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東京マラソン 〜24回目の誕生日〜
2024年3月3日。24回目の誕生日。
初めての東京マラソンは、栄えあるバースデーラン。
42.195㎞の東京旅は、すっごい苦しかった。何度も立ち止まったし、10万回くらい辞めようかと思った(笑)。でも、それ以上にすっごい楽しくて、100万回くらいまた走りたいと思えた時間だった。
●走るからには。
エントリーするきっかけは、大会当日が誕生日だったから!走ることはもともと好きで、いつかは走りたい大会だったけど、倍率も10倍を超える!?らしいし、走れたらいいな!くらいの気持ちでエントリーした。
10月に当選したことがわかったときは、飛び跳ねるくらいに嬉しかった!こんなに早く走れるなんて思いもしなかったから。24回目の誕生日、これは決めるしかない!ワクワクが止まらなかった!
走るからには、いい状態でちゃんと走りたい。なんなら自己ベストとサブ4は絶対に成し遂げたい。過去に42.195㎞は1回だけ走ったことがあって、きちんとした準備がないと、当日しんどいことはわかっていた。冬の間に走りこむつもりだったけど、12月にぎっくり腰になってしまった!
そこから全然練習が積めなくて…。1月は納得のいく練習ができたけど、2月に今度は左膝を痛めてしまって…。2月はトータルで10kmしか走れなかった。大会1週間前の練習で、3kmで足が痛くなってしまったときは、正直諦めようと思った。スタートラインに立てないかも。仮に走れても42kmはしんどすぎる。
それでも、どうしても走りたかった。だって東京マラソンだし、誕生日だったから!
なんとか大会の3日前くらいに痛みは治まって、接骨院の先生にもサポートしていただいて。ギリギリの状態だったし、走らないことが身体にとっては正解だったかもしれないけど、スタートラインに立つことに決めた。
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●左膝以外は絶好調だった。
当日は、敢えて時計をつけなかった。タイムばっかり気にしちゃうと思ったし、そもそも身体がボロボロなんだからタイムは求められない(笑)そして何よりも、東京の街の景色と空の色をちゃんと目に焼き付けたかったから。だからスマホもリュックにしまいました。
都庁のスタートラインを跨いだ瞬間は、感動ものだった。やっぱ走ることを選んでよかったと思う。
いざ走り出してみると、すこぶる調子がよかった。足の痛みも感じなかったし、呼吸が楽!ほんとに息がきれないし、余裕だったの(笑)空の色と街の景色を確かめる余裕を持ちながら走れていたし、膝以外のピーキングは完璧だった!
新宿、東京ドーム、神保町、秋葉原、上野、日本橋、蔵前、浅草、スカイツリー、清澄白河…東京の街並みが綺麗すぎて、25kmまでほんと一瞬で!“やばい、あと1時間半で終わっちゃう!まだ走りたい!”。なんなら自己ベストのタイムで走れてたし、ほんと楽しかった。
25kmで母親と親戚が応援にきてくれていて、ゼリーでエネルギー補給して、みんなで写真撮って、さぁ走り出そう!って、一歩出した瞬間。左膝に痛みが出てしまった。家族に会えた安心からか、アドレナリンで隠れていた痛みが姿を見せたのだと思う。思わず“痛い!”って口に出ちゃって。ちょっと歩いたら、また走れるようになったけど、スピードは上がらないし、全然前に進まない。
“今から歩いても関門突破できるかな。”
“30kmまで走れたら、歩いてもゴールいけるかな”
そんなことばっかり考えてた。
●もうやめたいです。
なんとか30kmまで辿り着いたけど、もう左脚は限界でした。
何度も立ち止まって、何度も歩道に腰かけた。
ストレッチしてたら前に立ってくれて、周りから見えないようにしてくれたボランティアの人には、心からありがとうと言いたい。
33kmの銀座がこんなに苦しいと思わなかった。銀座の大通りを車も気にせず思いっきり走れるはずなのに、歩くだけでも痛いんだもん(笑)。てか、ちゃんと歩けない。
何度も言うけど、ほんとに調子がよかったから、肺は余裕なの。全然疲れてないの。左膝だけが言うこと聞いてくれなくて。
5歳くらいの男の子の、かわいい声掛けは忘れない。
「お兄ちゃんニコニコなのに、どうして走れないの?頑張って!」。
「もう頑張れないの!代わりに走る??(笑)」って、思わず言っちゃった!
