ディーン・クーンツ『ミステリアム』訳者 松本剛史氏によるあとがき公開!
2019年の9月。NYのミッドタウンにある著作権エージェントで、ディーン・クーンツが、特殊な力を持ったゴールデンレトリバーの出てくるスリラーを書いているという話を聞き、いてもたってもいられなくなった。
クーンツ+レトリバー=ウォッチャーズ!
ザワワ、ザワワと聞こえてきそうな草原に一匹のゴールデンレトリバーと一人の男性が描かれた文春文庫(93年)の上下巻のカバーが、鮮烈にフラッシュバックしてきたのだ。
それから数ヶ月後、DVOTEDというタイトルのホカホカの原稿が届き、翻訳の松本剛史さんにさっそく連絡をとった。
松本さんといえば言わずと知れた『ウォッチャーズ』の翻訳者。ハーパーBOOKSから『これほど昏い場所に』(原題The Silent Corner)というクーンツ作品を2018年に出版する際にもお世話になったのだけど、まさか2020年版の『ウォッチャーズ』とも言うべき本をお願いできることになるとは思ってもいなかった。
クーンツ自身は今作『ミステリアム』と往年の名作との関連をとくに公言してはいないが、なぜこの作品が書かれたのか、そこに込められたメッセージは何なのか、クーンツ作品を数多く担当されてきた松本さんならではの見立てを訳者あとがきで読んだ時、ちょっと鳥肌が立った(もちろんネタバレはないのでご安心ください)。
そんなわけで、4月16日の発売に先駆け訳者あとがきを全文無料公開いたします。
当時のクーンツ・ファンの方も、全く知らない方も一読の価値あり。
そして、心つかまれた方はぜひ全国書店さんで、本編をお手にとってみてもらえたら幸いです。
『ウォッチャーズ』のあの絵を描かれた藤田新策さんの最高にかっこいい装画が目印ですよ。
編集長O
******
ディーン・クーンツ『ミステリアム』訳者あとがき
少年は犬を愛するものさ。
─「少年と犬」(ハーラン・エリスン、伊藤典夫訳、『世界の中心で愛を叫んだけもの』所収、ハヤカワ文庫)
オレハ、ナンノタメニ生キテイルノダ?
─『ベルカ、吠えないのか?』(古川日出男、文春文庫)
「人間の心とはちがった心がもうひとつあって、それが人間の心と協力しあう。そうして、人間の心の及ばないことを見たり、理解したり、時には哲学を展開したりするかもしれないのですからね」
─『都市』(クリフォード・D・シマック、林克己訳、ハヤカワ文庫)
人間並みに賢い犬? 神を冒涜する話さ。街頭では暴動が起き、ホワイトハウスは焼かれ、混沌が世を包むだろうよ。
─『ティンブクトゥ』(ポール・オースター、柴田元幸訳、新潮文庫)
「犬は、地上最強と言ったろ」
─『MASTERキートン』(浦沢直樹・勝鹿北星・長崎尚志、小学館)
「あそぼ」
─『動物のお医者さん』(佐々木倫子、白泉社)
この本の冒頭にある犬関連の箴言(しんげん)の引用を眺めていると、自分でもまねをしたくなって、家の本棚で目についた本から適当に抜き出してみたのだが、なんだかまるで違うものになってしまった。まあそれでも、時代や洋の東西を問わず、犬という存在に「人間の最良の友」以上の何かを感じ取り、そこから想像力をふくらませる作家が一人や二人でないということはよくわかる。本作『ミステリアム』の著者ディーン・クーンツも、まちがいなくそのなかに入れられるだろう。
クーンツといえば、もう今更だが、米国を代表するエンタテインメント小説の名手で、ホラー・サスペンスを主たる作風とし、半世紀近くも第一線に君臨しつづける巨匠中の巨匠だ。無類の犬好き作家としても有名で、著作にもたびたびミステリアスな犬のキャラクターを登場させてきた。ただ、明確に人間と同等の高い知能を持った犬が出てくる話は、知るかぎり一九八七年作の『ウォッチャーズ』だけだった。『ウォッチャーズ』の〝 アインシュタイン〟は遺伝子工学で生み出された、いわば実験動物だ。本作に登場するキップもまた、すばらしく知能の高いスーパードッグ。しかもアインシュタインと同じゴールデンレトリバー。あとで触れるいくつかの理由からも、『ミステリアム』はたぶん、『ウォッチャーズ』の正統な続編といっていい作品だ。
『ウォッチャーズ』の邦訳が文春文庫から出版されたのは一九九三年で、もう三十年近くも前のことになる。当時、運良くその訳出をまかされたのだけれど、駆け出しだったあのころは、どんな原書を前にしても一行進んでは戻り、書いてはまた書き直すというのをくり返していた記憶がある。ところがあの本では、初めて訳文がすらすら出てきて、特に後半からクライマックスにかけてはほぼ一気に仕上げることができた(締め切りに追われていたというのもありますが)。ただしそれは訳者の技量とはまったく関係なく、すばらしくリーダビリティの高い文章を書く大作家のおかげだったとすぐに思い知らされるのだが。とにかく今回の作業中も、あのときとほぼ同じ感覚がよみがえってきたものだ。
