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痛みのある世界に生まれてしまった


先週末、ちょうど休日の前の晩だったか、休みを見計らったようなタイミングで左下の奥歯が鈍く痛みだしてきた。
その痛みは1日ごとに強まり、週明けの月曜にはいよいよ放置できないレベルまで酷くなっていた。
食べると染みる。飲むと染みる。冷たいもの、熱いもの、甘いもの、何でもかんでも染みる。奥歯の中に感圧式の痛み発生スイッチがあって、口にものを入れるたび誰かがじわりじわりと圧を強めながらそれを押し込んでいるんじゃないかと思う。
いよいよヤバくなってきたので、朝イチで近所の歯医者に駆け込み、そうして言われた。

神経を取るしかないと。歯医者の説明はいまいち要領を得ないものだった。虫歯なのか、炎症なのか、よくわからないが、この痛みを何とかするには抜髄(神経取る)処置するしかおそらくないだろうと言う。

薬を塗布して応急処置をすることもできるが、おそらく効果はないだろうと思うけど、どうしますか?と聞いてくる。

…どうするって、もうそうなったら選択肢は1つしかないだろ…。

口調こそ柔らかいが、あくまで私の意思で抜髄してほしいと今この場で頼まなければどうしようもない状況である。
私は心底苦渋を舐めるような、苦虫を噛み潰すような気持ちで抜髄処置をお願いした。

何ということだ…

麻酔の針が歯茎から侵入してくる。冷たい液体が注入される感覚。
「奥歯は麻酔が非常に効きにくい場所になるので痛みがでるかもしれません」

……オクバハ、マスイガ、ヒジョウニ、キキニクイ………ヒジョウニ……ヒジョウニ…

ああ…まただ。…またこの時がきてしまったのだ。後悔と懺悔と苦痛にまみれて自問自答を繰り返すこの時間がやってきたのだ。

私の奥歯は、過去の度重なる虫歯治療によって詰め物だらけとなり、生来の歯の成分がほぼないので次に虫歯や痛みが出たら抜髄まっしぐら、ほぼ背水の陣という状態なのである。

進撃の巨人で例えるなら、人類を巨人から守る3重の壁のうち2つが破壊され、最後の壁もヒビだらけだが何とか持ちこたえている、そんな状況である。

解ってた。もう不摂生はできない。だから毎日念入りに歯は磨くし、歯間ブラシだって使うし、寝る時は噛み締めを緩和するマウスピースだって装着してる。そうやってずっと持ちこたえてきた。

2ヶ月前の歯の掃除の時にどこにも異常がないと聞いて、気が緩んでいたのか。
先週友人と酒を飲み、深夜にどうしてもカレーうどんが食べたくなり、カレーうどんを食べるとどうしてもアイスが食べたくなり、そうして糖質を大量に摂ると死ぬほど眠くなる。そのまま口も濯がず、歯も磨かず朝まで眠ってしまった。

まさかあの晩で? 

あの晩壁の補修を怠った、それがきっかけで、あの晩の過ちのせいで、私のウォールシーナは陥落してしまったのか?

あの晩の過ちのためにこれから万単位のお金を失い、数回にわたる苦しい抜髄処置を受け、私の奥歯は血の通わない墓石と化してしまうのか。

 サトラレのように私の思考がテレパシーで他者にダダ漏れなら、その悲痛な叫びに歯医者もうるさくて敵わなかっただろうが、頭と心がぐちゃぐちゃになってるのは私だけで、乗せられたタオル下の私の顔が苦々しく歪んでいることなどお構いなしに、淡々と処置は進んでいく。  

麻酔で麻痺した頬、こじ開けられる口、乾いた唇が引っ張られて裂けそうになる。
ヒンヤリ冷たい器具、そしてあの甲高い機械音、歯が掘削される感覚。時折襲う恐ろしい痛み。

なんというか、痛くなくても痛い。歯をドリルで削られているという事実がもう気持ち的に痛い。

もう本当に嫌でたまらない。これが嫌だから、二度とこれを味わいたくないから、二度とここには戻ってこないぞと養生を誓うのに、喉元過ぎればこの苦痛を忘れて何ヶ月か後にまたここに戻ってくるのだ。激しい自己嫌悪と共に。


ナンデ、コンナコトニナッタンダ


ぐるぐる、ぐるぐる、思考が止まらない。
体の力みも止まらない。片方の手の爪をもう片方の手の甲に立てて、必死に痛みを誤魔化そうとする。呼吸をコントロールできると、痛みもコントロールできるというが、果たして本当なのか?

システマというロシアの軍隊格闘技では呼吸のコントロールを非常に重要視するらしい。マスターすると色々なことに応用が効き強い痛みにも耐えれるようになるとか。
出産時に妊婦が行うラマーズ方も有名だ。

しかしこの状況では呼吸自体がそもそも満足にできないではないか。
システマの呼吸法は処置の妨げになりそうだし、ラマーズ法は爆笑した歯医者の手元が狂ってドリルがベロに穴を開けるかもしれない。

それと唾が溜まる。呼吸どころじゃない。唾を飲み込みたくない。唾をなんとかしてくれ!喋れないんだよ!唾唾唾唾ァ!

