ならあの時の選択はなんだったんだろう


号泣した

遅いねん、おじーはん

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義父は、もうひとりでの生活は難しいであろうということでサ高住に移ってもらった
今日は土砂降りの中、ケアマネージャーさんの面談に出掛けていた

要支援①なので出来る事は限られているのですが、のところからの説明をひとしきり受けて、これからの手続きなど私がやることの手順など窺って多少の知恵はついた

知識ゼロのずんべらぼんのため、【認知症とは】のところから

認知症の人に良くないのは否定したり責めたりするのが良くないと
その点はうちは問題ないんよな、おじーはんに逆らう人間なんぞおらんので(察してください)

ただ、あんなに家にいることに固執したおじーはんなので、家を片付けてしまわねばならないことを伝えるのが私にとっては最大の難関だったりする

嫌やろなぁって思う、おじーはんの自慢の一つでもあったお家やから

でも今のうちに片付けてしまったほうが後々の手続きが面倒くさくないというのも分かる

どうしたらいいんでしょうね、とふわっと聞いたら、「いやいや、片付けてしまうね〜、て伝えてその時いいよって言わはったら片付けてしもたらいいんちゃいます?後々お家どないなった?て言われても、あぁ大丈夫よ、ちゃんとあるからね、て言えばいいんですよ」て

え、嘘つくの?無理無理、おかしいやんそんなの

「あのね、言い方は悪いかもしれないけどね、その時その時のご本人の気持ちがいいことのほうがこれからは大事なんですよ」

あぁ
そういうことなのか

上手くは説明出来ないけど、腑に落ちた気がした

残されてる時間が少ないと優先順位が今までとは全然変わるんやな

どうでもいいことが多分圧倒的に多くなるんやと思う

今、気持ちが健やかであることが何よりも大事なんやな

だいぶ発想の転換が必要なんだなと思った

聞き取り調査等も終えて、おじーはんのとこに洗濯物を届けに行くのにケアマネージャーさんもご挨拶がてらに一緒に来てくださった

おじーはんは相変わらず爆音でTVを観ていたのだが、我々が入って声をかけると、私の後ろにもうひとり家族以外の人間がいる、て気付いた瞬間に、背筋を伸ばして座ってよそ行きの顔をした

「お会いしたことあるな、どこやったかな」とケアマネージャーさんと握手をしていた

で、昨日ケアマネージャーさんが先にひとりでご挨拶に来てくださってた話をすると「あぁそうやったそうやった」と笑っていた

お嫁さんとさっき下のカフェで面談しててね、とケアマネージャーさんが言ったときに

「ええ嫁でしょう、ほんまうちの息子にはもったいないええ嫁なんです、わしが嫁にもらいたいわ」

と言った

最後のんはいやいやかなんわ、無理無理、てなるけど

遅いねんおじーはん

遅すぎるねん

なぜ同居してる間にそれを言わなかったのか
そう思うならなぜ私を目の敵にしていたのか
なぜ私を追い込んだのか

仲良くしていたら、同居を解消ことはなかったのに、今ひとりで暮らすことはなかったのに

少なからずサ高住に転居してもらうことを決めるまでにかなりの葛藤があった

本来であれば一緒に暮らしていたはず
同居を解消してひと月も経たずに要介護⑤のおばーはんは亡くなったのだが、一緒に暮らしていれば今も生きていたかもしれない

私は私と子どもらの生活を守るために、同居を解消した
丸く収めるために子どもの進学に合わせたあのタイミングしかなかった、あれ以上はどうしても無理やった

家に入れなくてガレージの車から降りることが出来なくなった、このままじゃだめだ、もうだめだと思った、死ぬか、家を出るしかないと思った

おじーはんがなかなかうんと言わなかったサ高住への転居を決める時、パパは「え、入ってもらったらいいやん。自業自得じゃない?」と言った

義妹さんも「いやいや、おじいさんと一緒に暮らすんなんて私でも無理やわ、気にせんでいいからプロに任せよう」と言った

きっと、同居するのが当たり前だと思っていたであろうおじーはん

明石に出たあとも、度々お前らが帰って来たら、の話をしていたおじーはん

月に一度は必ず顔を出すようにしていたが、おじーはんがゴネるときは二度三度帰っていた

今入居しているサ高住は、お家とは比べ物にならないほどせまい

キッチンや、バストイレはあるけれど、1部屋しかない

元々、最後の方は引きこもりみたいになっていたて、月に一度でも帰って2階に行ったら、2階どころか階段にもうっすらほこりが溜まっているくらいでほとんど2階に行くこともなかったのだろう

リビングもダイニングも、最後の方は物を動かした気配もなかった、寝室とキッチンにしか行かなかったのだろう

そう思えば今の居室でも不足はないのかもしれないが、やはりベッドで寝てばかりのおじーはんをみると心苦しいものがある

ええ嫁でしょう、はキツい
今の私にはめちゃくちゃキツい

ええ嫁でも何でもない、同居していたあの頃のほうがずっとずっと頑張っていた

でももし、同居している間にそう言われていたら、そう思われていたら
逃げずに、病まずに、向き合っていたら
こんなことにはなってなかったのかもしれない

後悔なのか、そうじゃないのか、それもよく分からない

人がひとり老いるということは、【たられば】が無数に出てくることでもあるのかもしれない

後悔しないようにね、なんてもうほぼ一般常識というか、そんなこたぁ分かって暮らしてきたはずなのに、これがかの有名な【後悔】なのか

こんなに受け入れがたいものなのか

ならあの時、私にあれ以上の何が出来たのか


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