本作のキップの出自は謎に包まれているが、彼は生まれ持った不思議なテレパシー能力を通じて、ひとりの人間の少年に引き寄せられていく。ウッディは並外れた知能を持ちながら、自閉症のために孤独を抱えた十一歳の男の子。そしてまだ若いキップもやはり、その知能ゆえに孤独を感じている。こうしたひとりぼっちの主人公と犬とのあいだに絆が生まれるというのも、『ウォッチャーズ』と共通する構図である。
ウッディは母親メーガンとの二人暮らしで、父親は不可解な事故死を遂げていた。彼は恵まれた頭脳とハッキング技術を駆使して真相に近づいていくが、そのために父を死に至らしめた黒幕から追われる身となる。同時にメーガンにも、遺伝子実験の事故によっておぞましい怪物と化したひとりの男が迫ってくる。想像を絶する危機に陥った母と子の運命やいかに? その鍵を握るのが、〝犬を超えた犬〟キップの存在なのだ。
クーンツは作家デビューのあと、しばらくSFを書いていた時期があった。だとすれば当然、初めに引用したエリスンやシマックの古典的名作には目を通していただろうし、そこから「もしも犬に人間並みの知能があったら?」との着想を得て、『ウォッチャーズ』の執筆に至ったという仮定は成り立ちそうだ。ただし『ウォッチャーズ』を書いたころにはまだ、実際に犬と暮らした経験はなかった。つまりあくまで犬は、作家が小説を書くうえで、そのすぐれたイマジネーションを展開させる触媒(しょくばい)のひとつだったということだろう。
やがて一九九九年、トリクシーという名の元介助犬がクーンツ家にやってくる。クーンツと妻のガーダはたちまちこのゴールデンレトリバーに魅せられるのだが、そのあたりのいきさつは、二〇〇九年に書かれたノンフィクション〝A Big Little Life: A Memoir of a Joyful Dog Named Trixie〟(大きくて、ささやかな命)にくわしい。トリクシーは「陽気で愛情深く、賢くてすばらしく行儀の良い」犬だったが、それだけにとどまらず、「際立った知性、ユーモアのセンス、スピリチュアルな面」まで見せるようになる。そしてクーンツの見方にも次第に変化が生まれてくる。「……わたしはこう確信するに至った。トリクシーには魂がある……彼女の魂はわたしやどんな人間のそれと比べても汚れのない、無垢なものなのだ」
トリクシーとの暮らしを経たあとで書かれた『ミステリアム』は、クーンツの独壇場というべき手に汗握るサスペンス小説でありながら、犬の本質にまで深く踏み込み、その内面を描き出すというテーマ性も備えている。キップは〝ぼくはどこから来たのか〟と問いかけ、自らの存在理由をつきつめながら、人間とのより強い絆を求める。さらにクーンツは、知性を持った犬が周囲の人間たちに、ひいては社会に及ぼす影響にまで想像を馳せていく。だから読者は、この息をもつがせぬ第一級のエンタテインメントを堪能しつつ、キップの愛らしさに目を細めながら、彼とウッディの胸を打つ交流の向こうに、犬という無垢なフィルターを通した新たな世界への憧れやビジョンを見ることもできるのだ。
『ウォッチャーズ』のラストで、アインシュタインが自らの知能を受け継いだ仔犬たちを見ながらつぶやいた言葉に、彼の人間の相棒トラヴィスが応える場面がある。
『いつかみんな遠くへ行く』
「いつか時間がたって、たくさんの仔犬ができたら……みんなが世界じゅうに散らばるんだ」
このシーンの答えが、まさに本作なのだ。そういう意味でもたしかに、あのクーンツ全盛期の名作の続編と呼ぶにふさわしい─と同時に、二〇二〇年代を迎えてもいっこうに突破口の見えてこない、この新たな時代に向けた傑作だと思う。
そして物語の終盤の展開を見るにつけ、これはやはり、クーンツが犬に捧げた作品なのだとも感じさせられる。人間をはるかに超える戦闘能力を備え、味方にすればこの上なく頼もしい。それでいて人間の一番の友であり、遊び相手でもある。またときには人間の心の及ばない、別の世界の一端を見せてもくれる。本作はそんな敬愛すべきワンコへの、クーンツからの切なるラヴレターでもあるのだ。
最後に一言だけ。普段あまりこういうことは書かないのだけれど、『ウォッチャーズ』の熱心な読者にして犬ラヴァーであり、本書の刊行を実現された編集担当のOさん、Yさん、そして『ウォッチャーズ』に引き続きすばらしいカバー絵を描かれた藤田新策さん。かくも得がたい配剤に、そして自分も訳者としてそこに加わることのできた幸運に、心からの感謝を。
「こうした犬が毎日わたしに見せてくれるような特質を、人間もしょっちゅう示すことができさえすれば、地球はもっとずっとすばらしい星になるだろう」
─ディーン・クーンツ
二〇二一年三月
松本剛史
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?