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【映画感想】ミッション:インポッシブルシリーズ

はじめに


おはよう、視聴者諸兄。君は映画ミッション:インポッシブルシリーズをご存じだろうか?
私でもどこかで名前を聞いたことがあると思って、記憶をさかのぼると最初に知覚したのはおそらく、ミステリ作家やみねかおるの小説だった。元ネタとして列挙されていたのだと思うが、『スパイ大作戦』のレコーダーネタ自体がパロディとしても有名だったことや、映画公開のコマーシャルが目に留まったことも相まって、それ以後も幾度かミッション:インポッシブルのタイトルは記憶に刷り込まれていた。
そういうわけだから、見てみた。そして聞きしに勝る活劇だと思った。

変装とワイヤーと爆発


ハリウッドの派手なスパイアクション、高揚させてくれる聞き覚えのあるBGM、主演トムハンクスの甘いマスクと輝かしい肉体美、ウィットの似合う溌剌さ、そして主役イーサン・ハントの半生。いずれもきれいに合致した、爆弾のような娯楽映画だった。
だからこそ、見りゃあ分かんめえと言いたいところをぐっとこらえる必要があった。こらえなければ楽しさを言語化する前に、それそのものによって吹き飛ばされると思った。まず私が興奮したのは、ミッションイン:ポッシブルシリーズのゴールデンタイムだった。
活劇一般に共通してアクションのゴールデンタイムがあり、ここでいうゴールデンタイムは物語上の波乱や窮地を、必殺技によって覆して逆転勝利を収めるシーンという意味だ。映画素人ながら私は、その要素が活劇における重要な面白さだと思っている。
ミッション:インポッシブルシリーズにおけるゴールデンタイムはおおまかに三つある。それは《変装》《ワイヤー》《爆発》である。いずれも主人公イーサン・ハントがスパイ活動をする上での必殺技であった。だからそのシーンが来ると、「待ってました!」とばかりに盛り上がる。拍手でもってハントのチャレンジと大逆転を喜べる。その意味で、物語に関係なく興奮できるのがシリーズ作品の持つ爆弾のような魅力だと思う。
ハントは失敗をしないわけではないし、敵対組織の罠にまんまとはまってしまうこともある。それもしょっちゅうだ。
ハントは決して無敵の存在ではない。シリーズ作品を通して伝説的な実績を上げるスパイではあるけれど、それと同時に厚い人情に付け込まれ、危険やミスをも冒してしまう繊細な主人公だ。
非情になりきれないハントだからこそ、危機的状況を覆すゴールデンタイムが必要なのだ。彼はそうやって生きている。孤独で無謀な闘いを強いられながらも、不屈の意志によって不可能な追走劇に勝利を収める。

諜報員イーサン・ハント


たとえば第一作目のミッション:インポッシブル序盤においてハントたちのチームは任務中、謎の襲撃者の手によって仲間を失った。とくにチームリーダーのジムは、ハントにとって上司であり、よき親友でもあった。もう一人の生き残りであるクレアは、ジムと夫婦であったため二人で復讐のために、チームを壊滅に追いやった襲撃者を突き止めようとする。ところが、所属するIMFから保護に来た上官が明かしたのは、今回の任務が内通者を炙り出す偽の任務であり、生き残ったハントこそが内通者に違いないと断定されてしまう。こうして味方から追われる立場になったハントは、無実を明らかにするためにも本物の内通者ヨブを見つけ出そうと、ヨブの取引相手であった武器商人マックスへ接触を図る。そして取引現場をセッティングすることでヨブをおびきよせ、真犯人を明らかにする。そういうあらすじだった。
若手諜報員ハントにとって最高のチームも、帰る場所も失ったのは最大の苦しみである。以降の作品でも、同種の苦しみがハントを襲う。味方の犠牲と組織の裏切り者とが付きまとう。前期三作の場合、M:i‐Ⅱでは旧知のネコルヴィッチ博士の死とハントの替え玉であったショーンの裏切りが、M:i:Ⅲでは教え子リンジーの死に加えて妻ジュリアの誘拐と上司マスグレイヴの裏切り、というように。ハントは守りたいものを守るために、この苦しみの連鎖からは逃れられない。だから、エンディングと続編の導入部は、その連鎖から逃れようとするハントが描かれる。M:i:Ⅲまでは情報戦に駆り出されたハントが機密情報の奪還ないし諜報活動を経て、任務後のバカンスに出かけるエンディングだった。そして、休暇中エアーズロックのロッククライミングを楽しんだり、婚約者のパーティーに参加して甲斐甲斐しく気を回しては変な奴だと関係者に思われたりして過ごす導入部。作品を経るごとにハントの私生活は充実へ向かって変化していく。前期三作はそういう物語だった。
ちなみにM:i:Ⅲによってハントがジュリアとの結婚を機に一線を退いたというハッピーエンドで前期三作が一度終了したのち、第四作目のゴースト・プロトコルによって再び諜報員へ復帰したことが明らかになったハントは、終盤でジュリアとの関係の変化というエピソードを語った。二人はお互いを愛しつつも安全と目的の実現のために離婚したのだ。かつてはプライベートの充実に向けて頑張っていたハントももはや、プライベートと仕事どちらも手に入れられるとは考えなかったのであろう。ゴースト・プロトコルのエンディングでは、元気にしているジュリアを見届けたあと闇に姿をくらませていた。愛した人と一緒に生きられないという苦しみを抱えるかわりに、陰から人々を守っていくという姿勢を貫いていく。その決断にはやきもきさせられるが、ハントが人を助けることに真剣であればあるほど目立つとともに、危険度は増していくためこちらも必死で応援するしかできることはない。
なにせゴースト・プロトコルでもハントたちと同車中にいたIMF長官はあっさり暗殺され、第五作目のローグ・ネイションでは敵対した組織《シンジケート》からの接触時、音もなくIMF連絡役の女性があっさりと殺され、ハントも身柄を拘束されてしまうような場面が導入となっている。それだけシビアな世界をミッション:インポッシブルシリーズは描いている。すなわちゴースト・プロトコル以降のハントはプライベートを捨てた諜報員としてのみ生きる人物ということになる。
組織から煙たがられながらも伝説的な諜報員として一目置かれる中年へ変貌を遂げていた彼は、ジュリアが幸せに生きられるように、なにより危険が及ばないように彼女の死亡を偽装して、陰ながら見守ることを決意していたのだ。ハントは強いられてきた闘いを、今度は自ら選択している。後期三作では敵対する組織規模や犯罪活動は、裏社会的な事情にとどまらず世界へ波及する。それだけの闘いを背負えてしまうハントは、孤独にならざるをえなかったはずだ。その甲斐甲斐しさとストイックさも渋くていい。
だからこそ、第六作目のフォールアウトにてジュリアと再会を果たして言葉を交わしたことが味わい深い癒しとなっている。もちろんよい友人関係としてのいじましいやりとりが、非現実的に感じられたとしても二人にとっての関係性がそうである以上、暖かく見守るのが筋だと思った。M:i:Ⅲまでの若々しい情熱をほとばしらせるハントにはなかった、成熟した表現がゴースト・プロトコルからフォールアウトまでの後期三作にはある。そうしたハントの変遷を見届けられるのは、歴史的な連動性をもってミッション:インポッシブルシリーズを楽しむことも可能だったということになる。つまり、画面から溢れる活劇の魅力を抑えきれていないのだ。

