渉しつつ引き寄せたり引き寄せられたりする、そういう不可視の引力じゃないかって閃いたんですけど、どう思います?」
なんてことが聞けるわけないんだから。
はあ、早く酒が飲みたい。

雑居ビルのエレベーターにすし詰めで乗り込む。
エレベーターの開と閉ボタンが紛らわしい。最近気づいたんだが開くボタンは必ずドア側に配置されてる。それでも押す前に一瞬躊躇してしまうのでやっぱり紛らわしい。文字じゃなく、●●は閉じる、●   ●は開く、というデザインにすればいいといつも思う。

店内は広く、しかしほぼ満員で逆になんだか狭く感じる。私達は全部で30人くらいいるから、複数のテーブルに分かれて座る。 

どこに座ればいいの?ここの席でいいの?空気を読み合い目配せしながらしばし立ち往生、その後何となくで席に座っていく、いちばん気が合う人と同じテーブルになるように、何となく座る場所が定まっていく、流動的だった群れが徐々にグループ分けされて固定されていく感じ、

不安定な浮遊分子が結びつき合って安定した構造物に落ち着いていく。そうしてたいていその後大きくシャッフルされることはない。私が座ったこの席、最後までここから動けない気がする。

注文は全部スマホから。この数年くらいだろうか、ものすごいスピードでオーダー方法がスマホかタッチパネルに置き換わっていった。そういえば最近は長いことハンディーを見てない。便利なはずなのに未だ便利と思えたことがない。あとスマホのバッテリー切れてたらどうするんだろう。

それにしても酒が来ない。アテは次々と運ばれてくるのに、肝心の酒がこない。ガストで見る配膳ロボットが大量のビールを乗せて近くにいるが、中々こっちにこない。注文したやつあれじゃないのか?もう取りに行ったほうが早い気がする。でも他の客のやつかもしれない。もう泡がなくなるよ。あのロボットが乗せてるビールなら、今この時も泡はどんどん消えている…!

ビールはまだかぁ!彼の歌じゃないが、私は狼になりたい。

乾杯の時に目上の人のグラスより下のほうにグラスを当てるという礼儀を全員が守ろうとするので、互いのグラスの下を取り合うという卑屈なドッグファイトみたいなことが一瞬そこかしこで行われる。

私のテーブルには、職場での仲は普通にいいけどプライベートでの付き合いが無いため、いざ仕事外となると案外何を話していいのかわからない3人が配置された。
でも大丈夫。この中に無口な口下手タイプはいない。私が率先して話題提供し続けたり、取り残されてる人がいないか気にする必要はない。ないんだが、気づけばたいてい私から話題を振ってる。

飲み会の席に限らず、私は複数人で歓談してる時に場の空気が和んでなかったり、誰か取り残されたままになってる人がいる状況が苦手だ。どうしても何とかしないとという気持ちになって懸命にMCになろうとする。それがうまくいってたかどうかは知らない。少しの達成感とか、うまく “ 回せた ” 優越感?みたいなものがありつつ、でも本当のところ何も残らないという空々しい感覚もある。
なんでそこで頑張ろうとするんだろう。

私が頑張って話さなきゃ自分から何ら頑張ることのない(ように見える)人達になんの興味も敬意も持てないと、内心で見下していたのか。

私がいくら張り切ったところで私自身に人間的な魅力なんてなく、中身は空虚だと気づかれていると思いこんで卑屈になっていたのか。

私がいなくてもどうとでもなる集団と状況に対して、何を滑稽にも一生懸命になってるんだよという自嘲なのか。

わからないけど、私はどうもそういう場で黙っていることができない。ぜんぶ相手任せにして、自分からは何もしないでいるということができない。

いつもそうだ。それに対して、私はいつも後になって誰にぶつけていいのかわからないやり場のない怒りをもて余す。
なんで私がお前らなんかのために必死になって接待しなきゃならねえんだよ、というとんでもなく傲慢な思い上がりからくる怒り。

一度自分からは一切話しかけずに終始黙りこくっててやろうか?
聞かれたことだけ答える受け身の若い女みたいに振る舞ってやろうか?
…なんてことをしたことはないし、この日は別に私だけがMCにならなくてもよかった。最初のうちは。

それはさておき、私達のテーブルで交わされた話題について、思い出せる限り書き出してみる。

お酒強い?好きな酒は?この前の休みの過ごし方は?恋人はいるか?好きなタイプは?デートでどこ行った?自炊ってする?得意料理は?唐揚げウマいよね。インスタにどんな写真のせてる?最近ジム行ってる?この前辞めたあの子元気らしいよ。〇〇って〇〇に似てるよね。このアプリお勧めだよetc… 

……しょうもな!!!!!!!!
文字にすると死にたくなるつまらなさ。いやいや、とは言っても、なにも上記の話題を私一人がインタビュアーみたく一個ずつ聞いてまわっていたわけじゃない。実際はそれなりに話は広がって中身も肉付けされて、自然な流れとして話題が移り変わっていったのであって、たしかに今思い返したら何も面白くないんだけど、その場は楽しかったはずだ。たぶん、一応、それなりに。

