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生きづらさ

物心ついた時から、コンビニとゲームセンターが日常だった。
バブルで浮かれる大人たちを垣間見たりもした。
あらゆることが難なく進んでいくのが当たり前の日本。すごい便利。
ただ、一方で社会へサービスを提供する側にまわると、途端にしんどくなるのが日本。日本といっても、東京以外はあまり知らないからこれも偉そうには言えないが。

儒教の弊害?か、私たち日本人は常に仕事という成果物に、100%のクオリティとスピードを期待する。それは日本人が世界から信頼されている強みでもある。ただ、この高い期待と、それに応じようとする責任感の強さは、
時として、日本で暮らすと、生きづらくなる大きな要因になっている気がする。

私は、この「生きづらさ」という厄介なものを長く感じながら、
そして抱えながら20代から最近まで過ごしてきた。
どうして自分だけこんなにも生きづらいのか、かなり悩んだ。
鬱だとも思った。

そして、この生きづらさは、スペインに移れば途端に解消されるだろうと期待していた。

しかし、現実は違った。

スペインに移っても私の生きづらさの根本は変わらなかった。
それが、昨日、大人数で遊んだら解消された。


遊ぶこと

最近、アルバロという日本に関心がある変わったスペイン人の友人ができた。そして昨日、彼は、私を彼の友人グループの飲み会に誘ってくれた。

こちらに来て1年以上経つが、あんなに大勢で遊んだのは初めてだった。
バルセロナの若者たち特有のグループで集まり、みんなで食事をして騒ぐ。
なんてことない普通のことが、こちらに来て、自分には初めての体験だった。それがとても楽しかった。

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学生みたいに、久しぶりに大勢で飲んで騒ぐ。こんな単純なことで解消されるとは思ってなかった。厳密に言えば、いろんな素敵な人たちとの出会いがそう思わせてくれたんだけど。
つまり、一人で悩んでいても答えはでない。
私の場合、誰かを通じてしか自分を知ることができないんだな。

今年に入ってから、どうしたら自分を楽しませることができるか、そればかり考えていた。それは先に述べた、生きづらさを解決したかったからだ。
なにをしたら楽しいか、というよりは楽しくなければ結局は続かないのだ。
それは、この歳にしてようやく分かってきたことだ。


つづく

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