リアリティを表現するスパイドラマ


スパイドラマに個性は必要ないと思っていた。そのリアリティがあることによって、活劇的な秘密道具の仕立てやスマートでかつ奇想天外な知略がそがれるくらいなら、個性はなくても一向にかまわないはずなのだ。代々主演が変わるという007や、活劇を共通ジャンルとしてスーパー戦隊ならびに仮面ライダーのことを念頭に置いて、そう思っていた。もちろんそうした作品に個性がないとは言わないが、主役が成功者という役割を全うするから虚構として楽しめるという点では話が違う。
ハントには生き生きとした躍動がある。秘めるものこそあれ、行き当たりばったりでチャレンジャーな行動力と大胆不敵で破天荒な突破手段、それによって可能とする組織の裏をかくというびっくり箱のような魅力が溢れている。
おかしい、これがスパイドラマだろうか?いや、これがミッション:インポッシブルという映画なのか!
たった一人の行動が、逆転によって失敗を成功に塗り替える。痛快だ。その筋書き以上に、ハントは自分の幸せを模索している。
私の中に前々からあった印象は表面的な要素で、だから「あー、これこれ!」とゴールデンタイムに興奮できた。しかしハントを楽しむ必然性が何かといえば、スパイという不条理な世界を生きる人間のリアリティだと思うようになった。彼は生きようとしてくれている。救おうとしてくれている。けれど当然喪失感やくじけそうになる大失敗によって不安に陥る。それでも起死回生にむけて、ボロボロになりながらも足掻いて闘う。
それがハントの個性であり、決まった成功を手に入れていた前期三作でもバカンスの相手が変化するという理想像の違いが描かれていた。後期三作ともなれば、世界の一時的な平和を共有する相手が変化するという違いがある。それはハントの半生にとって意味のある成功で、スパイ主人公だからではないはずだ。だからハントは役割を全うする駒ではなく、目指す幸せに向かって生き方を示す主人公ということになる。
それでは闘う時のハントが孤独だったか?そうとも限らない。
バックアップをしてくれるチームがいる。作品によってメンバーこそ流動的であるがルーサーという顔なじみはいるし、すでに書いたようにジュリアの関係も続いていた。とくに後期三作では、ベンジー、ブラント、アラン、イルサなどが活躍していた。メンバーとの共闘も次第にパワーアップしていき、若手メンバーからはハントの無茶な立案にツッコみが入るシーンなど、過去の実績などお構いなしで和ませてくれる。ハントにとって頼もしい仲間がいるからこそ、窮地にあってもめげないのかもしれない。そんな相手を大切にするハントを見るたびに、彼をまた好きになれる。ミッション:インポッシブルシリーズはそういう映画だと思う。

おわりに


「推し」という話であれば、このシリーズ作品においてはイーサン・ハント以外にありえないと思った。少なくとも私にとってはそういう作品となった。ルーサーが登場してハントと再会を喜ぶたびに、それはそれで嬉しいのだが、映像における魅力の最大出力は常にハントから爆発していた。
その意味では絶対にハントがスパイであるのは間違いだと思えるのだが、不思議なことにハンとスパイが合致する絶妙なバランスこそ着火剤として作用しているようにも思えるからまことに不思議である。活劇のお約束的物語の中にあって、個性に乱れてカッコいい稀有な存在だと思ってハントを推したい。
さて、またも長上な文章になったが、ミッション:インポッシブルシリーズという映画の魅力の一端を自分なりに言語化してみた。
そこで視聴者諸兄の使命だが、もしもまだ未視聴であるならば、ぜひともシリーズ作品を見通してくれ。例によって、君もしくは君のメンバーが捕らえられ、あるいは殺されても当局は一切関知しないからそのつもりで。なお、このテープは自動的に消滅する。幸福を祈る。

(2023年3月28日 更新)
(2023年5月28日 更新)

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