唾を吸引される一瞬だけ安らぎが訪れる。唾は常時吸引してほしい。そのためにもう一人ツバ吸引専用スタッフを雇いたいくらいだ。

それにしても歯医者のドリルの恐ろしい音と恐ろしい感触である。麻酔のおかげで激痛は免れてるとはいえ、息を止めて力んでないと、一瞬でもリラックスして感覚を無防備にしたら、このおそろしい感触に耐えられない気がする。

離れた別の診療台では小さい子どもが泣き叫んでいる。そりゃそうだ。大人になっても慣れることなんてない。あの泣き叫ぶ子どもと私の違いは、ただ声をあげて泣き喚いてない、それだけの違いである。

それにしても悲痛な泣き声だ。私は子どもの泣き声を聞くと心を直に掻きむしられるような気分になり、奥底に眠っている怒りや悲しみの感情がせり上がってくるのか、とても平常心でいられなくなる。
電車内なら別の車両に移動したりするし、誰かの赤ちゃんを抱いてる時に泣かれると、こちらまで泣きそうになってしまう。

子どもは相変わらず全力で泣き叫んでいる。もう絶叫である。大人になってからあんな絶叫をあげることがあるとしたら、捕えられて凄惨な拷問でも受けてる時ぐらいだろう。

歯医者で歯を削られてる時の唯一の気休めは、これが拷問ではないことと、麻酔薬があることへの感謝の気持ちである。
同じ痛みでも、際限なく損壊されるための痛みと治療のため限られた時間生じる痛みでは、心理的な重圧は相当異なる。
やはり痛みは根源的には精神から生じるのだろうか。心頭滅却すれば痛みすら超越できるのだろうか。そのような人間も世の中にいるにはいるらしいが、私は違う。

私が持っているのは、おそらく常人よりはるかに発達した痛覚だけだ。肉体的にも、精神的にも。痛覚が発達していることがいったい何の役に立つのか?
わからないが、痛覚の鋭さと感受性や想像力の豊かさは相関する気がする。

これを遥かに上回る、言葉にするのも憚られるような苦痛が私がいるこの世界に無数に存在していて、そんな苦痛を与える人間も受ける人間もいる事実に目眩がする。
私なら、とうてい耐えられない。
その耐えられないような阿鼻叫喚の責め苦を受けるのが私でなく他の誰かである理由は解らない。理由なんてない気がする。

だから私は幸運なのだ。死ぬほど恵まれているのだ。こんな想像を巡らせれる余裕があるのは麻酔がちゃんと効いているからだ。

ああ麻酔。

抗生物質と並び、西洋医療の中で、いや人類史上で最高の発見かもしれない。私はどんな異世界に転生させられてもいいけど、麻酔のない世界だけは嫌だ。

幼少期から今に至るまで受けた数え切れない医療行為にもし麻酔がなかったとしたら。
もしこの現代社会に麻酔がなかったら。
いったい人類はどうなっているだろう。
私はたった5歳で麻酔無しのヘルニアの手術を受けただろうか。麻酔無しであの親知らずを抜いただろうか。麻酔があるから、無痛だと約束されてるから、それができた。もちろんそれでも多少の苦痛はあったろうが、時と共に忘れることができた。

そうして忘れた結果、こうしてまた歯医者で神経を取ることになっている。

もし今の日本に麻酔がなかったら。

私はもう人生で一切のお菓子を食べないかもしれない。一粒の砂糖も口にしないかもしれない。

一度でも麻酔無しで歯の処置をした人は、もう二度と甘いものを食べないかもしれない。甘味は世の中からほぼ消えるかもしれない。虫歯や歯周病が社会から激減するかもしれない。ありとあらゆる生活習慣病も激減するかもしれない。社会全体の健康度が著しく向上するかもしれない。

それはそれで良いことかもしれないが、私はやっぱり麻酔がある世界で良かったと思う。
それも安価に麻酔を使える社会でよかった。

もし麻酔が保険の効かない最先端医療のように高額だったら。
困難を極める臓器移植の手術代と同列の破格の値段なら。
私はきっと一度の麻酔代のためにどんな反社会的な手段も厭わない。
もし両親が癌になって、その外科手術を麻酔無しでさせられるようなことがあるなら、麻酔代の為に私はきっとどんな犯罪にだって手を染める。

それにもしそんな大病に私が罹ったら。その手術中の麻酔代を家族がとてつもない借金をして用意しなければいけないようなことがあったら。今の私なら死を選ぶ気がする。私は、この苦痛に見合う価値が人生にあるのか、その苦痛に与えられた意味があるのか、正直わからないし、自分にそんな意味や価値が与えられているとも思えない。

だから、麻酔がいつでも気軽に使える世の中でよかったと思う。そのせいで現代病が蔓延る世界だとしても。身を持って痛みを感じることの少ない、色々なことが少しずつ狂っている世界だとしても。

私の奥歯は、金属製の歯間ブラシのようなものを刺しこまれて、執拗に、ガジガジと音を立てて、何度も何度も奥深くまでその内側を掘られていた。

痛みはない。幸い麻酔がちゃんと効いてくれているらしい。この掘られる感触だけは、そう悪くない。

私の奥歯の中の神経がこ削ぎ取られている。血の通ってた場所、命の通っていた場所が、除去されていく。体のごく一部でも命が削ぎ取られていると思うと悲しくなる。だけどそこに膿やばい菌が蔓延していたと考えると、なんだかせいせいするような気もする。

歯の中には血や神経が通っている。
それを徹底的に削ぎ取って掻き出して、その空白を薬や詰め物で充填して封印する。そしてたぶん、元の歯を小さくして型取りした被せ物をはめないといけなくなる。あたかも生きた歯が死んで小さな墓石にすげ代わったような気がする。

生きてきて2度目の抜髄。また1つ、私の歯が墓石に変わっていく。

ガジガジ削ぎ取られていく私の小さな命を感じながら、残りの人生とか命とか、生きることの痛みとか、そういうことをとりとめもなく考え続けていた。

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