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襟立てていれば2-0だったな

 中野さん、襟立ってるじゃん。

 DAZNで柏レイソル戦観てて、試合展開とか決定機うんぬんよりもさきにまずそこが気になってしまった。前半のウォーターブレイク直前だったとおもう。ただ再開後にはなおっちゃってたから、襟のうしろがめくれあがって立て襟になりやすくなってただけっぽい。試合まえ、しっかり首まわりをととのえていた志知さんの襟は一切立たなかったし。

 ダメなもんで、それ以降目がいくのはゲームよりも襟のことばかり。早くだれかの襟立たねえかな、って。ずっと立て襟待ち。そしたら気がついたらスコアレスドローでゲームがおわってた。あっという間。そのあいだにヴィエイラさんの襟も一瞬立っていたのをぼくは見のがさなかった。中野さんもヴィエイラさんも、ふたりとも立て襟がよく似合ってる。いいね、襟、立ててこうぜ。

 ユニフォームの襟を立てる選手っていったらもう、かつてはけれん味たっぷりで一度見たらわすれられない連中ばかりで。強面でストロングスタイルをつらぬきながら、フリーキックだけは異様に美しかったミハイロヴィッチ、ローマの王子さまトッティ、獅子王ガブリエル・バティストゥータ、カンフーキックでおなじみユナイテッドの王さまエリック・カントナ。みんなまぁクセが強く、クセと比例して襟は立っていた。

 そんな彼らの象徴たる襟がうしなわれだしたのは、2000年入ったくらいから。野暮なサプライヤーどもの陰謀で減少の一途をたどった。時期をおなじくして彼らのようなけれん味マシマシのような選手たちもすがたを消していくのだけど、けっして無関係ではあるまい。つまり連中は知っていたのだ。襟をなくせば、そういう才気はありつつも不確定要素のおおい選手たちを根絶やしにできると。いかにも資本主義という宗教に魂を売り払った狂信者らしい発想である。かくしてサッカーから襟はうばいさられた。

 だがここにきてまた襟がもどりつつある。近年のJリーグでもその風潮は見られる。とくに横浜Fマリノスの2022年、クラブ30周年記念のあのデザインにはシビれましたね。ハッキリと主張するあの真っ白な襟ときたらもう! なんて立てがいのある襟なんでしょう。きっとマリノスサポーターも仲川選手あたりは立ててくれるにちがいないと期待していたにちがいない。

 われらがサンフレッチェも2021年、アウェーユニフォームではあったものの、ついに襟がもどってきた。じつに21年のときを経てである。問答無用で25番購入ですよ。襟復活したし、お披露目のとき25番さんが着ていたんだもの。そりゃ買うしかないじゃんか。

 せっかく襟が復活しつつあるなか、ホントだれかひとりくらいは立てないもんかね。たしかにパッと見これ見よがし感はつよい。エラそうといわれればそりゃそうだろう。でもちょっと自信なさげな選手にはそれくらいの自信過剰さはあっていいとおもう。たとえばあのゲームの中野さん、おそらく襟を立てていたら、みちあふれた自信をガソリンにあの決定機のうちのいくつかはゴールにしてた。まちがいない。だから襟立てようぜ。

 なんてこといって、みんながみんな立てだしたら今度はそれはそれで……なんですけどね。個人的には中野さん、ヴィエイラさん、あと陸次樹さんあたりが立ててくれるのとうれしいかなあ。とくに陸次樹さん。あの日本の襟の大家・西澤明訓さんのいたセレッソを経由してるわけで。むしろなんで立ててねえんだって話ですよ。自主的に立てなさいよと。

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