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そう、自分のために動けばいい。

それに、やっと気がついたのは、昨年からかな。

「公務員はこうあるべきだ。」とか「地域に出ないなんてもったいない。」なんて言ってきましたが、結局のところ「自分のために動く。」ことがぼくの生きる軸になることに気がつきました。

今回は、そんな気付きを綴っていきます!

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地域のために、他者のために、が強すぎた過去の自分。

学生時代だった頃も、社会人になってお役所の門を叩いてからも、「地域を良くしたい。」とか「困っている人のために動きたい。」とか言い続けてきた。

これらの思いは、対人援助職として、あるいは地方公務員の立場としては持っておくといい考え方だし、それがぼく自身を駆り立ててきたのは事実だ。

そして、その思いは地域に生きる人たちと一緒に何かやるのは楽しいことだという、漠然としたイメージから生まれたものだった。

実際に、地元・八王子では、子ども食堂やら空きスペースやらコワーキングスペースやらで、多くの人たちに仲間に入れてもらえて、活動する機会もいただいた。

そんなことから、地域に対しての思いが強いということだけは、変わらずに持ち続けることができているのだと今は思う。

でも、離島のお役所に入ると、実はその強い思いがアレルギー反応を起こした。

だって、離島では地元の人たちが出身部落のために汗を流すのが当たり前だったし、でも裏を返せば地域活動が義務化していて、当の本人らは苦労していたのだった。

だから、そこには苦労さや大変さを乗り越えた、面白さや楽しさがないと続かないのだということがわかることとなった。

それに、彼らだって、自らの生活が成り立っていないと、地域のためにとか他者のために動くことができないんだから。

自分が成り立たないと、何もできないよ。

地域づくりは余裕がある人たちがやることであって、そもそも地域づくりを仕事にできるなんて思うんじゃないよ。

学生時代にある方から言われた言葉。

自らの生活が成り立った上でやるのが、地域づくりだったり、他者への支援だったりするのだが、当時のぼくはこの視点に欠けていた。

そんなぼくは、育ての母からも、

人助けをする前に、まずは自分がしっかりしなさいね!

と言われることがあった。

つまりは、自分の生活が、自分自身の足下がしっかりしていないと、地域のためにも、他者のためにもできないんだ。

中には生活基盤が脆弱でもやる気と地域への愛情を持って活動する人もいるけれど、それは今のぼくにはそんな勇気はないし、だから今のぼくにできることを続けていけばいいのかなと思ったりしている。

そして、これらは対馬のお役所にいる公務員にも言えること。

とはいえ、公務員は生活基盤が整っていると思われる(一種のステレオタイプ的なもの?)から、余計に「地域や他者のために動いて!」という周囲からの眩しい眼差しに襲われるのだ。

だから、今言えることがあるとしたら、それでも、地域や他者との関わりに楽しさや面白さを見出せていれば、誰もが動き回るんだろうなあと思っているのだ。

楽しさや面白さを感じているかどうか。

生活基盤がどうであれ、地域や他者との関わりを持つ面々が全国各地に点在する。

コミュニティビジネス的なことをする人から地域のサロン活動を展開する人まで、多種多様な人材だ。

中には、生活基盤を確保するために、金儲けに走る人もいて、そういう人こそ従来の楽しさや面白さを失っていきやすい。

そんな風に考えると、地域や他者との関わりで絶対に欠かせないのが、楽しさや面白さを感じているかという課題だろう。

多事多難な人であれ、多忙極まりない人であれ、面白さや楽しさを感じる場所なら、時間を割いて行くと思う。

誰かと出会ったり、新しい価値を見つけたり、時には自身の可能性を感じたり、今を振り返ったり。

そんな関わりの中で、面白さや楽しさを誰かに共有したいという気持ちになるだろうし、さらには場づくりや地域づくりにつながっていくのだと考えている。

そして、ぼくはこれらの動きがいつしか自分のためのこと(自分事)になっているのに気がついたのだった。

自分事がいつしか地域や他者のためになると思う。

地域や他者のために動くことが、自分事になる。

そんな感覚を持つキッカケになったのが、対馬の耕作放棄地の再生を通じた地域づくり活動だった。

たまたま、学生時代から関わっていた対馬での取り組みだったが、いざ地域に入って一緒に汗を流していると、いつしかその地域に自ら顔を出したいと思うようになった。

「地域や他者のための活動」が「自分のための活動」になっていき、「地域や他者がどう思うか?こう思うか?」ではなくて、「自分がどう思うか?」に切り替わっていったのだと思う。

そして、その切り替わりは、消防団活動でも同様で、自身が目の前にしている現場で、「自分がどう思っているのか?」「自分だったらどうするのか?」といった自分事として考えるようになった。

そんな風に考えて動いていると、気づいたら目の前にいる地域の人たちのためになっていて、「はりーはもちろん来るよな?」と声がかかるようになっていく。

地域のためにとか他者のためにとか言う前に、いかに自分事として捉えることが大事なんだよね。

結局、誰かのためにが自分のためにもなっているものだし、自分のためにが誰かのためにになっている。

だから、自分自身と地域、自分自身と他者の関係は切っても切り離せないものなのかもしれない。

当事者意識が地域や他者を勇気づける。

そして、目の前で関わる地域や他者と一緒になって、当事者意識を共有する場面に遭遇する。

そこで感情を表に出しながら、自分がやっていることを共有することで仲間ができる。

当事者意識を共有することで、自分の思いが誰かの思いに連鎖していく。
みんなが同じ場や空間を共有する当事者になる。

それが、ぼくにも、ぼくが向き合う地域や他者にも相乗効果を生んでいて、みんなが前向きに動けるようになっていくのだ。

そして、自分事が地域や他者のためになっていくのだと思う。

だから、ぼくは自分のために生きたいのだと改めて思うのだ。

「自分のために」は、周りを豊かにする。

あーー、すっきりした!!

結局、ぼくが自分のためにやっている活動は、誰かの役に立つ可能性を秘めているのだ。

つまりは、自分事が周りを豊かにする可能性を生むのだろう。

そう、それは、毎週やっているオンラインスナックだったり、離島の身近な地域での農作業だったりする。

「自分のために」って自己中心的なイメージもあって難しい。

けれども、自分の熱い思いや活動を相手に伝えて連鎖していけば、きっとこれから関わっていく地域や他者が豊かになっていくと信じているのだ。

***

今回も、長文の内容でしたが、「自分のために動く」ことがいかに身近な地域や他者のためになるのかを伝えることができればという思いで綴りました。

今までも、そしてこれからも、ぼく自身は公務員がソーシャルワーカーが、積極的に地域に出ていく・他者との関わりを持つことの面白さや楽しさを訴えていきます。

けれども、強引にではなく、

「自分のために」なるんだよ。
「自分のために」やるんだよ。

ということを肝に銘じて動いていければと思っています!

また明日からも、「自分のために」動きながら、世の中を見渡していきますー。

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