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「さよなら」エヴァンゲリオン

映画感想文『シン・エヴァンゲリオン』監督:庵野秀明
※ネタバレあり

観てきました。全然まとまらないのですが、感想を書いておきます。
記憶違いもあるかもしれません。何回か観ると思うので、都度直します。

四半世紀の混乱を招いた精神的作品

初めて観たのはアニメ版を中学生の時に。年齢からすればど真ん中、ということはなく、高校生のころに『序』が開封されたました。ただ、オタクとして観ておかねば、と思ったのでしょう。意味不明な世界に、厨二病も相まってハマり、漫画版も買いました。アニメシリーズ、旧劇は何回か観ましたけど、今でもよくわかっていないです。

ただ一つわかるのは、ロボットアニメと見せかけた、そもそもエヴァンゲリオンはロボットではないのだけれど、精神世界を描いたお話ということ。そして、旧劇あたりの庵野監督の精神状況はしっちゃかめっちゃかだった、ということでしょう。

これまでと同じ部分と、初めてのカタルシス

『シン』では、アニメシリーズや特に旧劇では観られなかったような、サービス精神溢れる絵作りや、セリフ、展開がされます。『シン・ゴジラ』では淡々と情報を詰め込み、画面の端で驚きやサプライズを演出していました。『シン』はさらに踏み込んでいるように感じます。

一つ一つのシーンの丁寧さと、庵野監督らしい尖ったカメラワーク。風景描写と表情。戦闘シーンの圧巻さ、新しさと懐かしさ。猛烈なテンポ感とスピード感で美しいシーンをこれでもかと織り込んでくる。そして挟まれる過去作への郷愁。

私の感想として、これまでのエヴァンゲリオンは監督はシンジであり、ゲンドウは彼を取り巻く環境だったのではないか、と思っています。ついては、ゲンドウからどうやって逃れるのか、という作品でした。

『シン』ではゲンドウはかつての監督であり、シンジはかつての監督、そして今の監督でもある。さらに、逃げる物語ではなく、コミュニケーションを通して相対し、乗り越える物語になっています。初めて与えられたカタルシス。その美しさと開放感に酔いました。

私映画を越えて、客にみせる作品へ

ある種、私小説的な側面をエヴァンゲリオンは持っていました。多くのアニメーションを観てきましたが、これほどまでに監督の思想や現状、立ち位置を観客が理解しているアニメーションは、浅学ながらそれほどないように思います。宮崎駿監督、押井守監督、細井守監督、新海誠監督、くらいでしょうか。良くも悪くも、作品に監督の想いが見え隠れするんですよね。

そういった意味でも、特に旧劇は本当に、誰かの精神世界にいきなりぶち込まれたかのような困惑と酩酊感がありました。『シン』もそういう側面はありますが、一方で作品としてエンターテインメント性も強い。田植えをするレイ。謎機構で無双するマリ。アスカの浮遊空間での動き。一つ一つが魅せてくれるので、2時間半という長い作品でも長く感じませんでした。観客にみせるためのエンターテインメント作品として、そうとう演出も含めて行き届いていたように思います。

キャラクターの成長

エヴァンゲリオンはなかなか成長しないシンジという少年をヤキモキしながら見守る作品です。アスカや他のメンバーが成長していくなかで、シンジだけが足踏みをしています。それは仕方ないことですが、苛立ちすら、時に感じます。

ところが今回、猛烈に成長していたキャラクターがいて、それがトウジとケンスケです。『破』の最後シンジがレイを救うために起こしてしまったニアサードインパクト。それによって多くの人類が死線をさまよいました。それを生き抜いた彼らは、14年のサバイバルを経て驚くほど成長しています。

彼らがどれほどの情報を認識しているかはわかりませんが、少なくともシンジがニアサードインパクトのトリガーになったことは気付いているようにも思えます。それでも彼らはシンジを受け入れます。心を閉ざすシンジを、強くならねばならない環境で大人になったアスカが責めます。それに観客は大きく頷きますが、トウジとケンスケはありのままのシンジを受け止めます。

自らを受け入れてくれた場所を見つけ、ようやくシンジは自らを見つめ、自分と父親と相対する決心をします。村のシーンは体感で1時間近くありかなり長いのですが、人の心が癒えるにはこれくらいの時間が必要でしょう。

自らヴンダーに戻る、と決めたシンジの表情と緒方さんの演技は圧巻です。少年が大人に変わった瞬間を鮮やかに表現しました。ここからようやく、長年シンジと大人たちが避けていたこと。コミュニケーションが始まります。

紡がれる命

『シン』で一番怖かったのが、加持の生死でした。アニメから漫画に至るまで、加持は生きることができないんです。人類にとって大きな種を残して彼は去っていきます。私は加持がとても好きなので期待したのですが......。

