Ronn Huffのこと

最近、声のお仕事の公式ブログとしているアメブロとここの区別がつきにくくなっている自分がいる。

きっと心の中が混乱し始めているのだ。ほんの少しだけ、疲れているだけなんだ。

そう思いながら改めてここに来ると、少しばかりは深呼吸が出来たような気がする。まあ、それも正直どうかとは思うけれど。言葉にするだけだとFilthy Habbitみたいだし。外に出てラジオ体操のように思いっきり深呼吸できるような旅をしたら、と思うのだけど、ここ数日はどうしてもそれを許さない状況が続いて。

これをネガティブと呼ぶ人もいれば、少しばかりでも心を寄せてくださる方もいる。他方で「俺をわかって」的な女々しい文章はキモい、と内面を通過する視線も一切なく、キョンシーへのレッテル貼りのようなことをする人もいれば、人生は色々、小説の1ページで人を決めつけるなんて、という臨床的かつニュートラルな許容姿勢を持つ方もいる。

インターネットはまさに、玉石混淆の世界。

さて、そんな中私は私でなんとか生きてはいますが、そんな中、リアルな世界でかねてから親しくしてくださっていたとある方が先月中旬に亡くなり、今日(アメリカ時間土曜日)に日本で言う「お通夜、メモリアル・サービス(音楽関係者用)」があり、ネット経由で参加しました。

その方の名は、50年に渡りシーンで活躍してきた、ポピュラー界の編曲家で指揮者のロン・ハフ(Ronn Huff)

普段ポップスに親しんできている方でも恐らく、彼の名を知っている方はそう多くはないはず。

しかし、彼が紡いできた音たちは、ここ日本でも広く親しまれてきた。

そもそも裏方っていう存在は得てしてそういうもの。たぶん旅立った後、あと何年かは聴き続けられ、人によっては時折顔を思い出してもらって、そしてその歌が数十年、そして恐らく100年と聴き続けられたなら、徐々に時代というそよ風が地面に描かれた文字や映像を空に溶け込ませて行き、最後にはアノニマスとなってゆく。

ロンは1960年代末期から、ナッシュヴィルを中心に、特にヴォーカル曲に編み込むストリングス、オケの編曲や指揮にと、音楽界の屋台骨として活躍してきました。

ナッシュヴィルと書きましたが、この街やメンフィスを含めたテネシー州は、アメリカ合衆国南部(”南米”とは違うよ)として、カントリー、ブルーグラス、フォーク、ブルース、そしてなによりゴスペル等あらゆる肌触り豊かなアメリカン・ミュージックのベースとなって久しい、南部の「ミュージック・キャピトル」とも言える街。

ナッシュヴィルにはレコード・レーベルや音楽出版社がある通りにずらりと軒を構え、音楽都市としての名所ともなっています。

そんな街で活躍し始めた、ロン。

彼は当初、「コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック」と呼ばれる、サウンドはポップやロック、コーラス・グループだけども、歌詞の内容がゴスペル、と言った音楽世界でのオーケストレーションから始まり、あっという間にポピュラー界(クリスチャン・ミュージック界と区別して、一般に日本でもアメリカのポップスチャートとして知られる音楽たちは、「セキュラー・ミュージック」と呼ばれます)での一流編曲家、指揮者に。

そして何よりロックファンにとっては、日本でも人気のあるロックグループ「ホワイトハート」や「ジャイアント」のメンバーで、優れたギタリストであるのみならず、現在はソングライター、プロデューサーとしてキース・アーバンやリアン・ライムス、ハンター・ヘイズ、ラスカル・フラッツ、バンド・ペリー、ケリー・クラークソン、ボン・ジョヴィ、ジュエル、そしてテイラー・スウィフトとナッシュヴィルでの頂点をごっそり手がけ続けているダン・ハフ(Dann Huff)のお父さんとしても知られていて。

またダンの弟さんもソングライター兼プロデューサーにして、テイラー・スウィフトやボニー・レイットとの共演で知られる、デヴィッド・ハフ(David Huff)。つまりハフ兄弟がある意味元祖「テラスハウス」の入り口のベルを鳴らしてたというわけで。