職場の大人数の飲み会の会話なんてそんなものだろう。あるのはその場の適当なノリだけで、浅く軽いトピックで笑って盛り上がればそれでいい。

フワフワした頭でフワフワした話を交わして、何も考えずにただから騒ぎしてればそれでいいのだ。皆で一緒にフワフワを共有する、それであっと言う間に2時間は過ぎる。

フワフワ、ガヤガヤ。ペラペラ、ゲラゲラ。
大声と、笑いと、時折上がる歓声。
居酒屋の、大勢の、飲み会の雰囲気。

ここには数十人の同僚がいるけど、声が届くのは目の前の4~5人。別のテーブルは別のテーブルごと、それぞれの “酒の場 ”が出来上がっている。

私はフワフワした頭で何となく周りを見渡してみる。他の人達とも話してみたいと思うが、普段そこまで仲良くない、繋がりの薄い人達ばかり。ほぼ知らない人もいる。そんな人達の既に出来上がってる “場 ”に割って入って行く気は起きない。

トイレに立つ。フワフワと通路を歩く。
ガヤガヤ、ザワザワ。店内は満席だ。知らない人たちが思い思いに酒を飲み交わしてるのを横目に見ながら、子供のころ親戚の家で大勢集まって宴会をしていた中にいた時のことを思い出す。

親以外は皆知らない大人たち。体の大きな男の人達が、顔を赤くして大声を出して、腹に響く大声で笑って、普段とぜんぜん違う様子で、傍を通ったら酒臭くて、大きな手で捕まえられそうで怖くて。あの時あの人たちはどんな話をしていたんだろう。案外、しょうもない話だったのかもな。

トイレの男女のマークが地味に紛らわしかった。▼男▲女みたいな。間違えて入ったらどうするんだよ。それから変に雰囲気を出したいのか知らんが暗い照明やめろ。明るいとこから急に暗いとこに来て、シンプルによく見えん。
酔って注意力散漫になってるし、吐く客のせいでトイレが地獄になってることもあるから、暗い照明は百害あって一利なしだ。

その上センサータイプにしてるところなんか用を足してる途中でフッと暗闇になったりして、本当にふざけるなと思う。居酒屋のトイレの照明はコンビニ並みに明るくしておけばいいんだよ。絶対そのほうが汚されにくいに決まってるだろ。ブツブツ。

トイレから戻ると、微妙に人の配置が変わっている。さっきまでいなかった人が隣のテーブルに座っていて、私の席のメンバー2人と話し込んでいる。そうなると私のテーブルに残されたのは私と目の前の同僚Aだけ。私達2人は取り残された。

いや2人でいるんだから2人で喋ればいいじゃん、取り残されてないじゃん、と思われるかもしれないが、違うのだ。

Aは 既に “ 取り残された ”後だった。
状況的にではない。メンタル的に “取り残されていた ”のである。飲み会でメンタル的に取り残された人間は、独特の雰囲気を醸し出すようになる。
 あの「とっつきにくさ」である。

見たことがないだろうか。飲み会で一人ポツンとしている人が纏っている、あの何とも言えない気まずさを帯びたとっつきにくさ。

あの何を話しかけていいかわからない、たとえ話しかけても、何かが閉じられてしまっているかのように、たとえ本人がそこから抜け出して元のから騒ぎモードに戻りたいと思っていても、いちど冷えてしまった空気を容易には元に戻せない、ムリに話せば話すほど気まずさと白々しさが反作用のように襲いかかってきて、刻一刻「き…気まずい」というドツボに呑み込まれてしまう、恐るべき異常事態。 
 
…私は、多少なりとも頑張った気がする。頑張って、Aに話を振って、聞き出して、深堀りして、ヨイショして、だけどその全部が白々しくて、そこで気分が白けてしまった。

取り残され病が伝染したのか、Aと楽しく喋ろうという気がその時まったくもって起きなかった。楽しくなくなってた。むしろ邪魔にすら思えた。完全に一人でいたほうがまだマシだと思った。話すことも思いつかない、気まずい、それで私はとうとう黙った。

何も言わず、どこに目線をやっていいかも分からず、冷めたフライドポテトをつついたり、オーダーストップで新しく注文もできない中、卓上に残っている、氷が溶け切ってほぼ水になった不味いハイボールをすすったりして残りの時間を過ごした。

なーにがMCだよ。何が孤立した人を放っておけないだよ。笑わせるな、この薄っぺらな偽善者が。
つまらないんだろ?興味ないんだろコイツに?最初からそうしてろよ。媚びてるんじゃねえよ。
あーあ、何この時間?