彼は、地球の種と自らの子どもを残してこの世を去っていました。子どものために加持を見送ったミサト。そして責任を果たすために子どもとは合わないという選択をする。それはゲンドウと重なるようでいて、全く別の道を見出しています。ゲンドウは向き合わないために背を向けましたが、ミサトは将来の責任として向き合うために合わないという選択をしているのです。ゲンドウとミサトは対になっていると常々感じていましたが、子どもとの向き合いかたも、似ているようで正反対でした。

再びエヴァンゲリオンの乗る決意をし、ヴンダークルーに責められるシンジをミサトがかばいます。怒りを理解しながらも、自分の責任でもって未来をシンジに託すミサトは、『破』以来見ることが叶わなかった、優しいまなざしをもったミサトです。ここの三石琴乃さんの演技は素晴らしく、ここを観るために何度も劇場に通いたいと思いました。

命がけの作戦の最中、ミサトは我が子を思います。「あなたにこれしか残せなかった」と彼女は言いますが、将来という、大人が与えられる最大のものを彼女は子どもに残しました。それがどれだけ難しいことか、現実の私たちもわかっていることです。彼女は、あらゆる命を紡ぐための方舟になったのだと思います。

マリという未来へ導く存在

新劇場版シリーズにあって、賛否両論ながらも新キャラとして迎え入れられたのがマリです。かつてのシンジが袋小路に陥った監督なのだとしたら、その袋小路から出してくれるのは安野モヨコでしょう。そしてその役割をマリが担っています。

マリは登場時、密入国のような形で来ました。これについての説明や、伏線の回収はありません。漫画版に準拠するならば、マリはゲンドウとユイの大学の後輩です。飛び級で進学した才媛であり、ユイに片思いをしていました。そして海外に留学します。恐らく留学先でエヴァンゲリオンに携わり、エヴァの呪いによって成長しないまま今に至るのでしょう。冬月と既知であること、ゲンドウを「ゲンドウくん」と呼ぶこと、を考えれば的はずれな推測ではないはずです。どこの手先なのかははっきりとしませんが、明確なのはゼーレ、またはゲンドウを止めるという目的です。

ということで、最初からマリはゲンドウを止めてシンジを救うために存在しています。それはカオルとの共通項でもあります。カオルのはアニメシリーズや旧劇の記憶があるようで、毎回シンジを救うために犠牲になっています。今回も『Q』で壮絶な死を遂げますが、彼は最後シンジにこう言います。
「僕は君の幸せを見誤っていたようだ」
それは酷く悲しいことではあるのですが、しかしこれでようやくカオルも自らに課せられた役目から逃れられることができるのです。そして、彼が果たしたかったシンジを助ける、という役割はマリに委ねられます。

エヴァンゲリオンと過去への別れ

シンジはレイ、アスカ、カオルと対話し、彼らを救います。

レイとはもうエヴァンゲリオンのいらない世界を作ることを約束して。

アスカとは旧劇を思わせる海で、互いに過去の恋心の別れを告げて。

カオルとは互いの幸せを願って。

漫画、旧劇ではアスカルートでしたが、今回はアスカとすっぱり別れます。アスカには、アスカ自身を大切にしてくれるだろうケンスケがきっと待っています。今作では綾波式はシンジに好意を寄せるよう設計されていました。これはもしかしたら、式波型も同じかもしれません。でもきっと、それはアスカは嫌がるでしょうね。レイはそういうプログラムでも、自分は温かい気持ちになるから良いと言いますが、アスカは許せないでしょう。そういう子でした。

そして世界は再構築され、ラストの駅のシーンにたどり着きます。漫画でも駅でした。エヴァンゲリオンて実は電車と駅で表現します。『千と千尋の神隠し』のような感覚です。もしかすれば『銀河鉄道の夜』かもしれない。

大人になったシンジにマリが声をかけます。シンジの反応は、これまでのシンジとは想像もつかないセリフ。なにより声。

大人のシンジは神木隆之介さんが演じています。本当にわずかなシーンです。ずっとシンジを演じてきた緒方恵美さんは、青年役も難なくこなす人です。それなのに演者を変えました。

これには賛否両論あるのではないか、と思いました。一方で、私は結構肯定的に捉えています。レイ、アスカ、カオル、そしてあの頃のシンジはもう過去なのです。「さよなら」を告げた。だから、役者も含めて置いてきたのだと思います。マリは未来へ導く係で、だから新しいシンジと歩いていくことができる。エヴァンゲリオンと供にあるシンジは緒方さんであるべきだと思いますが、未来のシンジは別の人に委ねられたんです。

「さよなら」は「また会える」ためのおまじない

トウジと結婚していた委員長がレイに「さよなら」の意味を教えます。
エヴァンゲリオンはこれで最後、なのだけれど、これだけの作品なので、何らかの形でまた会えるような気もしていて。
なので、「さよなら」エヴァンゲリオン。

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