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「そうなの、わかる」と言わせる魔力

読書感想文 『お義母さん、ちょっと黙ってください』ばたこ

面白いエッセイには小説にはない魔力があって、対話をしているような気になる。「そうそう、わかる、うちもそうなのよ」ってな感じで、自分の話しもしてしまいたくなるような、そんな感覚。

ばたこさんはTwitterで知り、noteも読んでいたので書籍化を聞いて、よし買おう、と思っていた。こんなに小気味よい快活な文章に、なんらかの課金をしたかった。

ばたこさんの義母は、もうとんでもなく面白い人だ。有り体に言えば、常識が欠如している。ついでにデリカシーも失落していて、どうやら大阪中の大きな川の底に沈んでいるらしい。嫁のものは自分のものだし、自意識がカンストしているからア嫁と孫たちの迷惑も気にせず、自分は愛されていると思い切っている節がある。

とんでもエピソードに「いや、嘘でしょ」「少なくとも盛ってるよね」って思うかも知れないけれど、2つの理由を持って「これは本当だ」と思っている。

1つは、私の実祖母もなかなかとんでもない人だからだ。デリカシーという概念を知らない。私の結婚式の日、夫の親族もいる控室で「夫くんも、もう少し背が高ければ見栄えがしたのにね」などと言い放った。
私の結婚も祖母に伝えた翌日には近所中が知っていたし、進学先も、妹が浪人したことも、全て翌日には近所中が知っていた。歩く拡声器である。プライバシーもへったくれもない。
そういうおばさんはいるのだ。怖いことに悪意がない。そう、悪意がないのがよろしくない。悪意というのは、こういうことをされたら嫌がるだろうとわかってやる。ところが、悪意がないというのは時に善意でもあり、怒ったところで善意なのだから何を怒られているのか理解できない。理解できないから繰り返すのだ。
……ちょっとヒートアップしてしまったけど、まぁ、そういうことで、私はばたこさんの義母にある種の親しみすら感じるレベルで、こういう人間を知っている。

2つ目は、私は大学時代に関西に住んでいたことがあって、義母さんみたいな話し方をする人を知っているから。イベントのバイトをしていたことがあり、よくクラシックや演歌のコンサートの受付をやっていた。ばたこさんの義母は家に来る際に「おじゃまむしおじゃまむしするで」と言いながら入ってくる。わかる。そういう感じで話される方、とても多い。爆速で距離を詰めてくる感じとか、「トイレってどこー?」って聞きながらこちらが答える間もなく「このホール寒くてかなわんわ。そういえばあのお祝いのお花って本当に本人から来てんの?◯◯(芸能人)はめっちゃ大きいのに、◯◯(歌手)は微妙やな。ケチなんやろな」(関西弁適当です。すみません。)みたいに、トイレどこいったん?ってレベルで話してくる。
もちろん、めっちゃ丁寧かつ上品なマダムもいるし、私の友人はデリカシーとユーモアの権化だ。でも、義母さんみたいな方も、間違いなくいる。

結局自分の話しをしてしまった。
ばたこさんは、あまり活字に触れてこなかったという。それを後悔しているともおっしゃるけれど、活字に触れてこなかったからこそ、ルールに縛られない、口頭でおしゃべりしているかのような軽快で、親しみがある文章になっているのかもしれない。ワードセンスも素敵。
それから、さんざん旦那さんのことや義母さんのことをボロクソいっているけど、ちゃんと情が介在していて、人の悪口を聞いている時に感じる居心地の悪さとか胸糞の悪さがない。優しくて、繊細な方なのだろうと思う。
きっと、幸せでありますように。


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