一生懸命に喋ってたのも、笑いを取りにいってたのも、ぜんぶ、素の自分になってこうやって孤立するのが怖かっただけ、必死で回避したかっただけ、それだけのためにやってたように思えてきた。そうして今更ながらに思い出した、こんなことは過去何度も何度もあったことだと。

知らない人達と大勢でやる飲み会で、職場の、本当に親しいとは言えない人達との飲み会で、自分が調子の良いことを言ってムードメーカーになっている “ つもり ” でいた人達と開催した飲み会で、幾度も、幾度も、多かれ少なかれこの惨めな思いを味わってきたはずだ。そうしていつも痛感してきたはずだ。

大人数で、本当の意味で心の通わない人たちと、静かで落ち着けない環境で、ノリだけでお酒を飲み交わしてから騒ぎをしても、後に待っているのは空虚さだけであると。私はこういう人付き合いでは満たされない人間だと。

わかっていたのに、久しぶりで忘れていた。
誘われたことでつい嬉しくなって応じてしまった。誰も悪くない。つまらなくもない。つまらないのは私だ。大人数だろうがから騒ぎだろうが変に気負わず、分相応に目の前の人との時間を分かち合って、素直に謙虚にその時間を楽しめない私が悪いのだ。

完全に気持ちは冷めきっていた。それまでの歓談も虚しく思えた。惨めだ。早くお開きになってほしい。早く帰りたい。解散したい。だったら帰ればよかったのに。お先にドロンしますねって笑顔で抜ければよかったのに、そんなことすら頭が回らず理由の分からない責任感で最後まで居続けなきゃいけないと思ってその場から動かなかった自分のマヌケさ加減ときたら。

私はボンヤリと周りを見渡した。斜め向かいのテーブルでは同僚の女2人が、恋人のような距離で仲良く頬をつけ合わせて抱き合っていた。彼女らはレズビアンではない。ただただ仲が良く、お互いのことが可愛くてしかたがないのだろう。私はそれを見て、何とも言えず不快な気分になった。怒る理由は何も無いはずだがむかっ腹が立って仕方がなかった。 

ようやくお開きの時が来た。帰り支度の中、女子社員たちは身を寄せ合って自撮りしたりして、「絶対絶対また集まろうね♡♡」と写真を送り合ったりしていた。

幹事の人にお礼を言いに行くと、「いっぱい喋れましたか?(^^)と笑顔で聞かれた。位置的に私のことは見えていたと思うが…。後半は見えてなかったのか。その上、「なでがたさんとAさんはシャイな感じだから、色んな人と話せる機会になってよかったね」みたいな事を言われた。

………。シャイ。そうか、私はシャイに見えるのか。それなら私も十分に、取っ付きにくさみたいなの出てるんだろうな、客観的に見て。

外に出る。幹事が〆の挨拶をする。今月はありがとう。来月もよろしくね。それじゃ解散、お疲れさまでーーす。

……………。 

Aが話しかけてきた。「このまま帰る感じですよね?」「…うん」 

そうして、そこで私は、最後の最後に、信じがたいバカをやらかした。

あろうことか、歩き出すAと駅まで一緒に帰る選択をしたのだ。もう一刻も早く一人になりたかったのに!この上今から話したいことなど一言たりともないというのに!

解散になって、駅までの道が同じで、そこでAを放って別々に歩いていくことは、どうにもよそよそしく、あからさまに拒絶的な態度だからやるべきじゃない、義理でもいいから駅までは一緒に帰ったほうがいいと咄嗟に判断してしまったのだ。

Aの態度は飲み会終盤と何一つ変わらなかった。
私がもし話さなかったら、Aは一言も話さず終始無言だったかもしれない。

もう本当に何を話していいか分からないし、たとえ何をどう話しても全部がゴミみたいな会話にしかならない、そういう空気の中で、駅までの道を、ゴミのように白々しく無理やりな会話を続けながら歩いた。自分が望んでそれをやったくせに、私はAに対しても自分に対しても腹が立って仕方がなかった。

何なのこの時間?何なのこのゴミみたいな会話?ねえ何これ?何なのお前?何なの私?何やってんの?どんだけバカなの?何で私が一緒にいたくて無理やり帰り道付き合わせてるみたいになっちゃってんの?冗談じゃねえよ。一緒になんかいたくねえんだよ私だって今すぐ一人になりてえんだよ、ふざけんな!!!! 

Aは別に悪くない。Aも迷惑だったろう。知らんけど。Aの本心は知らないが、あの感じからするにあの時良い心象であったとはとうてい思えない。
たぶんAも似たりよったりの感想を持ってたと思う。

それでも表面上はトゲのない会話を懸命に続けてようやく駅でAと別れた私は、ホームに停車してる電車の横を端から端まで歩いて、ようやく座れる席を見つけ、どっしりと腰を下ろした。深い深いため息が漏れた。
これは疲労じゃない、徒労だ。

私は目を閉じた。

狼になりたいと思った。


ちなみにこの日は私の誕生日だった。

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