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仕事としんどさと存在意義について

入職してから、たくさんたくさん、本当にたくさんつらいことがあった。
特に1年目は新しいことばかりの日々に常にストレスを感じていたし、心底行きたくない日は職場に行っただけで休まなかった自分を褒めた。

看護師の場合は国家試験も受けているから、基本的な知識はそこそこついているのかもしれない。

けれど、いざ仕事をはじめてみると、0からのスタートに間違いなかった。

必要なことを自分で考え、優先順位を考慮しながら仕事をさばき、空いた時間でパソコン業務をして、都度各医療者と連携をとり、先輩方への報連相を怠らず、広くも狭くもあるコミュニティでうまく立ち回る必要があった。

うまくいかないことばかりなのは予想がついていたけれど、思った以上に乗り越えるのがきつい日もあった。

もう少しうまく気分転換をできたらよかったのかもしれないけれど、どっぷりと疲れて帰ってきたわたしには外に出ていくような元気はなく、休みの日も1日ベッドで過ごすことがよくあった。
必然的に家と病院の往復しかしなくなる。

仕事が忙しいほど外に出られなくなって、だからと言ってしっかり回復するわけでもなく、疲れた心と体のまま仕事に向かい、さらに疲れて帰ってくる。
最初の半年くらいは負のループでしかなかった。

「わたしって何のためにいるのかな」
「何にもできないわたしっている必要ある?」
仕事が自分の生活の8割を占めているのに、そこでうまくいかないことは、わたし自身の思う自分の存在意義を見失うことだった。

別に死にたいとは思わないし、もう少ししたら乗り越えているのだろう自分も想像はつく。

それでもその時はつらくて、例えば駅のホームで、このまま飛び降りてしまえば仕事に行かなくていいのか、と思うのだって不思議ではないなとふと思ったりもした。

余裕が出てきてからは、すきなことに時間をつかったり、いろんな人に会いに行く余裕ができて、随分と楽になった。

救いだったのは、自分の不甲斐なさに直面して嫌になる日々や、ナースステーションで号泣してしまったあの日にも、わたしには厳しくもあたたかく見守り味方でいてくださる職場の先輩方がいたことだ。

「わたしから見たら、あなたはもう立派な看護師さんよ」
半年くらい経ってから先輩にいただいた手紙は今でもお守りだ。

職場全体で新卒を育てようというする環境の中で育って、どんなに恵まれているか実感しない日はなかった。
それがなければとっくに折れていただろう。

もらったものを後輩に返したい気持ちも一緒に育っていて、そうやってこの部署の空気ができているのだと思う。

先輩方がいたから、"このしんどさを乗り越えればきっと"と思えていたけれど、その先に光が見えないなら、その職場でなくてもよいのかもしれない。
それくらいわたしにとっては職場環境、特に"誰と働くか"は重要だった。

まだまだなわたしだけれど、任される仕事は確実に増えてきている。
1年目のわたしに、もう少し踏ん張ったら、仕事のやりがいも楽しさもたくさんたくさんわかるからね、と教えてあげたい。

2018.11.13