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日常を愛せたら、眠れない夜という非日常は無くなるのかも知れない。


いつも冷たい人が優しいと嬉しい

いつも優しい人の方が偉いのに


いつも頑張ってないあの子が頑張るとおぉ、ってなる

いつも頑張っている人の方が偉いのに


いつも会えない人と会えると嬉しい

いつも会えてる人も突然会えなくなるかも知れないのに


私たちは非日常を求める。私は一日の三食(朝が弱いので本当は二食)のなかで必ず、というかまぁ多分、お米を食べる。お米は美味しい。けど時々食べるパンとかラーメンはもっと美味しい気がする。

でも、半月間の留学でお米が食べれない時、どうしようもなく恋しくなった、お米が。パンとかラーメンとかパスタは我慢できるけど、お米は無いと駄目だなぁ、と思った。そんな感じだ。

空気みたいに身近になり過ぎると、貴重さは薄れていく。感謝は音になることなく、息に溶ける。そうして生きていき、無くなってみて初めて気づく、というのはよくある話である。


仲の良い友達カップルが別れた。大学一年生の時から三年と半年、二人の色が年時と共に緩やかに変わるのを隣で見るのが堪らなく大好きだった。

なんで別れたの、と女側に聞くと、「後輩の女の子と寝ちゃったらしいよ。」とまるで他人事のように言葉では言いながら、目は反対に潤んでいき、それらを二つとも流し込む勢いでレモンサワーを飲みほした。

後輩の女の子は私もよく知っている子だった。贔屓目もあるが、絶対的にこの目の前のレモンサワーの彼女の方が何倍も素敵なのに、ばかだなぁ、と思った。でも、どうしようもなく人間だな、とも思った。

戻る気はないの?と二杯目のレモンサワーを彼女に渡しながら尋ねた。「や、無理でしょ。向こうから謝罪とか復縁の連絡とかまだ来るけど、無理でしょ。」と態々『無理』を二回突っ込む辺りから彼女の決意を感じ、もう聞くのをやめた。

こうして彼らの日常はあっという間に非日常になるのである。

メイクが濃い彼女が自分以外誰にも見せないであろうすっぴんと無防備な寝顔も、特に用が無くとも続く心地の良い連絡も、格好つけなくなったファストフードでの食事も、自然とハモる鼻歌も、何も言わずとも良いタイミングで出てくる珈琲も、彼の元にはもうなくて、いつか別の誰かとの日常になる。

これをレモンサワーの彼女と飲んだ数日後、男側からかかってきた電話口で、聖母マリアの様な柔らかな口調で口にしたら、「悪魔!」なんて言われて切られた。マリア様のつもりだったんだけどなぁ、なんて。


彼にこんな意地悪をしかけながら、自分も同じような後悔に寝れない夜を過ごした経験が幾許となく有るのはご愛嬌で。


私たちは今日もどうしようもなく日常を気だるく消費していく。

日常を愛せたら、当たり前ということに感謝できたら、いつもとか常とかを恐れることが出来たら、誰かのどうしようも無い後悔とか、届かない涙とか、眠れない夜という非日常は無くなるのだろうか。


haro

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