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映画『怪物』


日曜の渋谷、レイトショー。

これから観る人もいると思うから、
いろんな記事やSNSを避けて、
ネタバレされて嫌な気分にならないで欲しい。

映画館で観る映画は映画を観る以外の行為を
禁じられるから、心地よい。

怪物を観た衝撃は、
鈍器と絶景を掛け合わせたみたいな、
晴れの日に傘を刺すみたいな、
そんな衝撃。

個人的に脚本の良さがより際立つような構成だった。

それぞれの視点で、エピソードが少しずつ湾曲していく。

母親であるからこその息子への信頼と執着。

母親視点。
あの飄々とした性格だ。
いい意味で息子へは没頭しない。

息子が悪いことをしていればきっと、
きちんと謝って、息子と話をして、向き合って
それは間違ってるよって伝える。
そのあと、ひとりになった時に1人で育てることへ葛藤して。

息子の嘘に気づけなかったのは、
途中で確信に変わったから。
彼女は悪くない。

校長目線。
隠し事への後悔をずるさで隠してる。
人間じゃない目をしていたのは、ずるさのせいで、
彼女の人生を狂わせたのは自分自身で誰も彼女を擁護しない。

男性教師視点。
不気味で鈍感で、
キャリーバックを基本ひいてるのは
単純に不気味な人である、という演出だったのかなと思う。
不気味さを演出して途中から恋人とのシーンで、
あぁ普通の人間だったんだという安堵した。
安堵と引き換えに大きくなる不安。

この物語は誰が怪物なのか?
怪物とはなんなのか?

息子視点。
母親から求められる幸せの期待に答えたいという願望と、彼への愛と、彼に自分がしていることへの懺悔とが
濃く、深く、あっけらかんと、混ざってる。

2人でいる時は常に2人の世界で、
これからも2人だけなんだと思っている。

世界はそれだけじゃ回らない。
残酷が、2人の幼さへ暴力を振るうはず。


節々にある不思議な尺の意味があるのかないのかがわからないシーンが散りばめられていて、
深読みと整理とでよりぐちゃぐちゃになる。

気持ち悪くて、綺麗で、
曖昧に終わるから、どうしても続きを想像してしまう、
そんな映画だった。

映画を自分の言葉で表情で表すのはいつだって難しい。
ちゃんと伝わるといいな。

既に観た人が、少しでも私に共感してくれますように。

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