銀座中央通りの交差点曲がって、ちょうど33km。3月3日だし、これも運命かな。もうここで十分でしょ。頑張ったよね。
救護担当の人に「もうやめたいです、救護室への案内お願いできますか。」と言いました。
●東京の空ってこんなに綺麗だったっけ。
33kmの救護室の人がほんとに暖かくて。
「今日誕生日なんです!」って伝えたら、拍手が伝染してみんなが声掛けしてくれた!
医師の方が、偶然整形外科の先生だったようで、10分くらいマッサージしてもらったら、痛みなく歩けるくらいまで復活したの!(マッサージが痛すぎて声出しちゃったら、みんな笑ってた)
「このあと、お兄ちゃんどうする?ラスト10km切ってるし、まだ3時間以上あるから全部歩いてもゴールできるよ」って係の人が声掛けてくれた。関門制限までも1時間以上あるので、はとバスに収容されても出発までしばらく待ちそう。だったら、天気も最高だし東京をお散歩しよう!ということで、リタイヤからの進路転換。救護室の皆さんが、「頑張って!」って拍手で送り出してくれて、すっごい元気出た!
「東京散歩楽しんで、ゴールで絶対にメダルもらうんだ!」
そこからの9㎞は、応援が凄くて!ほんとに力になりました!お祭りみたいだった!
どこかで会ったことも話したこともない、はじめましての人だらけ。「あともう少し!」「頑張れ!」の声もそうだけど、コールドスプレー貸してくれたり、コーラを差し入れしてくれたり、チョコレートくれたり!応援の力が足を動かしてくれたといっても過言ではない。ほんとに心の底から、支えてもらいました。
あとね、東京の空がこんな綺麗だと思わなかった!人生のなかでベスト3に入るくらい天気がよくて、雲一つない青空だった。東京タワーが美しすぎて歩きながら感動してた。東京の空気は正直あんまり好きじゃないって思ってたけど、過去の自分は「そこにあるもの」に目を向けられてなかったんだ。「東京だから空気が綺麗じゃない」って勝手に決めつけてた。東京にもこんな綺麗な空や心が休まる場所があったのに。
歩き始めて2時間半。ラスト1㎞の看板を見た時には、涙が止まらなかった。
やっとここまでこれた安心感や、100%の状態で走れなかった悔しさ、色々な感情がぐちゃぐちゃになってしまって。24年間生きてきて、今日が人生で一番ダサい姿だったと思う。それでもすっごい声で応援してくれて、ほんと幸せだった。
●みんなありがとう。
記録は5時間58分40秒。自己ベストからは2時間くらい遅い。30kmまでのタイムと、ラスト12kmまでのタイムが同じとかひどすぎる!!(笑)あー長かった!でも、あっという間だった!ほんと調子がよかったから、左膝だけ治してもう1回走りたい!
2024.3.3.誕生日が刻まれたメダルは、一生の宝物です。
東京マラソンに関わってくれた人には感謝しかない。東京のど真ん中を走れることができる機会なんてそうはない。
家族・前日に電話くれたAさん・会社の同期・友人・接骨院の先生・ボランティアの人・救護室の室の方々・沿道で応援してくれた人など、みなさんのおかげでゴールに辿りつけました。
東京マラソンのおかげで、東京の街が好きになった気がする。また走りたいな。走れるなら何回でも走りたい。過去のランニングで1番楽しかった!
もう一度東京マラソンのスタートラインに立てる日を楽しみにしながら、人生という道を走り続けたいと思います!
最後に言います、身体はボロボロになった。すっごい苦しかった。でも、走ることを選んでよかったです!24回目の誕生日、最高のバースデーランだった!!
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