そんな才能あふれる息子さん2人も恵まれてロンは自身の仕事だけでなくとても幸せそうだったけれど、5年前からはダンの娘さんアシュリン・ハフがアーティストとしてデビューし、ずっとシーンを賑わせている。いやはや、3世代で音楽、というのはジョン・ウィリアムズやアルフレッド・ニューマンを思い起こさせるけれど、あの街に行くとすぐにわかることながら、技術やお金の前に、心の絆、というストリングスがあるんですよ、特にあの街には。都市でありながら、懐かしい空気に溢れた、人の心のぬくもりに溢れた暖かい街。

Ashlyne Huff  - Heart of Gold (現地の高校生、大学生にとって、想い出を彩った1曲)

個人的な話で恐縮ですが、大学在学時にナッシュヴィルに友達のブルース・ガイチマドンナ、リチャード・マークス、シカゴ、マイケル・ジャクソン他)と元TOTOデヴィッド・ハンゲイトを訪ねた際、デヴィッドにロンを紹介して頂きました。

何よりみなさん、シーンのトップたる音を作り続けていながら、とことんダウン・トゥ・アースで、清々しく優しい方たちばかり。「一流とは」というものを私は、むしろロスやNY、ボストンではなく、ここナッシュヴィルで学んだと思っています。だからイケイケな東京にいても、その点、今でも学びが効いて惑わされることはありません。私でなく、彼らが凄いんです。

ロンは先述のように、スタジオでの作業が殆どの「裏方」さん。しかし今やナッシュヴィルを超え、世界中で愛される名曲たちの屋台骨、伝説に。彼の日々の仕事はこんな感じ。

個人的には、「ナッシュヴィルのジェレミー・ラボック(Jeremy Lubbock)」と呼んでいます。イギリス出身のジェレミー・ラボックは1950年代初頭から活動を始め、後のビートルズのプロデューサーとなるジョージ・マーティンとの仕事を初めとして、70年代にはアメリカに移住。それ以降はホイットニー・ヒューストンマイケル・ジャクソンクインシー・ジョーンズなど、チャートに上る至る作品で彼のオーケストレーションが聴かれる今や超大御所。なおラボック家は元来銀行家で政府や王家とも繋がりがあり、文献で辿れる限りでは800年の歴史を誇る名家。

そんなロン・ハフが手がけてきた数々の名作(に添えたオケという最高に美しいドレス)をいくつか。

Vanessa Williams - Save the Best For Last

日本盤も一応出ているため、日本でもご存じの方はご存知かもしれません。しかしアメリカ本国では絶大な人気を誇る彼も、オケはロンにずっと頼んでいて。

Michael W. Smith - Place in this World

最後に、こちらも日本を問わず世界中で親しまれている名曲。オリジナルはカントリーの女王ドリー・パートン。このためか、ホイットニー版のプロデューサーはデイヴィッド・フォスターの為、ロスアンゼルスでオケとくれば先述のジェレミー・ラボックか、ここ数年フォスターが起用する大御所ウィリアム・ロスか、と思いきや、実は「フォスター+ハフ」という実に貴重なコラボレーションだったという、それでも普通のリスナーにとってみれば大ヒットしたきれいな1曲。

Whitney Houston - I Will Always Love You

個人的にロンとは約20年のおつきあいでした。とにかく暖かくて、音で人びとに何かを伝える名手ゆえ、「聴く」ことに対しては常に真摯で優しい、そんな人でした。映画音楽の領域はマイケル・ケイメンに教わったけれど、ポップスのオケ録りに関してはロンに学んだ所が大きい。クリスチャンとしての彼らが言えば、「愛」なのでしょう。「信じる」とは「アンタ、たのんまっせ」というより、「私はあなたを受け入れる」という。常にAcceptanceの精神です。まだ80歳。もっと聴きたかったな、あなたの音。長年の優しさ、学びに心から感謝します。微量でもぼくは、引き継げるよう、頑張ります。本当に、本当にありがとう、ロン。

今週は仕事と再会の為、少しだけあちらに行ってきます。その為今から準備。あ、声の練習はピアノの練習と同じ。毎日してますよ。だーれも信じてくれないから書いておくことにする(冗談)。

さあ、明日から新しい1週間が始まります!May the coming tomorrow be a brighter day for all of you, you, and you.
素晴らしい日曜日をお過ごしください。そして皆さまにとって素晴らしい一週間となりますように。

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