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出社時間よりも前に出社を強要するのに、退社時間より前に帰りの支度をしてはいけないの、なあぜなあぜ?

世界がぜんたい幸せにならないうちは、個人の幸福はあり得ない。

これは宮沢賢治さんの言葉です。
この言葉を聞いたときに、私の母親は「いや、逆だ」と言ったのは懐かしい記憶。

これは段階の問題で、どちらがどうのこうのではないんですよね。

宮沢賢治は、自分よりも世界全体の幸せを願い、私の母親は、まず個人個人が幸せになっていくことで、世界がぜんたい幸せになる。と考えたわけです。
そして、母親の考えが現実化すれば、宮沢賢治個人も幸福になれるわけです。

ここで宮沢賢治さんについて語りたいわけではなく、日本の社会が幸せになるために、案外、ここが変わったらいいとこ行くんじゃないかと思うことがあります。

それは、出社時間には仕事ができる状態になっていることを求めるのに、退社時間には退社できる状態になっていることが求められないという状況を変えることです。

これ毎回毎回、不思議でならないんですよね。

出社時間は始まりではなく、プライベートな時間の終わりと考えれば、退社時間は会社員としての時間の終わりなわけです。

出社時間よりも早く会社員になることを求められるのに、退社時間までにプライベートに戻るための時間は許されないわけです。
休憩時間も同様で、休憩時間ギリギリまで働かせようとするなら、出社時間ギリギリに来たとしても文句を言われる筋合いはないわけです。

この不平等さを、私は社長が求めるならまだ分かりますが、なぜか部下や時間帯責任者が求めようとします。

ここの矛盾が解消されて、いい意味でアバウトになれば、日本の幸福度は上がると思います。

めちゃくちゃ気持ち悪さがあるのは、私だけなんでしょうか?
社会人としてなんていうことは正直どうでもいいんです。
客観事実として、労働時間以上を強要されていることを、当たり前だと思っているところに胡散臭さがあるわけです。

私は5分〜10分前には出社しています。これは強制されたからではなく、自主的にやっています。
仕事が忙しければギリギリまでやりますし、残業も苦ではありません。
ただ、忙しくて疲れていたり、余裕があれば、退社時間ジャストに帰れるように支度をします。

これに対してギリギリまで働かせることを、正義のように言ってくる人たちが不思議で仕方ありません。
なぜなら、私はその方達が5分前にアップしようとしても、特別なにも思わないですし、ギリギリまで働いていたとしても、なにも思わないからです。
自分が上司で相手が部下であっても、変わりません。

少し抽象度を上げていうなら、自分の考えと違うものを受け入れず、自分自身の考えを押し付けてくることが理解できないわけです。

お互い様ではなぜゆえだめなのでしょうか?

最後までお読みいただきありがとうございます それだけでとても嬉しいです ただ読んでくれただけで イヤ本当に読んでくれただけで十分です 本当に嘘じゃないよ